アジアの眼〈64〉
香川から東京へ「体に染みたリズムで描く」
――現代美術家 今井俊介

東京オペラシティアートギャラリーで4月15日から個展が開催されている現代美術家の今井俊介氏を取材した。展示会が終わりを告げようとする前日で、閉幕直前の少しだけ緊迫した気分というか、恋人同士が別れを告げようとでもする名残惜しさを味わいたいと思ったのかもしれない、と取材日時の選択を自己分析してみる。

Photo: Kazuhito Tanaka

昨年、香川に彫刻家の速水史郎先生を取材しに行った際に、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で偶然今井氏の展示会に遭遇した。今井氏の初個展だと知って相当驚いた記憶がある。ビビットな色彩感覚はコロナで滅入る心をパッと明るくしてくれた。マスク越しに久しぶりに笑顔になり元気になったことを覚えている。

今井氏は1978年福井生まれ、2004年に武蔵野美術大学大学院美術専攻油絵コース修了。鮮やかな色彩のストライプやドットの模様で構成された絵画作品を制作している。2014年に「第8回shiseido art egg賞」を受賞。資生堂ギャラリーでの広い展示スペースを生かしたインスタレーション作品の出品が多いなか、絵画作品に徹した真摯な姿勢と作品の鮮烈さが評価されたという。近年では、カルバン・クラインやNOWHOWなどファッションブランドとのコラボレーション、出力紙を素材とした大型壁面、布を用いた映像作品など表現の幅を広げつつ、色・形・構図といった絵画の基本的な要素を考察し、絵画の可能性と「観察すること」の本質への実験と探究を続けている。

photo by Wakatsuki

 

去年の真夏の7月16日から秋の11月6日までの展示会から、今年の春4月15日から6月18日までの美術館展示の開催。香川から東京に巡回したこの展示会は夏から秋、そして春へと続く。春夏秋冬の中で冬がすっぽり抜けている展示会構成に妙に納得した。

独自のポップな色彩感覚で、波や旗のようにも見えるイメージを表現した今井氏の絵画シリーズは、ある時ふと何気なく目にした知人の揺れるスカートの模様や、量販店に積み上げられたファストフアッションの色彩に強く心を打たれた体験が原点になっているらしい。以後、今井氏は具象と抽象、平面と立体、アートとデザインという境界を自由に行き来しながら、作品制作を続けている。作家さん本人の言葉を借りると「体に染みついたリズムは崩れない」ので、それに自然に乗って描くと思いのほか早く描けたという。

photo by Wakatsuki

動き始めると一気にスイッチが入る状態で、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館では13点もの新作を描いて出品したバイタリティ。コロナ禍の前に話しがあり、コロナが収束する頃に東京まで巡回するとは作家さんにも想像できていなかった展開だったらしい。

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での展示に加え、東京オペラシティアートギャラリーの巡回展では2011年から約10年にわたる今井氏の作品活動を概観したうえ、2011年より前の7点の作品が新たに加えられて構成された。偶然ではあれ、両方とも観た人には嬉しい限りの展示会構成だ。2008年と2010年の描かれた作品群は、いずれも鮮やかな色彩の組み合わせによる構成や筆致をほぼ残さないフラットな色面で、現在のストライプと共通しているが、この作品群は有機的な形態が複雑に重なり合い、また既製品の布地や壁紙を思わせる花柄のパターンが重ねられている。これらの作品はインターネット上からダウンロードしたポルノ写真をもとに描かれている。彼は、武蔵野美術大学在学中の2001年ごろからポルノを題材とするシリーズを手掛けており、猥雑なイメージに対して、パステルトーンで描いたり、極端に引き伸ばしたりして描いてきた。2008年に描かれた作品は一見華やかなお花畑にも見えるが、画面右下に黄色いハイヒールの形をみとめることができる。そこから視線はハイヒールから女性の脚へと移り、こちらに向けて脚を大きく開く女性の煽情的な姿が浮び上がる。赤、青、黄による女性の脚が塗られることもあるが、イメージの重ね合わせにより、一見イメージは曖昧になり抽象化される。露骨な卑猥さから逃れるためではない。対象に関係なく、中身が没個性化した普遍的に消費されるイメージへの作家の問いかけにも思われるだろう。「表層」としての外側と「中身」としての「内側」との関係性は、氾濫する情報化社会でほとんど意味をなくしている。

photo by Wakatsuki

作家本人の言葉を再度借りよう。「絵画である以上はその裏側には何もない。そこに入っていくことはできない。まるで風になびく旗を見ているような感覚を覚える。(中略)その色の集積に意味はなく、そこには巨大な空洞だけがある気がする。私の絵画はそういうものだ。」

コロナの前に展示会の話しが来て、美術館巡回展を実現した今井氏。ドイツなど海外でも展示会を開催されているが、更なる国際展開に広がっていく予感がする。

「スカートと風景」展示風景、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2022
Photo: KEI OKANO

生成A Iが話題になっている現在、目まぐるしくハイスピードで変化する中、確かに奥行きや裏側のない「巨大な空洞」感には同感する。

展示スペース全体を一つの大きなインスタレーション作品として展示会構成を考える今井氏は、空間と時間と人間との関係性について、今後も実験と探究を続けていくだろう。

 

 

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。