アジアの眼〈31〉
「線と色彩」の私的感受性を大切にする
——現代美術家 内田江美


Infinity 1940×1620mmの前にてアトリエ提供

岡山の牛窓にある瀬戸内市立美術館にて、現代美術家の内田江美(以下、内田氏)を取材してきた。当館で開催されている内田氏の個展が丁度会期中だったので、大作「Trace-325/Ribbon」の前に椅子を並べた取材になった。

内田氏は山梨出身で、幼い時分から地元の女流作家の主催する画塾に通い、その先生に対する憧れもあり、長期に渡り日常的に絵を描き続けてきたと言う。大学は女子美で服飾デザインを専攻に学び、卒業後10数年はフアッションデザイナーの仕事につくが、ある時その仕事を辞め、瀬戸内の犬島にふらっと行きつく。海のない県に生まれた人の海に対する憧れだとも回想する。

彼女の作品は、錯綜する線と鮮やかな色彩で表現され、アジアや欧米を中心とした国際舞台で、その独自性が評価されてきた。近年は日本国内でも活躍の場を広げ脚光を浴びている。東京や各地のギャラリー、百貨店ギャラリーはもとより、三浦美術館等公立、私立美術館でも個展が企画されるようになり、今回の瀬戸内市立美術館での個展は、コロナ禍中の開催にも関わらず、大勢の来場者に好評を得ている。


アトリエ提供

内田氏は、まず、キャンバスに下地となる色を油絵の具で彩色し、その上に木炭で細い線を無数に描く。その後、線と境界をわずかに残して白色を塗り重ね、線の隙に下地の色が見えることで線に立体感を産み出す。

シリーズ作「Trace」に代表される彼女の作品で、蜘蛛の巣のように広がる線は、さらに無数の編み目を形作る。その編み目をひとつひとつ彩色することで、隣り合う色の色相の差が見る人に奥行きを感じさせ、平面でありながら特定の色が浮かび上がって見える仕掛けがなされている。我々一人一人がまさにそのような複雑な総合体であり、さらに言えば人間と人間の関係性は錯綜複雑極まりない。なのに、全体的にすっきりと凛々しいのは、その複雑性を理解した上で、出来る限り内省的に単純化させた作家の人間性や生き方だろうと想像する。

今回の展示会は内田氏の小型回顧展として構成されている。初期のドロイングや油絵、世界各地で展示会をやっていた映像のコーナー、さらには今回出品した今年の新作シリーズであるバタフライの原型になる古いスケッチブックなどがちょっとした文献展の形式でガラス箱に展示されている。2005年の古い作品だが新鮮で、作家自身懐かしいかもしれないが、線がとても初々しい喜びと葛藤が垣間見える。Infinityの作品シリーズは凍りついた真冬の薄氷を踏む感覚を彷彿とさせる危い美しさ。何か脆くて壊れそうなヒヤヒヤする緊張感を漂わせている。


アトリエ提供

新作Trace-20-15ではオレンジがかった不思議な赤が黒い線の中に隠れようとしているか、光が暗闇を尽き抜けて来る瞬間か、どっちとも取れぬ画面構成。要するに、それは日の出にも日の入にも取れる抽象画の究極の境地を見つけ出したようにも思える。このシリーズの誕生は作家の今年の進化を物語っている。

2000年代に早くもアメリカ、フランス、トルコ、中国、韓国、メキシコ、シンガポールと世界各地の個展やグループ展及びアートフェアに出品し、活躍の場を広げてきた内田氏。その中でも特筆すべきは台湾の101ギャラリーでの個展開催だ。村上隆、草間彌生に続き、ギャラリー101で個展を開催した三人目の日本人作家だということだ。

続いて開催された高雄アートセンターの展示会では、開催初日の翌日には作品が完売した作家としても有名である。なかなか成しがたい快挙である。


Trace-40    2011年 1303×1620mmアトリエ提供

なぜ、内田氏の作品は人々に受け入れられるのか? 線と色がまず不思議に色気があり、知的な豊かさを感じさせ、美しいけど敏感で繊細な上、シュールな感じに魅了させてくれる。その画面は、人の脳裏に残ってずっと忘れられない「香り」を持っているのだ。

中国の現代アートは歴史が浅い。2005年に偶然に訪れた上海の国有工場の跡地にできたアートビレッジM50エリアには、今でこそ有名になった中国現代アートの巨匠たち――丁乙(Ding yi)、コンセプチュアル・アートの作家・谷文達(Gu Wenda)や周鉄海(Zhou Tiehai)、コラージュ作品で有名な薛松(Xue Song)、抽象画の作家・曲豊国(Qu Fengguo)、陳墙(Chen Qiang)らがアトリエを構えていたが、まだ画廊は初期の段階で内装もできていない状態だった。草創期の上海では現代アートギャラリーの展示はポリテイカル・ポップが割とメインだった。


Trace20-15 2020年 1167×1167mmアトリエ提供

そのM50の現代アートのギャラリーで内田氏は2011年に700平米の大きいスペースで抽象絵画を中心に個展を開催している。今でこそ上海に進出している欧米の大手の画廊、アラリオ画廊、ペロタン上海、リッセンギャラリー、大田ファインアート等がこぞって抽象絵画の展示会を開催しているが、2011年当時はまだ抽象絵画を扱う画廊は皆無と言っても過言ではなかった。内田氏の個展開催は抽象絵画の先駆けだったと言える。

北京や河北省の美術館でも彼女はレジデンスや美術館展示会に出展している。中国との縁も強く感じる。


シリーズ Butterfly 2020年  各455×455mmアトリエ提供

アフターコロナには内田氏のアジア巡回展が企画されている。同時代の作家の優秀な作家を発掘し、その時代の趨勢を一歩先取りしないと画廊をやっている意味はないと誰かが言っていたのを覚えている。全く同感である。

確かに、この時代の偉大な作家と同時代に生きている幸運はそこにあるのではないかと思う。月がとても美しい夜だ。そうだ、今も作家はその線を渾身の力で描いているんだろうなあと想像して微笑む。

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。