アジアの眼〈51〉
多度津が生んだ世界の巨匠
――彫刻家 速水史朗


photo by Miyatake

 

香川の多度津町で日本を代表する彫刻家の一人である速水史朗(以下速水氏と略す)を取材してきた。

建築家の伊丹潤がデザインしたスタジオは、やはり周囲では格別に目立つカッコいい建物である。速水氏は、生まれ故郷の多度津をほぼ離れずに、ここから世界に向けて作品を発表しているアーティストだ。

1927年生まれの速水氏は、徳島工業専門学校機械科(現・徳島大学工学部機械工学科)を卒業。和瓦を用いた黒陶と石彫の作家である。モニュメンタルな作品やパブリック・アートが多く、東京都庁や国立科学博物館、大原美術館などをはじめ,全国200ヶ所を超えるパブリック・スペース等に作品が設置されている。

速水氏の歩んできた道には、様々な出会いがあり、その出会いの一つ一つを丁寧に活かす才能と人徳を備えていた。まず、理科の教師を務めた時の同僚で先輩の松村礼一との出会いは大事なきっかけとなった。さらに、新田藤太郎との出会いも彫刻の道に進む決定的な要素となった。また、瓦職人の三谷正年と和泉屋石材店・石のアトリエの和泉正敏1という二人の職人との出会いは、瓦と石の作品制作において絶対に欠かせない出会いとなった。

速水氏の芸術活動は、初期の油彩による平面作品制作に始まる。次いで、石膏やコンクリート、鉄などの試行錯誤を経て、「瓦」と「石」にたどり着く。

 

ギャラリー新宿で「オバケ」と称する480にも及ぶ作品群を展示したのが彼の最初の発表だった。奥さんと二人で香川から運ばれてきた作品を目の前にして、嬉し涙を見せた二人のエピソードは有名だ。

その後、ギャラリー上田とのカッコいい空間での展示会、村松画廊での展示会へと繋がり、ここ20年以上は、毎年10月の誕生日に銀座のギャラリーせいほうで新作展を続けている。

これまで、東京、高知、神戸、宇部、箱根など全国各地の野外彫刻展に積極的に参加し、数多くの賞を受賞している。彫刻の森美術館大賞展優秀賞(73年)、須磨離宮公園賞(74年)、東京都美術館鑑賞(76年)、宇部市野外彫刻美術館賞(77年)、神戸市教育委員会賞と栃木県立美術館賞(78年)、群馬県立美術館賞(79年)、東京国立近代美術館賞(80年)、京都国立近代美術館 賞(85年)琵琶湖現代彫刻展優秀賞(81年)、第二回ヘンリー・ムーア大賞展優秀賞(81年)等、芸術活動の初期だけでも国内外で数多くの賞を受章している。

また、日本陶芸展やイタリア・ファエンツァ、ローマの現代陶芸展にも出品し、モニュメントや壁面レリーフにも挑戦するなど、活動領域を広げていった。

日本全国の様々な公共の場では、自然に速水彫刻を目にすることが多い。代表的なのは、東京都庁前に設置された「宇宙からのメッセージ」だ。猛威をふるうこのコロナ禍でも速水氏の創作意欲は依然として高い。2020年に高松築港駅の近くに新たに設置されたモニュメント「SETO」は、後方に電車が走り、玉藻城が見渡せる。名誉町民にもなった多度津町の新庁社に新作モニュメント「出会い」が設置され、5月中旬の落成式に合わせてお披露目されるということだ。

東京都庁 「宇宙からのメッセージ」1991 photo by 畠山崇

 

半世紀にわたる創作活動の中で、瓦のオバケたちがいろいろと変身しながらアトリエを出ていくと彼は述べる。作品群の命名からも垣間見えるように、速水氏は文学にも造詣が深く、詩人の大岡信から贈られた「萌え勝る八百の坊主頭よ、速水史朗に」という詩がかつてギャラリー上田の個展会場に飾られたこともある。今は、スタジオの壁に飾られている。

また、詩人の高村光太郎への憧れがあった。その高弟だった三ツ村繁と土方定一との出会いもあった。詩人で評論家の建畠哲とも親交が深く、何度も評論文を寄せている。高村光太郎は、「彫刻の命は詩魂にあり」という言葉を残しているが、その言葉の通り、彫刻家である速水氏の心の奥深くには詩情が溢れている。そして、それが作品に自然と滲み出て、作品の温度として観るものの心を、そして魂を動かしているのだ。

イサム・ノグチや猪熊弦一郎も暮らしていた香川、速水氏は彼らとも親交を深めたが、ここでは言及しない。

香川県立丸亀競技場 「記録の門」 1997 アトリエ提供

 

瓦と石彫で知られる速水氏の作品シリーズ、「オバケ」シリーズから、「しばり」シリーズに至るまで、素材の試みとして、地元の肥松や漆との組み合わせにも挑んでいる。速水氏らしいユニークな作品群が精力的に制作され発表されるに従い、異素材たちへの試行錯誤を余儀なくされている。

今でも地元で教え続ける速水氏は、故郷を常に暖かい眼差しで見つめ、その中からオリジナルで豊かな作品を創造し続けている。

「土はやさしそうでいて頑固である。石は厳しそうであるが素直である」と彼は述べる。故郷の多度津町にこだわり続け、多度津から世界に向けて発信している生涯現役の巨匠、あくなき挑戦は続くだろうと想像する。自然体で創作活動を続けている速水氏、大原美術館の中庭に設置された「道標」のように、多くの迷える人たちに進む方向を教えているような気がしてならない。「好きなことをするのだ」と。そして、今日もオバケたちは、変身を続けている。彼の頭の中で、手の中で。95歳を迎える今、生涯現役で世界に新作を発表し続ける速水氏、尽きない発想の向こうにある温かい眼差しは常に世界へと向いている。

洪 欣 プロフィール

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。