アジアの眼〈59〉
「100歳の誕生日にコンサートをし、今ここにいらっしゃる皆様100人をご招待させてください」
――世界最年長の現役指揮者 曹鵬

上海の王小慧芸術館にて去年の歳末に「巨匠との対談」というイベントで、世界的指揮者である曹鵬(以下、曹氏)に出会えた。

かねてからどこかでお会いしたいと思っていた方だったので、実際お会いした際は少し緊張した。会場で写真を撮りに行く皆さんを遠目で見ていただけだった。

事務所提供

上海在住で世界的指揮者の曹氏は1925年生まれの98歳、現役でまだ指揮をしている最年長指揮者である。江蘇省江陰生まれの曹氏は、10代の頃から音楽に造詣が深いことを先生方に見抜かれていた。大学では、山東大学芸術学部で指揮の勉強をし、軍の文工団(注1)で指揮者を務めていた。新中国成立後は、北京映画楽団、上海映画楽団等、映画会社のオーケストラで映画音楽を中心に仕事をしていた。のち1955年、彼は旧ソ連のモスクワ音楽大学に留学する。全国選抜で一人しか選ばれない超難関を勝ち抜いての国費留学生だった。モスクワ音楽大学では有名な指揮者・レオ・ギンズブルグに師事し、指揮マスタークラスに所属していた。

事務所提供

彼は、この貴重なチャンスを大事にし、がむしゃらに勉学に没頭し、モスクワではじめて『梁山伯と祝英台』(中国では、梁祝と略される)をオーケストラで指揮した。楽譜は当時国際電話をし、奥様に上海から郵送してもらった。上海の書店では、当時その楽譜が手に入ったという。そのモスクワ初の中国楽曲紹介が大成功を収め、ラジオで生演奏を再度行う運びになったらしいが、偶然上海にいる奥様がその時間にラジオを付け、偶然にもその演奏を聞き、涙したエピソードがある(1950年代では知らせる手段がなかった)。

事務所提供

1961年にモスクワから上海に帰国した曹氏は、上海フイールハーモニー(上海交響楽団)、上海民族管弦楽団などの指揮者及び芸術監督を歴任し、上海音楽大学や上海交通大学でも教鞭を執る。世界を周りながら指揮をする中国を代表する指揮者の曹氏、上海万博の期間は、千人でベートベンの第9を演奏し、日本だと京都大学、名古屋大学、早稲田大学等日本の市民交響楽団とも交流してきた。しかし、世界各国でオーケストラの仕事をする彼の功績以外にも特筆されるべきは、彼の音楽普及教育及びチャリティーへの情熱である。

スコットランド・アバディーン国際ユースフェスティヴァル 事務所提供

定年退職して、のんびりと老後を楽しんでもいいと思うのに、曹氏は生涯現役を心に決め、100歳まで指揮をすると言い切る。中国の国民素質をアップさせるのに音楽教育の普及は不可欠だと思っており、その使命感は旧ソ連の留学時代にすでに決まっていた。中国では、クラシック音楽は「厳粛音楽」というぐらいお高いものだと考えられているのに、曹氏は家族全員を巻き込んでクラシック音楽の普及に生涯を捧げている。二人の娘さんは、日本とアメリカから帰国し、お父さんの音楽普及のための事業と自閉症の児童たちのための事業に力を合わせている。長女の曹小夏は、日本留学後に帰国し、自分のポケットマネー10万元(約200万円)をアマチュア交響楽団の登録資金に使い、自らお父さんの都市交響楽団(中国語、城市交响乐团)の団長を務めている。次女の夏小曹(注2) はアメリカのオーケストラで8年間演奏をしていた国際派バイオリニスト。上海音楽大学で指揮を教え、上海大学音楽学院では名誉副院長を務める同時に指揮をする活躍ぶりを見せている。都市交響楽団でも首席指揮を務めている。彼女はカーネギーホールで独奏会をするほど国際的に有名な音楽家である。

イギリスで公演 事務所提供

曹氏が主催しているアマチュア楽団だけで6団体、その中には自閉症の子供たちの実習基地として「愛珈琲」「愛烘培」というスペースがある。自閉症の子供たちはそこでバリスターを務め、常に家賃や大家との折り合いが合わず、引っ越しを余儀なくされたりもした。イベントで基地がなくなりそうになった時の子供たちのショックぶりに涙が思わず溢れでた記憶がある。

クラシック音楽の大先生である指揮者が、音楽普及のために解説付きの指揮でユーモラスにすることは異例だ。専門家だけ、分かる人だけわかってくれればいいと思う人も少なくないからだ。

1955年に国費留学生としてモスクワに留学した彼は、モスクワで日曜日音楽の普及事業がどのように進められるかを目の当たりにしていた。中国に帰って中国でもそれをやろうと決心した。文化大革命が終了した際に、指揮をしていたら、観衆の爪を切る音が響いたエピソード、ひまわりの種をかじる音、雑談をする人々がいる現実に彼は焦った。解説付きの指揮を始めたのは、音楽を通してその国民素質(教養)を改善する必要性を痛感したからだ。

舞台に立って何十年――生涯現役の曹氏は、コンサートがあるたびに最前列に奥様が座っている。小さなノートにいろいろと記録しては、楽屋にやってきて今日の良かったところとイマイチだったところを指摘して帰るのが奥様(注 3) の日課。98歳の誕生日を迎えた夫が今でも舞台に立ち、公益事業で、音楽普及に打ち込んでいることに口では反対しながら、誇りに思っていると話す。

何年か前に韓国のバイオリニスト・ヒョンジュン・ウオン(Hyung Joon Won)と北朝鮮のソプラノ歌手・金松美(キム・ソンミ)の南北共演が曹氏の指揮で実現したことがあった。

音楽の普及事業に生涯を捧げ、自閉症の子供たちに音楽の力を植え付け、アマチュア楽団だけではなく、子供たちに音楽の種を撒く曹氏。彼の国際的な視野の広さと博愛は音楽家の使命を忘れない人類共通の宝ものだ。最も偉大な音楽家で、もっと世界中の人たちが尊敬を払うべきアーティストだ。

上海にこんなに凄い音楽家がいることを誇りに思う。100歳の誕生日でのコンサートを楽しみにしている。

 

(注1)解放軍所属の文芸を行う団体。歌、踊りなど舞台を時々持つ軍所属の団体である。

(注2)長女の「曹小夏」、次女の「夏小曹」の名前は、父と母の姓からそれぞれ取っている。曹氏の家庭が民主的であることを意味する。法律的には、母の姓を付けてもいいが、実際それほど使われていないからである。

(注3) 奥様は、ソプラノ歌手で女優でもあった。

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。