アジアの眼〈46〉
「自然とコラボして仕事しているのだ」
――写真家 秦一峰

Photo by Zhangyu

 

上海郊外のベネチア・ガーデンという名の別荘地に立地しているアトリエで、写真家の秦一峰氏(以下、秦氏と略す)を取材した。

1961年青海生まれの秦氏は、上海育ちで上海工芸美術学校という有名なアーティストを輩出している美術専門学校を経て、上海大学美術学院を卒業後、母校にて教鞭をとって久しい。今年、定年退職を迎えた秦氏は中国現代アート・シーンに欠かせない重要な一人だと言えるだろう。

中国現代アートの最初のムーブメントと言っても過言ではない「85新潮」(注1)にも彼の名は刻まれている。幼い頃から、書道の練習を積み重ねてきたこともあり、90年代初頭から確立していたのは「線場」という抽象絵画シリーズだ。センスのいい線と線の関係性は、キャンバスの上で絡まり合い、今見てもなお新鮮だ。

上海大学美術学院で定年まで教授をつとめて来た彼だが、学者である以外にも、アーティストであり「素工家具」(明代の素材が良く見た目がシンプルな家具)のコレクターでもあり、研究者の顔も持っている。

90年代の抽象絵画から一転し、2010年ごろから始めた数々の写真作品。秦氏は自分の作品は三段階あると語る。

Photo by Zhangyu

 

衰退あるいは「死」に対する表現テーマは、普通の人にとってはマイナスで避けておきたい話題かもしれないが、取材中に秦氏が最も使った言葉は「屍体」だった。

私たちが座っている椅子も、机もいわば樹木の「屍体」で、床材も巨木の「屍体」、私たちの生活に飾られている薔薇など花瓶の中の生花も花の「屍体」である。サラッと「屍体」だらけの話をする秦氏は「人」と「モノ」の関係性について思考を凝らしている。

2010年から3、4年間を第一段階だとすれば、立体感のあるものの平面を撮る段階だと言える。「モノ」自体の「物質性」の捨象を試みている。さらに3年間かけて、第二段階では、平面化していく実験を行っている。次の第3段階では、3、4年間かけて太陽の下での真実を「消えさせる」作業をしていると言える。「素工家具」「薔薇」の「入土(埋葬)」を早まらせる作業は、アーティストというよりは化学実験を行う科学者に近い。方法論的にも相矛盾しているように思われる方法で、命を失った花(薔薇)の枯れた映像と家具を撮り続け、写真を撮る際に必要な一切の原理と技術を捨て去り、「みみずの食べた後の土」で化粧した「モノ」を撮る。同じ写真をたくさん撮り、その中で、物質性が捨象されている理想な状態のものを顕微鏡で見極める。その中で、季節により移り変わる最適な時間を「待つ」ことこそが、撮影作業の一番の「楽しみ」である。現像室にプリントされた写真作品には、何年何月何日何時何番が記された黄色いポストイットが貼られている。トイレが現像室化していた。この季節だと、午前10:50がベストタイムだという。一枚だけの写真作品、数多くの写真の中で、究極のベストな状態を選び出す基準はきっと作家さんにしかわからないだろう。スマートフォンのデジタルカメラで、誰でも大量に写真がパシャパシャ撮れる現代社会において、彼の10日に一枚撮れるかどうか知らないこの作業は、だからこそ「価値」があるとも言える。ライト台の上で、顕微鏡で一枚ずつ真面目に写真の中の家具や薔薇の紋様を見比べる作業は、気が遠くなるようだが、作業台に立つ先生は嬉しそうで、目が輝いている。楽しそうで、見逃せない仕事人の顔だ。

Photo by Zhangyu

 

光を借りて仕事する、光があり、影があるからこそ美しいと思われている、通常の写真的原理を一切「無視」した彼独特の哲学。光を測る元撮影だ。現像室にフィルムを使った古いアナログなやり方を通して、自身の独特な作品の撮り方を見つけ出す過程は、古い物を愛用し、古い明代の家具に座り、古くて完璧とは言えない、捨てられたような、一見壊れたように見える何百年前の茶器にも、一つ一つ現れていた。

いわば、その作品は、その人の生活に、呼吸に、皮膚にしみ込んでいて自然だ。

10日に一枚しか撮れないかもしれない、スローな作業。「モノ」の物質感と「空間性」から秦氏が主張したいものは、おそらくモノの表像よりは、「精神性」にあるのだと私は思う。

我々の日常生活を支えているのは、さまざまな「モノ」(明朝の素工家具、薔薇)たちの「衰退」ではないだろうか? 花瓶に花を生けるためには花を切らないといけない。家具や床材を作るためには、樹木を切らないといけない。そういうふうに、さまざまな「屍体」はわれわれ人間が生きていく上で糧になる反面、形を変えて長く残っている。家具は、樹木の「死」から家具の「生」として、さらに何百年も生き残っているとも言える。いわば、「生」と「死」はさほど単純に語れない部分があり、「生」の中に「死」が内包されており、「死」を通さないと「生」は成り立たない。秦氏の「生死観」だ。

作業台を前に作家は、「僕は、自然とコラボして仕事しているんだ」とカッコ良く語った。

8x10inches silver-film natural light exposure for 32″

 

aluminum frame110x137cm.  8x10inches silver-film.natural light.exposure for 60′

 

frame110x137.5cm 8x10inches silver-film natural light exposure for 16″

 

線場4  紙上丙烯 77x106cm 1993年

 


注1) 中国現代アート史の重要な歴史時期。80年代、門戸を開放し始めた中国で欧米諸国のアートから、あるいは画集から得た数少ない情報から行われた実験的で前衛的な美術運動。秦氏は上海工芸美術学校時代の同級生の丁乙、師匠の余友涵らと共に「85新潮」運動の上海作家として記録されている。

 

洪 欣 プロフィール
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。