コラム >> 洪欣


アジアの眼〈71〉

「途上国から世界に通用するブランドを作りたい」

――日本の実業家、デザイナー 山口絵理子

青山通りに面したワールド北青山ビルの一階で、ショーとショーの合間に、山口絵理子氏に短い取材を試みた。ほとんど飛び込みなので20分ほどしか取れなかったにもかかわらず、彼女の...

アジアの眼〈70〉

「捨てられたものには、命の痕跡がある」

――ニューヨーク在住世界の美術家 Sook jin Jo

[caption id="attachment_13229" align="aligncenter" width="600"] アトリエ提供[/caption] ク...

アジアの眼〈69〉

絵を描く以外考えられない

――アメリカで活躍している若手作家   劉静涵 Jinghan Jesse Liu 

12月初旬のマイアミビーチは、アート・バーゼルを筆頭に同時期にArt Miami,Scope,Untitaled Artとアートフェアで盛り上がっている。この地域は、南米...

アジアの眼〈68〉

「僕は椅子をデザインしているわけではなく、方法論を研究しているのだ」

―デジタルアーティスト 張周捷

11月に入ったというのに、まだ暑い日が続いている。上海で何度も取材の約束をしたのに、日程が合わなかった張周捷氏にやっと会えた感じだった。開館準備で汚い格好をしていたので、...

アジアの眼〈67〉

アートは人類が作った最も善意的な創造物

――美術館の黎明期を担った国際派館長 木島俊介

今年の7月1日付で神奈川県箱根町に立地しているポーラ美術館の館長を退任した木島俊介氏を取材した。植物で覆われた入口から置物一つ一つがお洒落な自宅にお邪魔した。 [c...

アジアの眼〈66〉

「内に向かって 自分の未知へ辿り着く」

――日本の現代美術家、中辻悦子を訪ねて

大阪の心斎橋で現代美術家の中辻悦子氏を取材した。兼ねてから尊敬してやまない彼女の画集を夏のアートフェアで手にいれる好機に恵まれ、画集を精読しているうちにご本人に会いたくな...

アジアの眼〈65〉

「人間は建築を作る、 そして建築も人間を作る」

――エリート建築家 ユ・ヒョンジュン

あるアートフェアに出かけた韓国ソウルの出張に合わせて、インスタグラムで急遽連絡して建築家のユ・ヒョンジュン氏と取材の約束が取れた。そして、ソウル行きの日程は一日早まった。...

アジアの眼〈64〉

香川から東京へ「体に染みたリズムで描く」

――現代美術家 今井俊介

東京オペラシティアートギャラリーで4月15日から個展が開催されている現代美術家の今井俊介氏を取材した。展示会が終わりを告げようとする前日で、閉幕直前の少しだけ緊迫した気分...

アジアの眼〈63〉

「素材はボーダレス、それが作品自体に力を賦与する」

――杭州在住の彫刻家 林崗(Lin Gang)

アフターコロナに久しぶりに東京で林崗氏(以下、林氏と略す)に再会した。コロナ前に進めていた大地の芸術祭の中国地方都市での開催プロジェクトがコロナで延期を余儀なくされ、その...

アジアの眼〈62〉

「チャックを下ろすと現実の世界に戻ってしまうバンロッホ」の生みの親

――仮想現実を約40年前に描いた漫画家 井口真吾

1984年に漫画の中で誕生したキャラクター「Zちゃん」の世界をもとに、キャラクターや仮想世界の可能性を探究する「Zプラン」を開始した井口真吾氏は、漫画家として1983年よ...

アジアの眼〈61〉

「音楽は、社会問題をある意味 解決できると信じたい」

――韓国が生んだ世界的バイオリニスト ウオン・ヒョンジュン

コロナ禍の中、音楽ワクチンという概念を打ち出し、様々な病院に出向き、バイオリンの演奏を試みたバイオリニストがいる。韓国の有名な音楽家、ウオン・ヒョンジュンだ。 6歳の幼...

アジアの眼〈60〉

スーパースターも愛したデザイナーズブランド

――日本の世界的ファッションデザイナー 佐藤孝信

photo by Wakatsuki Hiroki 西麻布にある「KOHSHIN SATOH」ブランドのアトリエを訪問し、ファッションデザイナーの佐藤孝信氏(kohsh...

アジアの眼〈59〉

「100歳の誕生日にコンサートをし、今ここにいらっしゃる皆様100人をご招待させてください」

――世界最年長の現役指揮者 曹鵬

上海の王小慧芸術館にて去年の歳末に「巨匠との対談」というイベントで、世界的指揮者である曹鵬(以下、曹氏)に出会えた。 かねてからどこかでお会いしたいと思っていた方だった...

アジアの眼〈58〉

「時間は、旅の体験ができない時はタイムスリップができる」

――上海の抽象絵画の代表作家の一人 倪志琪

師走の初日にバンドに立地している倪志琪(以下、倪氏)のアトリエを取材した。アトリエの廊下は30年代の古き良き時代、「東洋のパリ」と呼ばれた時代のタイル貼り。所々に欠けてい...

アジアの眼〈57〉

「有機的に、官能的に、美を信じて表現する」

――国際的アーティスト 松谷武判

1972年、吉原治良が他界した。関西を中心に活動していた前衛美術家集団GUTAI (具体美術協会)も終焉した。今年はその50周年に当たる年である。 大阪では、大阪中之島...