国交回復後の50年を生きなおす(5)
「台湾問題」:日本社会はどう映っているか

 この秋、日本社会の戦争観に関する文献を中国の大学院生と輪読した。田中角栄元首相に関する受講生の反応が興味深かった。「私たちが受けた教育の中では、田中は中国への侵略だったと認め、国交正常化を推進するなどした行動が肯定的に評価されていた。しかし、文献の中で語られている田中像はそれとは少し違っていて、私たちはより完全な田中角栄を見出した」。戦争責任に向き合い、国内の反対派を押し切って国交回復を進めたという田中の人物像は、「平和国家・日本」という広く共有されているイメージと重なる。

 この学生が初めて触れた田中の姿とは何か。国交回復まもない1973年の国会で田中は、「端的に侵略戦争であったかどうかということを求められても、私がなかなかこれを言えるものじゃありません」と答弁していた。翌年には、日本の植民地支配に関する国会質問に応じた。「私は、かつて日本と朝鮮半島が合邦時代が長くございましたが、その後韓国その他の人々の意見を伺うときに、長い合邦の歴史の中で、いまでも民族の心の中に植えつけられておるものは、日本からノリの栽培を持ってきてわれわれに教えた、それから日本の教育制度、特に義務教育制度は今日でも守っていけるすばらしいものであるというように、やはり経済的なものよりも精神的なもの、ほんとの生活の中に根をおろすものということが非常に大切だということで、今度のASEAN五カ国訪問で、しみじみたる思いでございました」(吉田裕『日本人の戦争観』)。これらの発言について吉田は、「日中戦争の問題にしろ、植民地統治の問題にしろ、日中国交回復の直接の当事者であった人物が、この程度の歴史認識しか持ちあわせていないということ自体が大きな驚き」だと指摘する。同じ感慨を、中国の若者も共有していた。

「中国脅威論」が高まる今、それに危機感を抱き、日中関係を好転させたいと考える人々も僅かだが存在する。その中で、田中角栄を再評価する動きが見られる。困難な時代に国交回復を実現したことは確かに大きな成果だ。ただ、田中の歴史認識が当時も今もそれほど問題視されていないことは、日中間の観点の落差を物語る。

 台湾問題についても同じことがいえる。安倍晋三元首相が「台湾有事は日本有事」だと発言して以降、ウクライナ情勢などとも連動する形で、台湾問題は日本の安全保障上の懸案だとする認識が定着しつつある。世論は防衛費のための増税には反対しても、中国の「脅威」に備える軍事力強化の見直しには繋がらない。

 国交回復時の両首相会談記録には、台湾問題についての田中の発言も残されている。

 「日本政府としては、今後とも『二つの中国』の立場は取らず、『台湾独立運動』を支援する考えは全くないことはもとより、台湾に対し何等の野心も持っていない。この点については、日本政府を信頼してほしい」(「日中国交正常化後の日台関係」)。

 この段階では、「台湾有事」は中国国内の主権問題であって、日米など諸外国の関わる問題ではないこと、独立運動があっても関与せず、領土的な野心もないことを示すことが、信頼と平和の基盤になると自覚されていた。

 これらを踏まえれば、日本政府が国交回復時の対台湾認識を大きく転換させていると映るのは当然である。台湾独立を掲げる勢力に米国や日本が積極的に関与し、支援している現実は、日本は本当に平和国家なのかという疑問を抱かせるのに十分だろう。

 このことは、国交回復の理念を愚直に実践してきた数少ない平和団体の認識が逆に照らし出してくれる。

 戦時中、秋田県の鹿島花岡鉱山に986人の中国人が強制連行された。虐待に耐えかねて蜂起した中国人を住民挙げて武力鎮圧した結果、400名以上が死亡した(花岡事件)。この地域社会の戦争責任に向き合ってきた平和団体の一つに、「花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会」がある。同地の加害行為を全国の市民や学生とともに共有することを反省実践としてきた(写真:毎年6月に同碑を囲み、不再戦を誓い続けている)。その会報「いしぶみ」141号(2022年11月)には、国交回復50周年にあたっての所感が記されている。日本各地の平和団体や、外交による平和実現を掲げる市民運動・NPOのなかでさえ、中国を大国主義、膨張主義が進む軍事的脅威だとみなす前提が根強いだけに、印象的な内容だった。 

 「私たち『まもる会』〔の目的〕は文字通り、『日中不再戦友好碑』を中心に日中国民、ひいては両国の交流を通して友好・平和を永くまもることにある。二度と花岡事件を起こすなということにある。平和憲法を持つ日本が隣国、中国や北朝鮮を敵視し、軍事増強のため軍事費を大幅に増やそうとしている。今、戦争を体験した国民が少数になってきているというのに、50年、77年の努力を無駄にしてはならないという思いを強くしている。」

 ここには、「中国脅威論」や朝鮮民主主義人民共和国への剥き出しの敵意は、まったく共有されていない。平和憲法を掲げながらも、隣国を敵視し、「防衛費」を増やすという現在の日本社会のあり方に、大きな変質と危機感が見出されている。憲法9条を掲げさえすれば平和主義であり、平和国家であるという認識とは程遠い。むしろ憲法の理念とは裏腹に戦争する側に回りつつある日本社会を、憲法の平和理念に近づけていく必要があると考えている。最近届いた同会代表からの私信では、「平和教育の『平和』も“戦争の準備に”の枕詞(まくらことば)にされるおそれがあります」と記されていた。「平和」の概念や「平和運動」が多義的に使われる複雑さ、危うさを指摘している。

 このようにみていくと、50年前の国交回復の理念が後退、変質しているからこそ、台湾情勢が「問題」化していることが確認できる。その奥には、「平和国家」という日本社会の自己像の問題性が浮かびあがる。他国への侵略として先の戦争を反省しているなら、台湾問題に積極的に関与する動きが生まれるはずもない。植民地主義として台湾支配を捉えているなら、「日本有事」という発想が植民地主義そのものであることにもっと敏感でありえただろう。少なくとも、中国はじめ戦争被害国からは、憲法9条があるから平和国家だというナイーブな捉え方は共有されない。

 50年を掛けて、戦前の体質と決別するどころか、逆行する地平に私たちは立っている。そう認識することが、「生きなおす」出発点となる。

(本連載は「山西抗日戦争文献捜集整理与研究(19KZD002)」の成果の一部である)。