アジアの眼〈40〉
現場で奇跡を起こす「映画侍」
——日本が世界に誇る映画監督 大友啓史


photo by Sasaki

大雨の降るある日、ワーナーブラザーズの会議室で大友啓史監督を取材した。

月末の取材から、都内の映画館再開により、やっと『るろうに剣心 最終章 The Final』を6月2日に見ることができた。一日空けて4日には『るろうに剣心 最終章 The Beginning』を観てきた。『るろうに剣心』シリーズが10年に及ぶ旅路を終え、いよいよ完結を迎える。「最終章」として2部作で描かれたのは、原作ファンのあいだで人気の高い「人誅篇」(注1)と「追憶篇」だ。

2012年に発表した『るろうに剣心』、2014年に公開された『るろうに剣心 京都大火篇』と『るろうに剣心 伝説の最期篇』は原作でも圧倒的な支持を集めた「京都篇」を二部作で描いている。最終章にあたる『The Final』『The Beginning』の公開は、「京都篇」から約7年ぶり(新型コロナウイルスの影響により一年延期で公開)の新作だ。

人斬り抜刀斎=剣心の初登場シーン。彼が対馬藩の侍達に縛られ、囚われている状態で始まるが、「新時代のため、あなた方には死んでもらう」とつぶやいた直後、剣心は目の前の武士の耳を噛みちぎる。その後、手が縛られた状態で口に剣をくわえて目の前の敵を斬り捨て、縄をほどいて(注2)からはもう止まらない。あっという間にその場の侍達を葬っていくのだ。ちなみに今作では、明治以降に彼が使っている「不殺」の逆刃刀ではなく真剣を用いているため、血も肉片も飛び散り、その場は阿鼻叫喚だ。シリーズ史上最も苛烈な「殺陣」が描かれる。過去4作品で剣心が見せてきた優しさは、取り返しのつかないほどの罪の上に成り立っている。さらに彼が「不殺」を貫くに至った「贖罪」の物語が、最後の『The Beginning』で描かれる。そして、ついに顔の「十字傷」の謎が明かされる。


photo by Sasaki

遡って、幕末の動乱で結婚寸前に婚約者を失った巴にとって、剣心は憎むべき「殺夫ノ仇」であるはずだった。巴に暗殺現場を目撃され、返り血を浴びせた剣心。「あなたは本当に血の雨を降らすのですね・・・」という名シーン、それから如何に巴が剣心の「狂気を抑える鞘」になっていくか、そして徐々に好きになっていく巴を斬殺するまでの経緯を丁寧に描いていく。そして、その巴の死を目撃した弟の縁が上海マフィアとなって、剣心にリベンジしに来る。一方、巴の日記が巴の心の「変化の真実」を物語る。

ある日、寝ている剣心に毛布を掛けようとする巴に、条件反射で刀を首に当てる剣心。目覚めた剣心は「何があっても、あなただけは殺さない」と誓う。だが、結局はその巴を自分の手で斬殺することになる(目がよく見えない状況下で)。

この『Beginning』を観てから、帰ってホームシアターで前3作を再度見直した。遡って見る新発見、大友監督は10年前からこれを設定して撮っていたかとはっとする。(ネタバレにならないよう、公開中の『Beginning』についてはこれ以上書けないが)今月6月11日から開催される第24回上海国際映画祭で、シリーズ全5作品が一挙に特別招待されることが決まった。日本の実写映画で初めて選ばれたムービー・フランチャイズ部門は、これまで『007』や『ハリーポッター』などアメリカ映画が上映されていて、日本映画としては異例の快挙だそうだ。すでにチケットは完売状態で、なかなか手に入らないと評判である。

大友啓史監督は、岩手出身で慶應義塾大学を卒業後、N H Kに入局するが、地方局勤務を経て1997年から2年間ハリウッドに留学する。

N H K時代にはドラマ『白洲次郎』『龍馬伝』等の演出を手がける。その後、2009年に映画『ハゲタカ』を製作し、作品はイタリア賞を受賞する。やがて、2011年にN H Kを退局し、独立して映画『るろうに剣心』等を手がけることになる。


影裏 ©2020「影裏」製作委員会

韓国の諺に「10年で江山が変わる」という言葉がある。10年間続いたるろうに剣心シリーズだが、まず『The Final』では、とにかくアクションのオンパレードで、アクション監督の谷垣健治氏とのタッグがカンフー映画のようなアクションシーンを完成度の高いものにしている。作り物とは思わせない、「死力」(注3)でマスターとピックアップで「空気」を作る革新的な試みだ。それを、大友監督は「お寿司に、ステーキに、フカヒレまで載せて」と喩えた。すなわち、ハリウッド映画で磨いた映画の迫力とスケール感、香港のカンフー映画を取り入れた谷垣アクション、日本のサムライ精神に「いき」の構造(注4)を付与した。ヘタすると喧嘩しそうな、ミックスされたそれぞれの「要素」が、質の高いバランスで保たれている。それゆえ、胃もたれしない「絶妙な組み合わせ」が見るものを存分に楽しませてくれた。

大友監督は他にも漫画の実写映画化を手掛けている。『秘密 THE TOP SECRET』(2016年)や『ミュージアム』(同年)ではSFやAIによる近未来の世界を描いている。『3月のライオン(前、後編)』(2017年)も漫画からの実写化だ。東野圭吾の小説を映画化した『プラチナ・データ』(2013年)では、二重人格の人間によるもう一人の「自分」を描いた。

るろうに剣心© 和月伸宏/集英社
©2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会

なお、2018年に制作した『億男』では、現代社会に生きる「関係性」の中で「お金」と「信頼関係」(あるいは「友情」)をテーマにしている。その翌年の『影裏』では芥川賞を受賞した沼田真佑の小説を、綾野剛と、松田龍平の共演で映画化した。故郷の岩手県を舞台に、東日本大震災を背景に展開する同性愛の二人の物語は、隔離中中国のネット配信では、一部LGBTQを専門に作る映画監督のように分類されていたが、今回の上海国際映画祭での『るろうに剣心』全シリーズ招待上映で自然にその誤解は解消されるだろう。独立して以来、毎年作品を発表している計算になる。

究極的には、「やり切らないと気が済まない」大友監督は、平和な時代に「ヒーローなき時代」になぜ『るろうに剣心』という「剣の心」を持った侍を描いたのか? 彼は「人斬り抜刀斎」として血も涙もなく「血の雨を降らせ」る。だが、それは「新しい時代」のための「個」の犠牲であり、「必要悪」あるいは「大義名分」が付与される行為である。だが、新しい時代が来た際には、「個」は処罰され、利用された。そのために、新しい時代では彼は平和を「守る」一人の「人間(男)」として「存在」する。はたして、剣心はヒーローなのか、罪人なのか? 答えは一つではない。

剣心の頬にある十字傷のシーンを今度4Dで観てみたい。映画界の革命児大友啓史監督の次の10年が待ちどおしい。アフター・るろうに剣心の映画はどこに向かうのか。「大友哲学」(注5)を表現する次の進化から目が離せない。

(注1) 原作の漫画は読んでいないが、アニメ(ネットフリックス配信)で観た。

(注2) 冒頭から皆を引きつけ「驚き」から「感動」に転化させる九鬼周造の原理を思い出させる演出だ。

(注3) ネットでの映画評論を参照。

(注4) 日本の哲学者九鬼周造が『「いき」の構造』で描く「いき(粋)」とは、「運命によって“諦め”を得た“媚態”が“意気地”の自由に生きるのが“いき”である」と定義する。

(注5) 驕らず、媚びず、流されない「人としての坂本龍馬」に自分を重ねて、自分の中に潜んでいる「大きい男」(スケール感)、しいては、掟破りのプリュリバースな多元的な世界を目指す仕事の流儀と言えようか。

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。