コラム >> 石田隆至
2023/12/23
侵略戦争への贖罪意識だけでは戦後生まれの世代には継承されにくい。“戦略的互恵関係”といったドライな理念は時の状況に簡単に翻弄されてしまう。日中関係を開く「鍵」は思いもしな...
2023/11/21
半年ほど前、自分が暮らす地域の戦時中の歴史に向き合う中国の青年と知り合った。若い世代が負の歴史に積極的に関心を持つのは、中国でも珍しい。経済成長が進んで自己実現の機会が高...
2023/10/26
現在の日中関係の焦点の一つは「台湾問題」にある。 これについて語るとき、必ず言及されるのが「一つの中国」という立場である。台湾を含めて中国は一つの主権国家であるという概...
2023/9/24
45年前、平和友好条約の締結に臨んだ人たちは、後に続く世代の日中関係をどう思い描いていただろうか。 筆者を含めた国交回復後に育った世代には、「日中友好」というフレーズは...
2023/8/28
近年、日中友好を掲げる運動の中にさえ「中国脅威論」の浸透を感じることがある。さすがに“中国は脅威だ、攻撃に備えよう”とまでは言わない。ただ、“中国は発展して大国になり、膨...
2023/7/26
「中国脅威論」が高まっている。とはいえ、中国に対する警戒感を持ってはいても、できれば日中関係を好転させたいと願っている人々は少なくないだろう。ましてや、中国を敵視する現状...
2023/2/25コラム
この秋、日本社会の戦争観に関する文献を中国の大学院生と輪読した。田中角栄元首相に関する受講生の反応が興味深かった。「私たちが受けた教育の中では、田中は中国への侵略だった...
2023/1/23コラム
前回取り上げた孟生保さん(83歳)は、戦争で失われた家族やその戦友たちの尊厳を取り戻すために戦後を歩み続けた。被害調査を続けるのが難しくなった2000年代には、高校生だっ...
2022/12/12コラム
国交回復によって戦争被害者とも向き合おうとすればできるようになった。そうした動きはどれくらいあっただろうか。これは無理筋な話ではない。日本社会には、原爆や空襲の被害者に対...
2022/11/25コラム
国交回復50周年を振り返り、新たな展望を考えていく上で、手がかりとなる文書が中国で先月発表された。第20回中国共産党全国代表大会の「報告」である。日本のメディアではその一...
2022/10/17コラム
1972年9月、「平和友好関係を樹立」することを目的として、日中間の国交が回復した。直後のパンダ贈呈に始まり、友好交流は活発化した。ただ、80年代には早くも歴史認識問題...
2021/9/20
山邉悠喜子が乳児を抱えて夫とともに帰国したのは、敗戦から8年後の1953年だった。生活基盤はなかったが、「これさえあれば生きていける」と思える...
2021/8/21
「日本より中国の方が居心地がいい。あぁ中国に帰りたい」。93歳になる山邉悠喜子は遠くを見ながら今も口癖のように呟く。 前...
2021/7/21
今年98歳になる元戦犯の稲田積(仮名)は、ある時珍しく「そんなバカな話があるか!」と声を荒げた。〝戦犯の寛大釈放は外交取り引きとして行われた〟という趣旨の論文が発表さ...
2021/6/23
65年前、新中国での戦犯裁判を終えて帰国した人々は、加害行為の実態を伝える平和運動という形でその反省を具体化した。こうした組織的な取り組みは、東京裁判など他の戦犯裁判...
コラム
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