コラム >> 石田隆至


「未来志向」を求めて(8)

イスラエル/パレスチナから見る日本/中国

イスラエルによるガザでの虐殺はなぜ止められないのか。日本でも中国でも、心を痛めている人々は少なくない。それでも、どこか遠くの出来事のようにも思える。自分たちにできることは...

「未来志向」を求めて(7)

過去と未来が同居する:国連創設と台湾返還80周年にあたって

なぜ日本社会では、これほど「未来志向」が強調されるのだろうか。 石破茂首相は9月23日の国連総会演説で、アジア諸国との「未来志向の関係を更に進める」と述べ、「その思いを...

「未来志向」を求めて(6)

「侵略を許さず、平和と独立を守り抜く」記念式典に参列

9月3日の天安門広場での記念式典は、「軍事パレード」だったのか? 幸いにも式典に参列する機会を得た。6万人の中国の人々に交じって現場で感じ取ったのは、「民族主義」や「国...

「未来志向」を求めて(5)

葛藤と沈黙を平和に転じる:撫順戦犯管理所を訪ねて

戦争の傷痕は、もう癒えたのだろうか。日本とのはざまで暮らしてきた中国人の私にとって、80年前に終わった戦争は、心の奥底に霧のように立ちこめる戸惑いの源であり続けてきた。 ...

「未来志向」を求めて(4)

武漢在住日本語教師が見た中国

思いがけず中国で日本語教師をすることになって、はや8年が過ぎた。「普通の日本人」だった私が中国の学生や市民と過ごすなかではじめて気付いたこと、少しずつ見えてきたと感じるこ...

「未来志向」を求めて(3)

被爆二世として、海軍兵士の息子として

2024年10月、被団協(ひだんきょう)(日本原水爆被害者団体協議会)に対するノーベル平和賞決定の報道が流れた。被爆者や反核平和活動家の間で喜びの声が拡がった。 上海に...

「未来志向」を求めて(2)

戦後80周年、“平和主義”の現在地

未来の平和を担うのは、子どもたちや青年の世代である。彼らの戦争/平和観は未来の東アジアに直接繋がっていく。 今年4月はじめに、岐阜県瑞浪市の強制連行跡地を訪れる機会を得...

「未来志向」を求めて(1)

父の抗戦経験につながる今

戦争が終わった時点から80年も経った「今」は、当時からすれば十分に「未来」だった。「未来志向」という言葉は、戦後ほどない頃から使われてきた。未来だけを見ても、より良い未来...

長すぎた「戦後」に向き合う(7)

アニメ動画で切り拓く新時代の日中友好

日本の若い世代にとって、中国は経済発展が続き、先端技術の導入も進む未来を感じさせる国と映っているだろう。日本のメディアは中国の成長減速をことさらに取り上げるが、日本の若い...

長すぎた「戦後」に向き合う(6)

他者の痛みを感じ取れる社会に:精神の自由と森井眞

積極的に「戦後」を終わらせようとした人々もいる。 昨年8月に103歳で亡くなった森井眞はその一人だ。年齢から推察できる通り、学徒出陣で帝国海軍に徴兵されている。敗戦後に...

長すぎた「戦後」に向き合う(5)

沖縄における「信頼の政治」のアジア的文脈

沖縄では、「戦後」がよりはっきりとした形で続き、冷戦構造も継続している。近年では琉球弧の軍事要塞化も進んでいる。 そうした状況下でも、独自の平和追求の文化が静かに長く脈...

長すぎた「戦後」に向き合う(4)

戦跡と苦闘した青年が見出す民衆理性と平和

中国では近年、戦史研究が活発に進められている。戦闘だけでなく、戦時下の経済や社会、文化の実態についても若手研究者の関心が集まっている。過去の連載で取り上げた武凌宇もその一...

長すぎた「戦後」に向き合う(3)

戦争被害の語りから何を聴き取るか

日本軍による侵略を経験した中国の民衆は、長い「戦後」を経て、今どんな思いで過ごしているのだろうか。 2023年12月、浙江省桐郷市で地元の戦史を掘り起こす調査研究を続け...

長すぎた「戦後」に向き合う(2)

罪を赦す苦しみを受けとめる:加納莞蕾の戦後

戦後の平和教育といえば、広島・長崎の被爆体験が主に扱われてきた。繰り返してはいけない惨劇であることはいうまでもない。しかし、日本の枠を越えてヒロシマ・ナガサキを捉えるとき...

長すぎた「戦後」に向き合う(1)

平和を作り出そうとした 戦争経験者と「伴走」する

私たちは当たり前のように「戦後」という枠組で “いま”を捉えている。これは奇妙なことではないだろうか。 対中国15年戦争が終わってからまもなく80年にもなる。新中国の建...