明 信江 在日中国厨師精英協会会長
中国料理で中日両国国民の心の交流を

2022年は、中日両国にとって特別な年である。50年前、両国の多方面の努力によって中日国交正常化が実現し、半世紀の間、紆余曲折を経ながら中日関係は安定的に発展を遂げてきた。日本で奮闘する華僑団体は、間違いなく中日関係の発展に大きな役割を果たしてきた。本年の大型シリーズ企画として、「在日華僑団体トップが語る中日国交正常化50周年」をお届けする。

「世界で食の多様化が進む中、長きにわたり、中国料理は独自の地位を占めてきました」。在日中国厨師精英協会の明信江会長は、われわれの取材に応え感慨深く語った。中日国交正常化50周年をめぐって、明信江会長は自身の思いを滔々と語ってくれた。

相手を尊重し、理解と友情を深める

1972年の中日国交正常化によって両国の民間交流は盛んになり、日本では中国の食文化がより一層身近なものとなった。数十年の歴史を有する飲食チェーンが、本格「中国料理」のフランチャイズ1号店をオープンするに当たって、本場のプロの料理人を探し、メニューを充実させ、ステイタス向上に取り組んでいる。担当者は何度も中国を訪問し、名菜と名料理人を訪ね歩いている。明信江もそのひとりである。

明信江はかつて、重慶の高級外資系ホテルで料理長を務めていた。当地では最年少の国家一級厨師であり、料理人として常に第一線に身を置いてきた。2001年、日本の担当者の誠意に心を動かされ、さらには伝説の日本の匠の精神に魅せられ、調理を学ぶため、単身東京に向かうことを決めた。

在日中国厨師精英協会が交流会を開催

中国で見出されてやって来た料理人たちは、中国国内では優れた腕前をもち、総料理長を務めるなどしていたが、配膳や洗い物といった基礎から始めなければならず、腕前を発揮できるチャンスもなく、やりきれない思いでいた。

明信江会長は過去の栄光を捨て、日本の料理人から謙虚に学び、変革を怠らなかった。彼が考案した「四川料理24の味」は、日本人の食習慣を尊重しながら、中国の技術と日本の手法を融合したもので、日本の中国料理の味やグラデーションを豊かにし、日本側の責任者を納得させた。明信江会長自身、支店の料理長からグループの総料理長に昇格し、グループ会社の中華事業部を質量両面で大きく飛躍させた。

協会を設立し、業界を整備し、相互協力を図る

「20年前、中国の料理人は日本の料理人の仕事に対する真剣さに感服していたものです。20年後、日本の料理人が中国の料理人から本格的な中国の郷土料理を教わるようになりました」。明信江会長は、中日国交正常化がもたらした変化を生き生きと語った。

いつの頃からか、中国人は「三把刀」(カミソリ=理髪店、包丁=料理人、ハサミ=仕立屋)によって海外で生計を立てるようになった。早くに日本に渡った中国の料理人は、労働環境は劣悪で職も限られ、専門的な技術を発揮することは難しかった。

在日華僑華人や中国人観光客が年々増加し、中国の国際的イメージが改善されていく中で、中国料理文化は世界に広まり、日本市場においては品数の多様化、味の個性化、食材の地域化が進んだ。また、中国の料理人の地位は著しく向上し、中国料理の伝統的な魅力を追求しつつ、より日本人の好みに合ったものへとアップグレードされていった。中日国交正常化から50年の間に、日本の中国料理は麻婆豆腐、天津飯等、中国の四大料理が揃い、独自の特長を持つ美食の数々が生まれた。

2017年1月、そうした潮流に鑑みて、業界の相互協力と共同発展のためのプラットフォームとして在日中国厨師精英協会が設立された。

2017年6月、在日中国厨師精英協会の代表チームが「国際美食フォーラム・第二回アジア国際厨神(中国開花)コンクール」に出場し、団体の部で金賞を受賞

休日の不一致、運営資金の逼迫等の障害を克服し、協会は定期的に交流会を開催している。料理人が持ち回りで地方の名菜や得意料理を披露し、レシピや経験を参加者と共有したり、日本の市場のニーズに精通した著名なグルメブロガーや料理の達人を招いて試食してもらい、アドバイスを受ける場になっている。

協会はさらに、オンライン・プラットフォームを開設した。質問を投稿すると、即座に丁寧な回答が返って来る。日本で働く中国の料理人たちの「家」となり、帰属意識が生まれた。

新型コロナウイルス感染症の流行とともに、明信江会長は協会を率いて迅速に行動を起こした。安全を確保し、集客を維持し、安定した経営ができるよう、グループ会社の所在地で実施された先駆的な防疫対策を同業者に紹介した。さらに、多方面の資源を動員して、祖国と在日同胞の防疫に駆け付けるとともに、在日の同業者に防疫物資を支給した。

2017年8月、在日中国厨師精英協会の代表チームが「中国料理世界選手権」で優秀な成績を残した

は媒体、箸は架け橋、友好は世代から世代へ

長年の仕事の無理がたたり、明信江は胃を患っていた。日本に来た頃、再び持病が彼を襲った。痛みにこらえきれなくなって病院へ行くと、医師は彼が日本語を話せないことを知り、懇切丁寧に接してくれた。

同僚たちも彼を気遣った。総料理長夫人が見舞いに駆け付け、家族に無事を知らせるようにと国際電話プリペイドカードを手渡してくれたという。人と人は心を通わせることで、言葉や国籍や民族の壁を越えられるのである。

国交正常化直後、多くの日本の優れた映画やテレビ作品が中国に入り、文化的土壌が疲弊した中国に潤いをもたらした。「忍耐、勇気、善良……これらの優れた資質はすべての人が持っています。国交正常化からの50年、中日関係には軋轢もありましたが、両国国民の平和と発展を願う気持ちを押しとどめることはできません」。

「中国も日本もグルメ大国で、箸を使い、米を主食とするなど多くの共通点があります」。在日中国厨師精英協会の活動は、日本の人びとの間で温かく受け入れられており、明信江が加盟する日本の飲食店グループの責任者も協会の公益活動に支持を表明している。明信江はこうした動きに大いに励まされ、在日中国厨師精英協会をより一層発展させたいとの信念を強くしている。

2019年、招待を受け、在日中国厨師精英協会が「チャイナ・フェスティバル」に出店

明信江会長は率直に語った。「中国は食品衛生面への着手に後れをとり、悪しき報道もありましたが、キャッチアップを加速し、絶えず改善に取り組んでいます」。協会は、中日関係の次の50年の発展への自信を揺るぎないものにするために、日本の飲食業従事者を中国に招き、中国の発展と進歩を体感してもらい、中国の飲食業従事者を日本に招いている。

取材後記

取材を終えると、明信江会長は記者に強く訴えた。「日本政府は感染防止対策として新たな入国制限を設けました。現在、店では人手不足が深刻です。しかし、われわれはサービスの質を落として、お客様に悪い印象を与えることはできません。海外において、中国料理は中国の文化と中華民族を象徴するものだからです」。