アジアの眼〈33〉
「百万本のバラ」
——日本が誇る天才歌手 加藤登紀子


photo by George Hayashi

歌手のYaeさんのデビュー20周年「On the Border」のメデイア発表会に出席し、かねてからずっと会いたいと思っていた加藤登紀子さんを取材してきた。次女Yaeさんの今回の新作アルバムでは、お母さんの登紀子さんがプロデュースを務めたらしい。Yaeさんの発表会の後、単独インタビューを行った。

「おときさん」という愛称で親しまれている加藤登紀子は、「百万本のバラ」、「愛のくらし」「時には昔の話を」「この空を飛べたら」「時代遅れの酒場で」など、自作曲、中島みゆき作、海外の歌の日本語カバー版など思い浮かべる人が多いかも知れない。「知床旅情」「灰色の瞳」などおときさんの歌は400曲以上あるという。

ハルピン生まれの彼女は、歌手だけではなく作詞家、作曲家で女優でもある。

1965年に東京大学在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝をする。その翌年、1966年「誰も誰も知らない」でデビューし、「赤い風船」で第8回日本レコード大賞新人賞を受賞する。


photo by George Hayashi

デビュー以来、彼女は世代やジャンルを超えて幅広い音楽活動を続けてきた。歌のジャンルはシャンソンに限らず、歌謡曲、ポップス、ロック、フォークと広域に渡る。その原点は、ベトナム反戦を中心に世界中が民主化の波に揺れた「1968年」だという1。東大でデモに参加し、学生運動家だった後の夫・藤本敏夫氏と出会った年でもある。

今年デビュー55周年を迎えるが、「知床旅情」をコンサートで歌う時は、「この歌を初めて聞いたのは1968年の3月でした。1人の男が、歌手である私を前にして歌ってくれたのです。のちに夫になる男です」。76年に作った「あなたの行く朝」では、娘2人の育児に触れ、「二人を寝かせた後、夜に曲を作るのは大変だった。例え結婚し、母になっても、『私』の歴史は私にしか描けない、しっかりしろと自分に言い聞かせました」とのエピソードを披露している。彼女は、作詞、作曲をするシンガーソングライターであり、その詞にはとても心が動かされる。コンサートでは、舞台での語りが真摯でユーモラスで大きな「場」を作り、みんなが吸い付くように聞いてしまうという。

愛に生きる一人の女性が「母」なる役割をきちんと担いながらも、「自分」を失わない強い意志の表現でもある。

デビュー20周年の1986年にはなんとギリシア題材の歌にチャレンジしている。要するに、自分の歌や中島みゆき作以外にも世界のいろんな国の歌を歌っている。そして、世界中の歌を消化して自分の歌にできるのだから凄い。

2018年のコンサートでは、韓国の洪欄坡(ホン・ナンパ)が作曲し、抗日歌となった「鳳仙花」、ベトナム戦争をテーマにした自作曲「1968」、そしてピート・シーガの「花はどこへ行った」を歌っている。

全国ツアーを精力的に回る中で、彼女が歌う曲には、第二次世界大戦中にソ連映画の挿入歌「暗い夜」、生まれ故郷のハルピンへの愛を込めた「遠い祖国」もある。実際、彼女は80年にハルピンを訪れ、ハルピン音楽祭で大規模コンサートをしている。あの時はまだ中国に行くのは難しい年代で、残留孤児の皆と「知床旅情」を歌いながら涙を流したと記憶している。

敬愛するエディット・ピアフの「愛の讃歌」と代表作の「百万本のバラ」はコンサート会場ではいつも大合唱になる。

「花」という沖縄の歌を歌っているが、この歌に関しては、彼女が歌うのをきいてからは、ほかの人が歌うのを聞くのが辛くなる。なぜかは言い切れないが、彼女の唄声には魔力がある。耳元にすっと根付く力強さとでもいおうか。

「Now Is The Time」という歌がある。とても雄大で宇宙を彷彿とさせる歌だ。この曲を歌う時の登紀子さんは国籍を持たないスケールの大きい巨人に見える。

国内でレコード大賞新人賞と歌唱賞を1966年と1969年にそれぞれ受賞して以降、数多くのヒット曲やアルバムを発表し、国内はもちろん、カーネギーホールをはじめ世界各地でコンサートを実施し、1992年にはフランス政府からシュバリエ勲章を受賞している。1971年「知床旅情」で、二度目のレコード大賞歌唱賞を受賞し、第22回紅白歌合戦に初出場を果たす。その翌年、藤本敏夫との獄中結婚や出産でしばらく音楽を離れるが、1973年に復帰する。1989年「百万本のバラ」で第40回NHK紅白歌合戦・第2部に18年ぶり2回目の出場をし、翌1990年には「知床旅情」で2年連続3回目の出場を果たした。

その後、『居酒屋兆治』やアニメ映画『紅の豚』など女優/声優や陶芸などの芸術活動、執筆活動等でも才能を発揮し、地球環境問題にも積極的に取り組んでいる多才なアーティストである。

コロナ禍の中でもほろ酔いコンサートを精力的に計画していて、今年の12月29日までぎっしりと日程が組まれている。年末に間に合ったらどこかのコンサートに行きたい、どこかで。 2


photo by George Hayashi

「難破船」という歌がある。歌詞にある「たかが恋なんて 忘れればいい ・・・ほかの誰かを 愛したのなら 追いかけては 行けない 惨めな恋続けるより 別れの苦しさ選ぶわ」と瀟洒な言い方をしてみるが、やはり「折れた翼 広げたまま あなたの上に 落ちて行きたい あなたを追いかけ抱きしめたい つむじ風に身を任せて あなたを海に沈めたい」と続く。彼女の世代のサルトルのような「愛」の形に憧れ、強がってはみたけれど、やはり「海に沈めたい」くらい愛しているから離せないと表現する。可愛い女心の表現だが、演歌の歌詞のようにくどくはないのだ。詩的で強烈だ。一度聞いたら忘れ難い詩である。

中森明菜が歌って大ヒットした歌だが、やはりこの歌も作った「おときさん」が歌うのが最も味がある。失恋した際に聞いて泣ける歌でもあるが、自分を励ます歌でもある。

京都の酒場で作曲した「時代遅れの酒場」は高倉健が歌った。とても渋い。もちろん、自分も歌うのだが。彼女の歌は、時々セリフが入るが、そのセリフがまた凄い。

日本にこんな凄い歌手がいる。そんな日本に行ってみよう。そしてその彼女が通っていた大学に行ってみようと思ったのが、日本に来て東京大学に入った「初期衝動」だった。そんなおときさんに会えたなんて本当に奇跡だとしか思えない。

1 映画「ドリマーズ」で描かれているパリ5 月革命の時代である。1968 年は特別な年である。
2 「 時には昔の話を」の歌詞で、最後に「そうだね」「どこかで」と語り調に歌う歌詞である。


洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。