アジアの眼〈62〉
「チャックを下ろすと現実の世界に戻ってしまうバンロッホ」の生みの親
――仮想現実を約40年前に描いた漫画家 井口真吾

1984年に漫画の中で誕生したキャラクター「Zちゃん」の世界をもとに、キャラクターや仮想世界の可能性を探究する「Zプラン」を開始した井口真吾氏は、漫画家として1983年より月刊『ガロ』に断続的に10年にわたり連載をしていた。

photo by Hii

広島生まれの彼は、漫画、絵本、絵画、小説など様々な活動を通してZちゃんの世界を表現し続けている。

オーウェルの小説のタイトルとなった「1984」年、彼は26歳だった。Zはアルファベットの26番目の文字で、前世であるNが絶望し倒れたことからZが生まれる。マスクを付ける日常を強いられたコロナ禍の3年間、絶望的な状況は続いた。そして、仮想現実な世界、Web3やNFTの世界がすぐそこまで来ている。

彼等を見つめる時、彼等もまたこちらを見つめる (アトリエ提供)

ローズちゃんというキャラクターもいる。可愛いミニスカートを穿き、ショッピングが大好きな裕福なお嬢さん、買いたいものは何でも買える。だけど、森の中で迷子になってしまった。そこにカトウが現れ、ローズちゃんを導いてくれる。物質的に満たされた現代人は確かに迷子になりがちで、これはリアルな世界。Zちゃんのいる仮想世界と比べたら確かに迷いがあり、煩悩が多い。ローズヘブンの世界だ。一方のZちゃんの世界はロータスヘブンであり、仮想の世界で夢の中の世界だ。そして、「見えない世界」からやってきたクマのバンロッホ。お腹のチャックを下ろすと元いた世界に戻っちゃう。チャックの中にはダイヤモンドが!

「Zちゃん かべのあな」という絵本がある。1999年にビリケン出版から出版された絵本にはブルーのネズミと小さい壁の穴が描かれているが、そのブルーのネズミはPCのマウス(Apple社がマッキントッシュを発売した年が1984年)を隠喩しているそうだ。

ロータスヘブンで暮らすZちゃんの奇妙な人生の物語は、1992年に刊行された『Z CHAN ローズ』(青林堂)に未収録作14編を加え、待望の復刻版『Z CHAN ロータス』(青林工藝社)を刊行したのが2007年。ロータスヘブン(夢の世界)、ローズヘブン(現実の世界)、そしてその裏側に存在する見えない世界など、様々な次元が平行して展開する不思議なZちゃんワールドだ。それは時空を超えて未来から届いた思い出の物語でもある。絵本になったお腹にチャックがあるくまのバンロッホ誕生のエピソードも収録されている。

見えない世界のもつれ (アトリエ提供)

漫画家というよりは現代作家と言った方が良いかもしれない近年の彼の活動は、東京、鎌倉、広島のギャラリーや美術館での個展や二人展が相次ぐ。

自作の漫画作品の中に誕生したキャラクターとその世界をテーマに、現実の世界で生じる様々な事象を干渉させながら作品を制作し続けている。漫画や絵本の要素が再構成されたシンプルなビジュアルに、哲学的で暗示に満ちた独特の世界観がパラレルに隠し込まれている。

そして2000年以降は、活動の場を現代アートの領域に移している。

2010年に私が実行委員長を務めて企画した上海万博記念版画のプロジェクトでは、日中のトップ・アーティスト13名の一人として参加していただいたご縁がある。

3つの時空がかさなるところ (アトリエ提供)

今回、東京都内で、自分がデザインプロデュースしたスペースでの個展を企画した。バンロッホの後ろ姿や、ビビットな色のバンロッホ、ミニマリズムで抽象画でありながら緑の単色に見える絵画は、実は花びらのかずだけ同色のドットが描かれている。そしてキャンバスの縁にバンロッホの耳や足を半分ほど伸ばした描き方により、平面から立体へ、あるいは壁まで、新たな空間と絵画との関係が生まれ、拡張した。それだけではない。ローズちゃんの髪の毛、服や持ち物までもがビビットな色調に進化するなど、様々チャレンジをしてきた。SOS(save our soul)や108の点々で描かれているゼロの意味。オープニングに際し、同じ作品を求める人が殺到し、競売形式になった。非売品として展示のみになったグッズは、これから中国の美術館向けに新たなグッズ開発を進める予定で、通常のコンセプト・ショップより少なめに置いて演出した。しかし、逆光でありながら展示板の裏側に展示されたバンロッホは本当に凛々しい。

来年はZちゃん誕生40周年であり、バンロッホ誕生30周年でもある。頭文字がVRになるこの可愛いキャラクターは実に予見的だった。何か周年記念のビッグ・イベントができたらいいなと思っている。

photo by Hii

アフターコロナの実感がしてきた。上海に戻る5月1日は3年ぶりに陰性証明書も隔離も要らない入境になった。ただ審査の際に、気温が相当高い日に厚着して帽子を被っていたため体温が高くなっていたみたいで、しばらく側のイスに座っているように言われた。革ジャンを脱ぎ、帽子も取ってしばらくしたら問題なく通った。ヒヤッとしたが無事で良かった。

2016年から、井口氏はご両親の介護のために、35年間暮らした東京から広島に製作拠点を移すが、その後母親と父親両方を失した彼は、2021年4月に「Rose―祈りはどこへとどくのか」というタイトルの展示会を開催した。そうだ、祈りはどこに届くのか気になる。苦しいこの3年間で悟りは作品の中に密かに現れているかもしれない。私にはそれが見えた気がした。

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。