コラム >> 石田隆至


国交回復後の50年を生きなおす(2)

第20回党大会報告と国交回復の含意

国交回復50周年を振り返り、新たな展望を考えていく上で、手がかりとなる文書が中国で先月発表された。第20回中国共産党全国代表大会の「報告」である。日本のメディアではその一...

国交回復後の50年を生きなおす(1)

「始まり」としての日中国交回復

 1972年9月、「平和友好関係を樹立」することを目的として、日中間の国交が回復した。直後のパンダ贈呈に始まり、友好交流は活発化した。ただ、80年代には早くも歴史認識問題...

新中国の平和のあゆみ 第5回

「家族」のように思いやる日中関係を目指して

石田隆至 上海交通大学副研究員

  山邉悠喜子が乳児を抱えて夫とともに帰国したのは、敗戦から8年後の1953年だった。生活基盤はなかったが、「これさえあれば生きていける」と思える...

新中国の平和のあゆみ 第4回

支え合う民衆の主体性を取り戻させた階級論

石田隆至 上海交通大学副研究員

「日本より中国の方が居心地がいい。あぁ中国に帰りたい」。93歳になる山邉悠喜子は遠くを見ながら今も口癖のように呟く。     前...

新中国の平和のあゆみ 第3回

「戦争を終わらせる」裁判から「平和を作り出す」裁判へ

石田隆至 上海交通大学副研究員

今年98歳になる元戦犯の稲田積(仮名)は、ある時珍しく「そんなバカな話があるか!」と声を荒げた。〝戦犯の寛大釈放は外交取り引きとして行われた〟という趣旨の論文が発表さ...

新中国の平和のあゆみ 第2回

戦犯および裁判関係者たちは葛藤にいかに立ち向かったか?

石田 隆至 上海交通大学副研究員

65年前、新中国での戦犯裁判を終えて帰国した人々は、加害行為の実態を伝える平和運動という形でその反省を具体化した。こうした組織的な取り組みは、東京裁判など他の戦犯裁判...

新中国の平和のあゆみ 第1回

100歳を迎えた元日本人戦犯はいま

石田 隆至 上海交通大学副研究員

今年は、新中国で日本人戦犯裁判が行われた1956年から数えて、65年目にあたる。当時もっとも若い戦犯でも30代半ばであったので、存命でも100歳前後になっていることに...