アジアの眼〈34〉
進化か回帰か、文字に起因した「記号美学」の創出
——中国現代美術家 谷文達


photo by Jiang Fan

上海のアートビレッジM50にある広いアトリエで谷文達氏を取材した。広いがよく整理されたアトリエには長いテーブルが置かれており、壁には谷氏簡辞シリーズの作品が掛けられていた。

谷文達は上海出身で文革後、80年代にアメリカのニューヨークに渡った早期の中国人現代作家の一人である。

祖籍は紹興上虞であり、大学制度回復後に中国美術大学で有名な中国画の巨匠・陸厳少氏に師事し、修士課程を終える。卒業後、一旦は大学に残って教鞭を取るが、87年にはニューヨークに拠点を移すことになる。

出国する前の中国はまだ銀行口座を持っていない生活だったが、ニューヨークでの生活は大きなカルチャー・ショックを与えてくれたと語る。


photo by Jiang Fan

東西の文化の間で、谷氏は創作を続けるが、その原点は墨絵というか書という中国伝統文化にあった。1949年の新中国成立以来、中国で使われているのは簡体字だが、書を書く人は依然として繁体字を使い続けている。谷氏簡辞シリーズは、簡体字の進化だと思う。簡体字の2文字を1文字に略すが、形態学的には繁体字に近い。繁体字への復帰にも見えなくもないが、おそらく進化か回帰かは見るものに任せられるのが現代アートの醍醐味に違いない。

中国現代美術史に残る最初の「85新潮」1美術運動は、その時の若い表現者達が活発に現代アートの団体を作り、中国全土の地域ごとに「廈門ダダ」等10以上の美術団体を噴出させ、限りある海外の画集や情報から、哲学から、文学から、いろんな現代アートの実験が行われた。谷氏は書をベースにした赤、黒、白の色彩に誤字、擬似文字を運用し、文革の大字報(壁新聞)で庶民が使っていた様式をアバンギャルドな作品に仕上げ、団体加入には拒否的で、単独で作品を制作することを宣言していた。


遺失した王朝-Aシリ-ズとArtist S アトリエ提供

ニューヨーク32年、上海32年、東西の文化の狭間で谷氏は常に書が原点にあったという。代表作といえる「国連・天壇」という作品。世界の600万人以上の髪の毛を集めてそれを編み込んで作品にしている。今も続いている国連シリーズは188の国の国旗を編み出しているが、髪の毛は世界から来ている。グローバリズムの世界を生きている私たちに彼の作品はどういうヒントを与えているのだろうか? 象徴的だ。いつかはこの作品達を188カ国の美術館に寄贈したいという彼のアイディアに感動し、何らかの形でお手伝いできたらいいなあと思う。

彼の作品の多くは、伝統的な中国の書と詩をテーマにしているが、作品は実験的でアバンギャルドだ。女性の生理血とメッセージを集めて作品にするとか、胎盤の粉を塗した長いベッドを4体並べたインスタレーション、髪の毛も含め参加型への重視は、常に賛否両論になりかねない。そういう彼の作品は常に世界とつながっているが、制作自体はあくまで単独で行う主義だ。


移植事件 福来迦牟 アトリエ提供

文字は文化であり、哲学である。新しい文字の考案と解体と再構築、それに時代の変遷と流れを汲み取ることのできる作品群たち。去年の12月に武漢にある合美術館で谷氏の大型回顧展が開催された。会期中に始まったコロナ禍、作品展は武漢のロックダウンと一緒に一時中断を余儀なくされた。がしかし、ロックダウンが解除されてからも出かけることを躊躇する人達、展示会は8月まで会期が延期され、彼の個展史上最長の回顧展になった。最も特別な展示会にもなったという。谷氏の大型回顧展は計4回開催されている。民生美術館での回顧展も規模的にいうと圧巻だったが、今回の回顧展は長い廊下を文献展にするドクメンターの形をとったため、展示会の準備には相当な時間と労力を注がれたという。


国連、中国記念碑•天壇 アトリエ提供

かつて1998年末、ニューヨークで開催された個展「変異と突破」で展示された作品「国連・天壇」により、谷氏は翌年Art in America3月号の表紙人物になる。中国人作家としては初めての快挙だったらしい。

伝統的な書の原点には墨と紙が主要素である。それ故、彼は緑茶を練り込んで作った宣紙と髪の毛を練って作った墨を自ら製作する。そのコンセプチュアルな水墨実験あるいは水墨インスタレーションを彼は「水墨錬金術」と呼ぶ。そのシリーズの作品は2010年深センにある何香凝美術館で展示される。

2016年に上海民生美術館で行われた大型回顧展は、「西遊記」というタイトルで、実験的に水墨の書を崩し、新たな再構築をすると同時に山水画と書を同じ画面に融合する伝統的な文人画を現代アート寄りに仕上げた。更に言えば、中国4大古典の一つである「西遊記」を題材にしたところが興味深い。水のある庭に石碑に刻まれた谷氏簡体字がインスタレーションの形を呈し(1987年にニューヨークに着いてすぐに作った早期の作品)、孫悟空が西域に行く途中で火焰山花果山をタイトルにした作品も水墨現代作品として展示する。その大きさと、11メーター以上の長さに2メーター以上の高さだ。圧巻としか言いようがない。


天国灯籠、上海 アトリエ提供

多くの人で建物に灯籠を飾る大型インスタレーション、子供達と一緒に作る深圳での大型インスタレーション等は参加型に拘る作品だ。ネオン管を使って作った作品は東西の文字の移植事件を扱っている。翻訳過程で起こる面白い現象にアンテナを貼った作品だ。

彼は文学的にも造詣が深く、エッセイや短編小説に近いものも発表する。筆致が鋭く読み応えがある。ニーチェの影響を受けているのが見て取れる。ヨーロッパ全盛期の哲学者は哲学書と文学小説を同時に表現の領域として持っていた。ニーチェも、後のジョルジュ・バタイユもだ。

中国現代アートの代表的な作家である谷氏。世界的で中国的な彼の作品の魅力は知的で迫力に満ちているだけではない。見る者に無限の想像をもたらす魅力が作品と作家本人にあるのだ。

1 85新潮とは、中国現代史上はじめての現代アートの運動である。何千人もの現代アートの若手作家達が、画廊がなく、美術館もない条件下で自発的にいろんなジャンルのアート作品にチャレンジしたことを指す。2007年、北京・798芸術区にあるユーレンス現代美術センター(UCCA)で、30人の代表的な作家達のグループ展として、85新潮の展示会が開催された。

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。