アジアの眼〈37〉
「パパのタイムマシン」
——コンセプチュアルな写真家、舞台監督 馬良(マーリャン)


photo by Tao Zhao

雨の上海、写真家で映像監督でもある馬良を取材してきた。

アトリエが内装中ということで臨時に隣の家を借りているという別荘は上海郊外の松江という地域にあった。

アトリエには撮影に使っていた小道具の仏像が色々と集められており、怪しい映画のセットにもコンセプチュアルな世界にも見えるモノ達がびっしりと飾られていた。

取材はその前に椅子を二脚運び進めることになった。北京オペラの監督である両親のもとに生まれた彼は、幼い頃から舞台に立たされ、いろいろやらされたがそれに反発し、華山美術学校という上海で有名な美術専門学校に入り、親に子役にされることから逃げたかったという。その後も、上海大学美術学院に進学し、美術の専門教育を12年間受けた。

卒業してまもなく、彼は広告業界で頭角を現す映像監督になる。初めての広告撮影は日本の電通と撮ったサントリーやミノルタの広告だったという。広告業界で彼は大きな成功を納め、有名な広告映像監督になる。潤沢な収入を得ながら疑問に思ったことは、広告は物事のいい側面しか映さないことだった。そしてきっぱり広告業界を離れることを決意する。


photo by Tao Zhao

もっと楽しい表現の世界があるはずだと信じて、とりあえずアトリエを借りた。借りたアトリエで、いきなり何から着手すればいいかわからず、ぼんやりと一週間過ごしたという。

2003年に卒業してから9年間の広告業界、アートからはそれだけ長い時間のブランクがあった。「私のサーカス」と命名したシリーズ作品はコンセプチュアルな写真シリーズで、慣れ親しんだ上海の巷「弄堂」(1) を背景に、ピエロのような装いをした女の子が火を吹く写真。あたかも演劇の舞台から飛び出てきたような装いをしている。撮った写真を流行り出したばかりの微博(Weibo、ウェイボー)に載せたら、予想外の大反響を巻き起こし、たちまち凄い量のアクセス数を記録した。そして、ネット上では写真に対するオンラインシンポジウムが繰り広げられた。コンセプチュアル写真に対するみんなの論戦、その議論は世界の哲学家の言葉を借りて行われ、その議論に加えられたせいで、世界の大概の哲学書は読み通したというぐらいだ。とても有意義で楽しい貴重な勉強会のようだったと振り返る。

ちょうど友人に服飾デザイナーや化粧やヘアメイクができる人がいたため、その人達にお願いして、さらに俳優の友人に衣装を着せて撮影した。思いがけないSNS上での炎上に、彼は無限の可能性を見出し、のちの作品のプロモーションに積極的にWeibo(ウェイボー)を使うようになる。


アトリエ提供

例えば、2011年「移動写真館」プロジェクトでは、見知らぬ1600人を35の都市を移動しながら無料で撮影して回ることで知られるようになるが、実は、そのプロセスもSNSのWeiboを充分に活用している。Maleon(マレオン)(2)は、彼のバーチャルネームであり小道具を自ら制作して衣装と共に詰め込み、Weiboで出会った人々の元へ走り回り撮影を行う。35都市それぞれで見知らぬ人たちがご飯を奢ってくれたり、お宿を用意してくれたりと不思議なことが起こり続け、6カ月の予定のプロジエクトは、実際は11カ月かけてようやく完成する。アシスタントとしてプロジェクトに参加した6名のチームスタッフと一緒に、各都市で使用されなくなったバス、住宅の裏庭、美術館の展示ホールなどに一時的なスタジオを建て撮影をしている。改造したバンはみんなの手で色塗りを行った。

写真の中に出てくる個性的な手作りの小道具、その中には悪戯っけがまだ抜けていない少年のような彼の純粋さが独特の世界観を繰り広げている。

広告業界で成功を収めていた彼が選んだアーティストの道、苦労を重ねた2年間を経てM 50の画廊に声をかけられ、初個展を開催する。その際に、来場者名簿に上海美術館の李磊(リ・レイ)館長のメッセージが載っていたという。訪ねていった李館長の推薦で、当時人民公園内に立地していた上海美術館での個展を開催する運びになる。キュレーターの考えで日本人の写真家との二人展にはなったが、それが大きな起爆剤になり、のちの上海ビエンナーレにも出品することになる。間違いなく彼の芸術家としての人生における重大なワンステップだった。


アトリエ提供

その後に続く「青梅竹馬(3)写真館」プロジェクトでは、モノクロの二枚の人物写真をあたかも幼馴染みだったかのように一枚の写真に合成する作業を行う。それもWeiboで発信し、求められれば見知らぬ人たちに無料で作ってあげたのだった。

他者の真似を許さない独特な世界観と、一目見たら釘付けになる強烈な印象のシュールな写真の数々。ピーク時には世界中の14の画廊からオファーがあり、次々と世界中を飛び回り展示会を開催する、中国を代表する写真家の一人として活躍した。

かつて北京オペラの舞台監督をしていた父馬科(マーコー)が、85歳を機にアルツハイマーになる。その父の記憶が完全に消える前に一緒に仕事をしたいと思いで、人形劇「パパのタイムマシン」を創作することを決意する。等身大の人形は一体で1200以上の部品を要し、10数体も作られた。二年間かけて製作された人形劇は親子の物語であり、父の記憶が衰退していく過程を記録するかのように切なく演出される。


アトリエ提供

幼い頃、あれだけ嫌で反発していた舞台演出だったが、結局自分の身体には父親のDNAが流れていると語る。知らず知らずの間に、写真の仕事には父親の演出の影響があったことをふと自覚する。すなわち、それは逆らえない命の「輪廻」であり、人形劇が完成するとともに現在の妻にプロポーズし、娘の灯灯(トントン)が生まれる。やがて父になった彼のWeibo は娘の内容で溢れるようになる。

そして、命は受け継がれていく。

2020年、北川フラム氏が企画していた5つのトリエンナーレの一つである市原トリエンナーレで、彼の作品が出品されるはずだった。日本に撮影機材を送り、セットが組み立てられた矢先に、コロナ禍が日本にも波及し、中止を余儀なくされた。残念だが、アフターコロナで彼の作品が日本で見られることを楽しみにしたい。大地の芸術祭の中国会場である景徳鎮で先に彼の作品を見ることになりそうだ。

書き下ろしの本「告白書」と「人間潜伏」、馬良(マーリャン)は作家でもある。これから読むのが楽しみである。マルチタレントな彼の絶え間ない創作への情熱、好きなことを仕事にしている人の充実感が体感できて楽しかった。

 

(1)北京の「胡同」に値する上海の狭い路地裏を指す。

(2)馬良(マーリャン)のSNS上のハンドルネーム、バーチャル感あり。

(3)青梅竹馬とは、日本語の幼馴染みを指す。

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。