国交回復後の50年を生きなおす(2)
第20回党大会報告と国交回復の含意

国交回復50周年を振り返り、新たな展望を考えていく上で、手がかりとなる文書が中国で先月発表された。第20回中国共産党全国代表大会の「報告」である。日本のメディアではその一断片がセンセーショナルに取り上げられたが、実際には、中国が今後どう歩んでいくのかというビジョンを内外に示した文書である。隣国が何を考え、どこに向かおうとしているのかを知ろうとするなら、まずは虚心に読み解く必要がある。本連載との関連でいえば、中国がなぜあのような形で国交を回復したのか、そこにどんな願いが込められていたのかを再確認させてくれる。

 同「報告」は、5年に1度の党大会で発表されたもので、過去5年を振り返り、次の5年の目標を提示する内容になっている。経済発展や党改革、安全保障などのテーマに注目が集まりがちだが、全体としてはそれらが突出しているわけではない。教育、民主統治、法治、文化、福祉、環境問題、一国二制度、人類運命共同体など、多岐にわたるテーマが取り上げられている。中国社会は異質だと見なされがちだが、国内の課題は実際には日本社会のそれと共通点が多い。内容を見れば、その克服策にも同型的なものが多いことが見えてくる。経験や方策をめぐって交流する方が、対立するより得られるものが多いのではないか。

このうち、国交回復以降の日中関係に関連する2点に触れておきたい。

 まず、一国二制度について。1997年に香港がイギリスから中国に返還された。植民地ではなく中国領土になった以上、「一国一制度」となるのが通常だ。しかし、返還にあたってイギリス側が、高度の自治と返還前の社会・経済制度の維持を条件にした。領土の主権は中国に移っても、中国本土とは別の体制の存続を求めたのである。社会主義と資本主義は「相容れない」体制のため、香港を社会主義圏に編入させないという冷戦思考だ。米欧や日本が戦後、対共産圏封じ込めを実施したように、資本主義諸国は社会主義圏を異質なものとみなし、排除、制裁といった手段で抑圧してきた。

 植民地主義の終焉どころか継続性を隠そうともしない要求だが、当時社会主義市場経済制度を実行していた中国はこの条件を受け入れた。国際金融拠点だった香港を通じて資本主義制度の効率性や科学技術の発展に学ぶ積極的な機会と捉え、紛争化せず平和的に統一することも重視した。敵対視されてきた資本主義の長所に学び、短所を社会主義制度で補うことで新たな平和発展モデルを生み出す創造的挑戦が、一国二制度だった。

近年、この取り組みを外部から破壊しようとする策動が香港や台湾で続いている。それでもなお、今回の「報告」においては、「文明間の差別を文明間の共存によって解消し」ようと、平和的統一のための一国二制度の堅持が提唱された。「われわれは最大の誠意をもって、最大の努力を尽くして平和的統一の未来を実現しようとしているが、決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置をとるという選択肢を残す。その対象は外部勢力からの干渉とごく少数の『台湾独立』分裂勢力およびその分裂活動であり、決して広範な台湾同胞に向けたものではない」。

 同様に考えれば、人類運命共同体や一帯一路が、周辺地域の経済的支配を図るものではなく、多様な経済・政治体制や文化、宗教を抱える周辺国との違いを残したまま、地球上の国々がいかに協同的に発展していくかを志向する共生事業であることも見えてくる。

こうした共存、協調志向の対外政策は、外国からの脅威に晒された末に、戦略的な方策として出てきたものではない。「報告」の中でも、「中国は終始一貫して『世界の平和を擁護し、共同発展を促進する』という外交政策の趣旨を堅持し」ており、その先に、「人類運命共同体の構築を推進」してきたと記された。「あくまで平和五原則を踏まえて」という文言の通り、1950年代以降一貫して、「強国が弱国を虐げ、だまし取り強奪する」ことで得られる発展ではなく、協調・対等・共生志向の「平和的発展」を追求してきた。

 異なる他者や敵対者に対するこうした独自のアプローチの歴史的文脈を確認することで、中国が日中国交回復に込めた含意が浮かび上がる。戦後も戦争状態を終結させないまま、米国とともに中国封じ込めを遂行する日本という異質な他者を相手にした、共生のメッセージだったといえる。中国敵視を続けながらも賠償放棄を要求する理解し難い日本の姿勢を拒絶せず、あえて受け入れたのは、そうすることで未来に起こりうる自省的変化に期待してのことだった。戦争被害国として最大限の寛大さを先に示すことで、敵対政策の必要性、妥当性を日本の側から内破させ、新たな関係性の模索が始まる未来に賭けた。近代以降、欧米列強による侵略と巨額賠償で苦しんだ中国の経験を、日本の民衆に背負わせたくないという国際主義的相互性も作用していた。国交回復当初、中国は日本を通じて先進技術や経済管理方式に学び、改革開放を進展させ、日本は中国への事業展開を拡張するなど互恵・共生関係が一定程度形成された。一国二制度や人類運命共同体の基本的発想を先取りしていたといえる。ただ、90年代以降は新しい次元の友好・信頼関係に発展するどころか後退局面にある。

 本誌はビジネス・リーダー向けの記事が多い。「共同富裕」を前面に出した中国の経済政策に不安を覚える向きもあると聞く。「報告」の中で共同富裕が中国式現代化の一つの指標として掲げられたのは確かだが、経済発展を抑制してでも社会的平等を優先しようという政策ではない。市場原理主義の行き着く先が格差拡大と環境破壊であることは、19世紀以来の根本的矛盾である。経済のグローバル化によってそれは先鋭化し、経済成長と格差解消・環境保護をどう両立させるかは、現代世界に共通する難題である。「報告」は、これを愚直に克服するための具体策で満ちている。決して「閉鎖的で硬直したかつての道」は選択肢とせず、「経済のグローバル化」を「正しい方向」として堅持すると謳われた。技術革新を環境保護に繋げ、経済成長で生まれた富の積極的な再分配によって、農村はじめ格差の是正に成果を上げている。共同富裕もまた、資本主義国で課題となっている格差拡大への対処策と基本的アイデアは変わらないといえる。