アジアの眼〈66〉
「内に向かって 自分の未知へ辿り着く」
――日本の現代美術家、中辻悦子を訪ねて

大阪の心斎橋で現代美術家の中辻悦子氏を取材した。兼ねてから尊敬してやまない彼女の画集を夏のアートフェアで手にいれる好機に恵まれ、画集を精読しているうちにご本人に会いたくなり、今回の取材になった。

ギャラリー提供

今年の夏は異常に暑い。暑い中での取材にも関わらず、作品の話をしている時の彼女の目はキラキラと光っていた。

高度成長期に活動した前衛的アーティスト集団で、近年、世界的にも注目を集める「具体美術協会」(1954~1972年、通称、具体「GUTAI」)。解散から50年の節目を迎えた2022年10月から23年1月まで、大阪中之島美術館と国立国際美術館の共同企画で展覧会「すべての未知の世界へ―GUTAI分化と統合」を開催している。

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大阪中之島美術館と道路を一本隔てた南側に位置する国立国際美術館では、具体の【統合】をテーマに展示を構成している。「バラバラにまとまっている」と逆説的に表現される、具体の共同理念について考える材料となる作品76点が並ぶ展示だ。コロナ禍でマスクを付け、2回も見にいった記憶がある。

【統合】第1章のタイトル「握手の仕方」は、具体のリーダーであった吉原治良(1905~1972年)の「具体の美術は、精神と物質が対立したまま握手している状態」との思想から引用されている。具体(GUTAI)のメンバーである元永定正(MOTONAGA SADAMASA 1922-2011年、画家、絵本作家)の妻という肩書きで世間では語られがちな中辻氏だが、本コラムでは彼女自身について書きたいと思っている。

Etsuko NAKATSUJI_記憶の残像-ひとのかたち K50-2 2017 acrylic on canvas 116.7x91cm ギャラリー提供

2012年に国立新美術館の展示会で開催された「『具体』―ニッポンの前衛 18年の軌跡」という展示会が国立新美術館開館5周年企画展として7月4日~9月10日まで開催された。「具体」が結成された1954年は、戦後復興の起爆剤となったいわゆる「神武景気」が始まった年で、1972年の解散後にはそれまで右肩上がりだった経済成長にストップがかかる「オイルショック」があった。「具体」が活動した18年間は、日本の高度成長期にピッタリと重なるとも言える。

加えて、翌年の2013年にはニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された回顧展とロサンゼルス近代美術館の展示会がきっかけとなってGUTAIの再評価の兆しが高まり、さらに知名度が広がった。

Etsuko Nakatsuji_Untitled_2019 162×260.8_acrylic on canvas ギャラリー提供

そして、2022年には中之島美術館で開催されたGUTAI展のエントランス天井を飾る元永定正『作品(水)』(1956年)の再制作が行われ、以前に「野外具体美術展」で発表された色とりどりの水の作品がパッサージュを彩ることになる。

中辻氏には、元永定正の妻という肩書きが常に付いてまわったと思う。興味深いことに2020年12月開催の「開館50周年 今こそGUTAI 県美の具体コレクション」(兵庫県立美術館 特別展)では、女性作家の作品が多く展示されていたことだ。夫婦ともに在籍していたカップル作家が60人のメンバー中には何組かあった。中辻氏は具体のメンバーではなかったが、元永との共著の絵本から共同制作のモニュメントなど、共同での作業が多くあったため、「具体」的だと思われていた。

彼女にとっては、元永との出会いがこの世界に入るきっかけだったかも知れない。ニューヨーク時代、近所に住んでいたという詩人で絵本作家の谷川俊太郎は、元永の描く絵を「具象にしては不定形でありすぎ、抽象であるにしてはいきいきしすぎている奇妙な存在たち」と評し、元永の語った「大阪流に言えば、けったいな作品」、「何か分からない。そのへんに創作のおもしろ味がある」と自身の作品を評価する言葉が強く印象に残ったらしい。絵本でたくさんコラボ作業をした二人はその本の構成を時々中辻氏に委ねていた。『あみだだだ』がその一例だ。

浮かぶ街/ Flooting City (installation art) 2022 ギャラリー提供

中辻氏は、20代の頃より、自身の創作活動の象徴としての〈目〉や〈人の形〉を、絵画、版画、立体、絵本、インスタレーションなどにより、たゆまず表現し続けている。

生涯の伴侶である元永定正を通して早くから「具体」の創作精神に触れ、お互いが共鳴するようになる。有名な画家の妻として、子供たちの母としての役割が大きくフォーカスされがちだが、彼女はその中でも、自然体でありながら強い信念を持って、時間や場所、方法を見つけ出し、自分だけの表現言語を追い求めてきた。

「もーやん えっちゃん ええほんのえ」展覧会は二人展になっていて、地元の方言で親しみを込めて呼ばれた愛称をそのまま引用している。その彼女の自然体が最も大きな魅力にも思える。

2022年に生誕100年を迎える元永定正の文献整理作業などで忙しいながらも、自身の内面との対話を続け、同年、神戸にあるBBプラザ美術館で3カ月弱の個展を開催している。

1963年にすでに東京画廊で初個展を開催している彼女は、60年代から第14回芦屋市展 日本油絵具賞、第10回朝日広告賞等、数多くの受賞を重ね、1966-67年はニューヨークに滞在する。1978年にはエリック・サティの人形のためのミニオペラ『ジュヌヴィエーブ・ド・ブラハン』(秋山邦晴企画・日本初演)の人形制作と舞台美術を担当し、1986年に再演されるほどの人気を誇る仕事だった。1998年に大阪府立現代美術センター主催の現代版画コンクールの大賞受賞、1999年に絵本『よるのようちえん』が第17回ブラティスラバァ世界絵本原画展グランプリ受賞、2001年に亀高文子赤艸社賞を受賞し、2015年には兵庫県文化賞を受賞している。

ネットではまだグラフィック・デザイナー、絵本作家、現代美術家と書き記されているが、今は主に現代美術家として作品制作を続けていると言った方が正しいかも知れない。

そういう60年代初期の初披露の作品から最新作までを網羅した作品展がBBプラザ美術館での個展だ。

中でも、最新作は「空間」を意識したという。真ん中に大きな円。その上には大小さまざまな木片が並び、まるで街並みが広がるように見える。その中央に同じく木片を組み合わせた「人形(ひとがた)」が吊り下げられていて、一つは床に足が付いている。鏡張りになっている空間を活用し、「ある」と「ない」ことの関係性、虚と実の世界を表現した。そして、作家として「自分の内側に向かって」真摯に向かい合いたいと語る。さらに彼女の作品が世界の美術館を廻る予感がしてやまない。

 

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。