アジアの眼〈32〉
「誰かを怖がらせるためではない、希望を見つけて欲しい」
——巨匠映画監督、脚本家 園子温


photo by George Hayashi

雨の降る9月の夕方、世田谷のアトリエで園子温監督(以下、園氏)を取材してきた。

築80年の日本家屋のひっそりとした佇まいは、園氏の映画の世界に迷い込んだようで、とても緊張感のある取材になった。

園氏は、愛知県豊川市出身の日本の脚本家、映画監督であり、日本の中では異端児視されているが、年に映画を4本発表する「量」1、展開がいろいろあるにも関わらず、世界観は一貫している。 2

彼は、17歳で故郷を飛び出て東京に来た経歴、アメリカに行って放浪していた経歴やウブだけど数奇な恋愛経験等、裏切りや喜怒哀楽の全てが映画のいろんなシーンとしてちらつく。それは、夢か現実か、リアリティーかファンタジーか判断しがたい世界、映画は国際舞台を念頭に置いたものでないと意味がないという。園氏を抜きにして日本映画は論じられない気がしてならない。

 
photo by George Hayashi

80年代の若き日の作品は自主映画がメインで、天然パーマの冴ない痩せっぽちの青年がモノを壊して暴れたり、大声で喚いたり、風呂場で自慰行為にふけったり、とにかく自分の全てをむきだしに曝け出すアバンギャルドで実験的なものだった3。86年の『愛』『男の花道』、88年の『女子寮対男子寮』がまさにそんな感じだったが、その青くて暴れん坊な、すべてを壊しそうなナルシストな若さと、鬱屈とした日常は後の巨匠の世界観の原点として残る。そういう意味で初期の短編映画集は園子温ワールドを理解する上でとても大切である。

1993年に発表した『部屋』4のスタイルが、2016年に公開したSF映画「ひそひそ星」に繋がる。なぜかひそひそと話をする人達、そんなに秘密めいた内容でもないのに。

そして、1999年に写真家のアラーキー、舞踏家の麿赤児、ファッションデザイナーの荒川眞一郎等三人の表現者とコラボし、少女と男の純愛ドラマの構成で映像詩的に表現する。少しおかしく、少し大袈裟、はたまた露骨な描き方で園氏映画ワールドの表現につながっている。

園氏は、17歳5に東京に飛び出た時に若くして詩人デビューを果たし、「ユリイカ」「現代詩手帖」などに続々と詩が掲載される才能の持主だった。その後、法政大学文学部に入学してからは、8mm映画を手掛けるようになる。

1986年、『俺は園子温だ!』がぴあフィルムフェスティバルに入選し、1990年にはぴあの奨学金で制作した16mm作品『自転車吐息』がベルリン国際映画祭に正式招待されたほか、数々の映画祭で上映された。1993年に製作した『部屋』はサンダース国際映画祭審査員特別賞を受賞し、この作品もベルリン国際映画祭はじめ、多くの映画祭で紹介された。園氏の国際舞台での活躍は若き日に実現したと言える。

彼は映画制作の傍ら、街頭詩パフォーマンス集団「東京ガガガ」を主催する。渋谷や新宿をストリートジャックするなど一大ブームを起こした。

若き才能を持て余し、吹き出るアイデアとパッションをコントロールすることも隠すこともできぬまま、様々試行錯誤していただろうと想像する。


アトリエ提供

2000年代に入ると、実話をもとに映画化した『自殺サークル』(2001年)、『奇妙なサーカス』『新宿スワン』(2005年)、『紀子の食卓』(2006年)『愛のむき出し』(2008年)、『冷たい熱帯魚』(2010年)を発表する。この10年間の映画では、賛否両論の題材である家族間の近親相姦や集団自殺6を描きながらも、その中には「あなたはあなたと関係していますか」など妙な哲学的な問いかけを、繰り返し子供の口を通して発信している。

特に『冷たい熱帯魚』『恋の罪』など実在する事件を基にした作品を立て続けに公開し、注目を浴びながら自らの映画の世界観とカラーを確立させていく。


アトリエ提供

2011年3.11の東日本大震災を機に作った映画『ヒミズ』『希望の国』では、大震災の背景下で影響を受けた社会派的な側面を出している。その一方で、『地獄でなぜ悪い』(2013年)、『東京Tribe』(2014年)、『新宿スワン』(2015年)、『みんな!エスパーだよ』(2015年)、『リアル鬼ごっこ』(2015年)、『ラブ&ピース』(2015年)、など、エンターティメント性の強い映画やB級っぽい映画など、園子温ワールド全開が続き、S Fファンタジー『ひそひそ星』(2016年)や『新宿スワンⅡ』(2017年)、『アンチポルノ』(2017年)、『クソ野郎と美しい世界』(2018年)、『レッド・ブレイド』(2018年)、『狂武蔵』(2019年)、『愛なき森で叫べ』(2019年)など、幅広いダイバーシティを見せてきた。


アトリエ提供

園子温ワールドの血に染まった、血塗れに傷つく生身の人間の関係性は、生きていく上で愛の缺乏から生まれた歪んだ人格に行き着くのか、悪の循環は日常の外見の「善良」と陽気な「笑顔」に「隠れた」目に見えない「悪」の方がもっと恐怖を呼ぶ。だが、園氏が作る牧歌的な描写は決して人を怖がらせるためではなく、理不尽で不条理な現実の過酷さの中でも、一人ひとりが自分なりに「希望」を見つけてほしいという庶民に対する応援歌でもあるのだ。「頑張れ、頑張れ」と繰り返し叫ぶ15歳の少女と少年の『ヒミズ』のエンディング、『希望の国』と題する映画では、「生」と「死」を選ぶ一人ひとりの選択に生死の交差と「個」として生きる意味を付与する。

取材に訪れた際に、園氏は9本のシナリオを同時に執筆中だと言っており、アフターコロナに作るいろんなジャンルの映画の脚本を貯めていた。走り続ける(少女の)ワンシーンがふと浮かび上がる。偶然ではあるが、小、中学生の時の自分もずっと走っていたと家族に聞かされていた。偶然だけど、不思議に共感する。

今年の『緊急事態宣言』のエピソード2「孤独な19時」(斎藤工主演)では、30年後の世界でソーシャルディスタンスは50mになり、名前ではなく番号化された「モノ」が許可され、指名された際に、初めて外出が許可される世界が描かれている。

その「音巳」という主役の名前は実は園氏のお父さんの名前を使っているという。究極的には、園子温ワールドは「生」と「死」についての話である。『自殺サークル』のサークルは実は輪廻の「生き還る」の意味でもある。ウィズコロナ時代にも「生きているだけじゃダメだ」というメッセージを出しているのだ。「愛」が必要だ、我々人間には。

1 「量」をたくさん出せば、偶然にいい作品が作れるかと、いつかの受賞式で言っていた覚えがあるが、それは多少謙虚な言い方である。

2 2015年大島新監督の「園子温という生き物」を引用参考。

3 なぜか、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユを思い出させる表現領域である。

4 この映画では、舞踏家の麿赤児がバーバリコートにハットの風貌で、不動産屋の女の子とずっとひそひそ声で不動産情報を伝え合う。

5 17歳の高校時代に童貞のまま大都会に出たことが、映画の所々で出てくる

6 集団自殺で電車に飛び込む瞬間の映像や(血塗れ)、殺人現場で死体を分解する場面など、血だらけの残虐な場面の映像化は賛否両論である。タブーに常に挑戦している。

 

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。