アジアの眼〈39〉
「人との出会いは何より大事である。」
——有田焼白磁の第一人者、人間国宝の巨匠 井上萬二


photo by Hyodo

4月末の陽射しが美しい日に、有田町の井上萬二窯を訪れ、人間国宝・井上萬二氏を取材してきた。

今年で作陶歴76年になる井上萬二氏、白磁を追求する道で何を見てきたのか。

彼は1929年有田町生まれで、1945年頃に12代酒井田柿右衛門、奥川忠左衛門らに師事し、白磁の制作技法を習得した。15歳で海軍飛行予科練習生となったが、翌年1945年に戦争が終わったので戦場には出なくて済んだ。父親の勧めで酒井田柿右衛門(12代目)の元で働き始める。修業7年目の1952年頃に奥川忠右衛門の作品に衝撃を受け、門下生となり白磁や轆轤の技法を学んだ。その後、1958年には酒井田柿右衛門釜を退社し、県立有田窯行試験場の技官として勤務を始めることになる。その傍ら、独自の意匠や釉薬の研究に励んだ。


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以来、1968年、第15回日本伝統工芸展で初入選を果たして、翌年の1969年には、ペンシルバニア州立大学から有田焼の講師として招かれ、渡米して5カ月にわたる講義を行う。

その後も海外での活動は多岐に渡って行われている。ドイツ、ハンガリー、モナコ公国、ポルトガル、香港、アメリカ・ニュ―ヨークと海外の展示会を多数開催し、海外での活動歴も豊富にある。海外展に際しては、美術館展に度々200人近い人々に声をかけ、茶道、邦楽等日本伝統文化を巻き込んだ大型イベントにしていき、日本文化を世界に発信する舞台にしてきた。巨匠・井上萬二の演出の力であり、エンタテイナーの才でもある。アメリカに特任講師として招聘されたのは、延べ何十回にのぼるという。

以降、1977年に全国伝統工芸品展通産大臣賞、10年後の1987年には第34回日本伝統工芸展で文部大臣賞を受賞した。1995年5月31日に重要無形文化財「白磁」保持者に認定され、1997年には紫綬褒章を受賞する。2003年には旭日中綬章を受賞、茨城県立美術館、岐阜県立美術館等美術館の収蔵も後を断たない。作陶歴76年間で編み出した華やかな自己史、そこには彼の生まれ持った才能以外にも、人の何倍ものたゆまない努力の積み重ねによるものがあると確信する。

井上萬二窯は二代目康徳氏、三代目裕希氏へと三代受け継がれて行く。悲しいことに、二代目康徳氏が去年病気で62歳の若さで亡くなり、今は3代目の祐希氏と二人で支えている。

まだ作陶歴の浅い、若い三代目の裕希氏を一人前の陶芸家として、そして窯元の経営もやって行けるまで教えるためには、あと10年は生きないといけないと冗談を交えて話していた。

有田焼創業400年の伝統を継承する「永遠の少年」井上萬二氏。2020年に予定されていたニューヨークでの個展はコロナ禍が収束したら開催すると意欲的だ。


窯元提供

今までにない形、自分だけにしかできない形を追求し、形だけで表現する「白磁」の世界。完成した作品から、さらに新しい形が生まれるといったいわば自分の作品にインスパイヤされ続けるアイデアマン、常に新らしいものを生み出すフレッシュな精神は若々しい。ごまかしの利かない白磁にこだわる「完全無垢」さ、そこには人間国宝である井上萬二氏の職人魂が光る。

92歳とは思えない明晰な記憶力、強靭で力強い生き方には脱帽するばかりだ。チャレンジ精神とクリエイティブな心を常に忘れないで、新たな形を「完全なる」ものへと試みる追求心。今年の初窯出しもいつも通り行われた。

取材しているうちに、精神的若さが伝わってくる有田町の名誉市民の称号も持つ人間国宝・井上萬二氏、有田焼401年の年はコロナ禍でいろいろと止まっているが、コロナ禍が収束したら、早速ニューヨークに行って個展の開催をしたいと話していた。

人間国宝の認定、紫綬褒章、旭日中綬賞受賞に際して、奥様同伴で宮内庁に三度訪れ、上皇陛下と上皇后様に謁見する名誉に預かったという。その時に桜桃をいただいた際のエピ


窯元提供

ソードを嬉しそうに話す井上萬二氏、記憶力の良さにびっくりする。相当昔の話でもはっきりと記憶していることに、逆に自分より「青春」を感じとった。青春とは、決して年齢だけで判断できるものではない。

クリエイティブな精神と絶え間ないモチベーションの持ち主である井上萬二氏は、有田焼の巨匠であり、重要無形文化財「白磁(はくじ)」保持者(いわゆる人間国宝)である。作陶をいまだに自ら続けられているだけでなく、後進の指導にも情熱を傾けている。日本国内に500人近くの教え子、海外に150人と、いわゆる「桃李満天下」(注1)と言えよう。銀座和光では45年連続して毎年彼の個展が開催されている。「何よりも人との出会いは大事である。作品は感動を与えるべきだ」と話す。

有田焼400周年の歴史的節目に際しては、20年前から、造形・色味すべて異なる「白磁」作品を毎年20作、実に400に及ぶ新作を生み出されたそうだ。圧巻なものだったそうで、想像してみるだけでも興奮する。

一切の加飾に頼らず、造形だけで作品の端正さ、温かさ、風格を表現する「白磁」の世界に生涯を賭け、純粋に真髄を追求されている天才陶芸家の迫力。それは決して数だけの迫力ではない。量、質共に人を驚かせる凄さだ。


窯元提供

「完璧なモノに『色』はいらない。私が追求する『白磁』は、一点の濁り、一点の歪みも許されない」というストイックで自律した厳格さ。それが彼を作り上げてきたのだろう。

はじめて出逢った時の、ピュアで淡い一目惚れに似たイノセントの「白」、井上萬二氏には熟練した完璧さの中にブレない「信じ続ける」力強さも兼ね備わっている。

観るものを純白な白磁の「井上ワールド」に引き寄せる作品の力、その作品は作り手の「周りの人達」を大事にしている人間的魅力と人徳によるものだろう。取材が長引き、あっという間に時間オーバーになった。

初恋を思い出させる「器」たち、理由は不明である。ただ、本当の意味での初恋とは、互いの「価値」を認め合った間にだけ本質的には存在するだろう。時間の長さも、「優しさ」も無意味である。だからこそ、壊れた際には元には戻せない脆さも兼ね備えている。なぜなら、「完璧」は完璧さゆえ、弱くもあるからだ。それでも、人は「無条件な信頼関係」を求めている。自己史への否定は虚しいから、明日も台無しにはできないのにも関わらずだ。

有田町の空高く、鯉のぼりが優美に舞っていた。この街は何度でも来たくなるいい街だ。

(注1) 教え子がたくさんいることを指して、中国語では「桃李満天下」と表現する。

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。