アジアの眼〈48〉
「デザイン」を伝統に取り入れた匠
――八代(高田)焼宗家の若き継承者 13代目上野浩平

Photo by Iwakawa

 

熊本市内から知人の車で八代(やつしろ)に向かった。上野(あがの)窯の13代目なら70代か80代の高齢者だと想像していたが、40そこそこの若き職人であったことに一瞬驚きを隠せなかった。

八代(高田=こうだ)焼上野窯の歴史は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄の役、1592年)の際に、加藤清正に従い渡来した陶工・尊楷(後に上野喜蔵高国と改名)が、慶長七年(1602年)、細川忠興公の小倉入城の際に招かれ、五人扶持、切米十五石を下し置かれ、豊前国、上野釜の口(現・福岡県田川郡福智町上野字釜の口)に開窯したのが始まりとされている。

Photo by Iwakawa

 

寛永九年(1632年)、細川忠利公の肥後御国替の際に、初代喜蔵、並びに長男忠兵衛、三男藤四郎が三斎(細川忠興)公の八代入城に従い、八代高田郷に開窯した奈良木窯が八代(高田)焼第一の窯である。発掘された陶片からは上野釜の口窯と同様にさまざまな釉薬が使用されており、なかには南蛮手や古唐津などの作風も見られ、高台の畳み付に赤貝が敷かれた作品も見受けられる。

その後、万治元年(1658年)奈良木より平山の地に移窯(平山窯)し、藤四郎(第二家)の次男・太郎助(喜楽)が分家して第三家を興し、この時代に発達した象嵌(ぞうがん)の技法は、単純な文様や幾何学的な押印が中心であったが、中期から後期にかけて繊細華麗な描線で花鳥 風月をリアルに表現する方法が主流になっていった。

このように平山窯では、上野家の三家が幕末まで細川家の御用焼を続けたが、明治維新の変革の後、第一家の七代才兵衛は明治二十五年(1892年)、陶土の産地日奈久へ窯を移転し、十代平(昭和3年、花瓶一対を天皇陛下に献上、昭和四十六年[1971年]春、勲六等瑞宝賞受賞)、十一代助(平成九年 [1997年]秋、勲七等青色桐業賞受賞)を経て、十二代当主浩之、並びに長男浩平が四百余年に亘る伝 統を守っている。

八代(高田)焼の特徴である象嵌青磁の技法は、朝鮮の高麗時代に発達したもので、現在、日本では八代(高田)焼のみが、この技法を守っている。象嵌は、半乾きの素地に竹べら、または押印によって文様を彫り込み、その凹部に長石を埋め込むもので、手数がかかるため生産量は限られている。出来上がりは極めて高雅で上品なため人気を博している。

代表的な文様として、雲鶴手、三島手、暦手などがよく知られており、その他に桜、牡丹、菊、蘭、竹、竹、唐草なども手がけている。

酔蛙銚子/窯元提供

酒を注ぐための銚子。本体を酒の蓮池に見立て、その蓋には池めがけてダイブする酔った蛙をあしらっている

 

また、主に江戸時代末期に制作された白高田や、古上野、古八代にも見られる黒高田・刷毛目・焼き 締め、鉄釉、練込、辰砂なども少量ではあるが手がけている。

なお、上野家の家紋は黒い蛇の目で、加藤家より拝領している。ほぼ同じ時期に朝鮮半島から連れて帰られた、400年の歴史がある他の窯元の当主が十六代目になっているのに対して、上野焼が十三代目なのはなぜかと尋ねてみた。初 代以来、80代まで長生きする長寿のDNAが理由だと、家系図を見せられて合点がいった。殊に、 浩平の祖父にあたる才助は92歳まで長生きした。

上野浩平(あがの・こうへい、以下、上野氏と略す)は、1602年開窯、肥後国熊本藩御用焼物「八代焼宗家上野窯」の13 代目で、父親の12代と一緒に窯元を守っている。彼は、東京藝術大学美術学部工芸科・工芸専攻彫金研究室を卒業後、京都市産業技術研究所・伝統産業技術後継者育成研修の陶磁器コースでの研修を経て窯元に帰郷している。東京藝術大学の彫金研究室での学びは、上野氏が創作する際に、代々受け継がれてきた伝統的な技法に、デザインや現代アートのスピリットをも吹き込んでいることに繋がる。半乾きの素地に彫りや押印を施し、その凹部に白土を埋め込み、精緻な文様を表現する象嵌青磁の技法を代々受け継ぐだけではなく、そこに独自のデザイン、建築の要素を組み込むことを精力的に行っている。そこには異素材とのコラボあり、建築デザインで常用する造形などが垣間見られる。

霞鼠麦穂文花器/窯元提供

地元で採掘する白土と黒土を合わせて作る八代焼独特の青磁。その配合比率を変え、無数の階調のグレーの陶土を作りだし、グラデーションのように象嵌する「霞鼠(かすみねず)」と名づけた独自の技法

 

近年では、「LEXUS NEW TAKU-MI PROJECT2016」で熊本県の匠に選出され、リバーシブル食器シリーズ『双器/そうき』や、配合を変えた土を階調ごとに象嵌し、グラデーションを表現する技法『霞鼠/かすみねず』を発表するなど、地産陶土が持つ色の美しさを活かす表現を試みている。

東京藝術大学と京都での修業を経て帰郷した上野氏は12代である父浩之に師事し、代々受け継がれる伝統技法の修得に励むようになる。 高田焼には、象嵌青磁以外にもさまざまな技法があるが、伝統技法の継承に誇りを持つ陶工たちの手によって代々大切に守られてきた。数ある工程の中でも、土作りは高田焼の要だと言われている。高田焼の青磁は、釉薬自体で発色させる一般的な青磁とは異なり、鉄分の多い素地をガス窯による還元法(注1)で焼 いて、土そのものの色を生かす。

霞鼠七宝文水指/窯元提供

七宝(しっぽう)文様は仏教における七種の宝を指し、円形が永遠に連鎖し繋がる姿に円満・調和などの願いが込められた吉祥文様。七宝文様を「霞鼠(かすみねず)」で表現し、奥行ある連続文様を生み出している

 

若き才能の伝統への伝承と現代への進化、そこには400年以来間断なく続けてきた上野家系図への誇りと、独自のデザインや現代を生きる新しい美的センスの組み合わせの大胆な革新が新鮮であり、楽しみだ。

「変わらないもの」の伝統、そこに「デザイン」と建築学の「変わるもの」が加わり、新たな進化が生まれる。伝統を知り、守りながら発展させる若き伝承者の未来が人類の共通の遺産を守るのだ。

(注1)還元法:酸素が足りない状態で、いわば窒息状態で燃焼が進行する焼き方を指す。

 

洪 欣 プロフィール
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。