アジアの眼〈30〉
「バランスが大事である。多元性の中でこそバランスは成り立つ」
——多彩なタレントの持ち主 松尾貴史


photo by Hayashi George

有楽町メンズ阪急館銀座のタグボート1のギャラリーで現在個展開催中の展示会がある。展示会のテーマは、Ambivalentという。その個展会場で松尾貴史氏(以下、松尾氏)を取材してきた。

コロナ禍の中で、地下1階に降りて腕章をもらい、再度個展会場に戻り、帰りにまたその腕章を返すなど、用心深いコロナ対策の中だった。展示会期間中であることもあり、会場では普通に来客が行き来していたため、あまり落ち着かない感じだったが、作品を中心に話をしてきた。

「キッチュ」の愛称でお馴染みの、兵庫県出身の松尾氏は、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科を卒業し、俳優、タレント、ナレーター、コラムニスト、折り紙作家等幅広く活躍している。

今回個展に展示している『折り顔』シリーズは、1994年に松尾氏によって名付けられたアートの手法である。大学時代から課題でやっていたシリーズから進化させたものだそうだ。


photo by Hayashi George

日本の生んだ美しい折り紙の伝統からの華麗な伝承だとも言える。折り顔の手法には、まず刃物などによる切り込みや切り取りをやらないこと、次に正方形の紙一枚を折ったり膨らませたりして造形する。その僅かな制約以外は無限に自由なわけだ。この僅かな制約は俳句の僅かなルールにも似ていると言う。

素材は和紙、洋紙、コート紙、新聞紙、不織紙など多様である。造形のモチーフは、有名人、身近な人物、歴史上の人物、想像上の人物などがあり、イメージや表情は自由だ。(松尾氏の新刊『折り顔』(古舘プロジェクト)が出版されている。展示会場で購入できる。)


photo by Hayashi George

展示会場で見られる政治家の顔にはオバマ元米国大統領、プーチンロシア大統領、安倍首相や麻生大臣等が見られる以外、ダリーや草間彌生などアーティストの顔、スターウォーズの依田先生などが印象深い。

七福神は紙の紋様が角度によって光るゴールドの品格が漂う。洋紙と和紙の素材の具合と人物像の相性は製作過程で鋭く勘案しているだろうと思えた。西洋の紙による人物の表現、和紙のきめ細かく繊細な感覚に対する把握は長年紙と付き合っている指先の感性に頼るのではないかと想像してみる。

今挑戦している500羅漢図の一部があるという。全て出来上がったら凄いボリュームと完成度だろうと思う。京都造形大学の学長で現代美術家の千住博氏2の提案より作り始めた作品シリーズだが大作につながるスタートで、東洋美学に通ずる文化性が秘められていて、現物を次の展示会で見られることが待ち遠しい。


photo by Hayashi George

折り顔はハサミを使わない、紙と手だけによる造形である。名前から理解できる通り、折り紙に起因した『折り顔』。それでいて折り紙の伝統はハサミで紙を切って作る繊細で工芸的な趣のあるものである。

それをハサミ要らずにし、手による折り作業だけでつくり、平面になりがちな折り紙に「立体」の折り顔を作り出す。民芸の技をうまく進化させて境界線を突破しようとした試みが垣間見えて興味深い。

東洋と西洋、洋紙と和紙、日常と非日常、庶民と政治家等々の垣根を全て超越した全ての顔たち。その顔に潜んでいる表情は実に豊かだ。

松尾氏は真に多彩な才能の持ち主である。どうして一人でそんなにいろんなことができるのかと質問してみた。


photo by Hayashi George

生きることは、何をしていてもストレスになるのが常である。何か一つの分野に絞ると、そのストレスが全てを占めてしまうと平衡が取れず、壊れていく。その一方、いろいろと違う分野に手を出しているとストレスとストレスが仲良く平衡を取り、バランスを成しているという。なるほどと思う。一兎を追うことを良しとする一極集中型の人からするとありえないかもしれない複数の兎を追っている人、それでいてどの分野も手を抜かないストイックさと調和性がある。

大河ドラマの『義経』(2005)や『龍馬伝』(2010年)、『女城主直虎』(2017年)に出演していた経験からその製作現場でのびっくりする経験とか、日頃経験する出来事たちは、コラム連載につながる。

著作『違和感のススメ』(毎日新聞出版社)は、連載していたコラムが書籍にまとめられた例であるが、多方面に活躍している人は忙しい。コラム連載に設定されている締切はとても大切であり、文筆活動の効率化につながっていると思う。『接客主義』(知恵の森文庫)、『東京くねくね』(東京新聞出版局)もそういう風に出来上がるプロセスを辿っている。

多元的な仕事の活躍の中で、俳優業の演技の体験がコラムや本の内容になり、作品作りの不満が文字となり、言語で表現しきれない部分が作品の中で補足されたりしているかもしれない。敢えて言えば、内容や分野こそ違うが、全ては表現である。

最近では、映画監督も試みた。7人の監督がそれぞれ16分ずつ撮った新たな形だ。どんな映画か探して観てみたい。


photo by Hayashi George

時代劇に出演したきっかけで現世の政治家に対する風刺的な評論を書く。まさに仕事と仕事がクローズして更に新たな仕事を生み出す連鎖になっている。ストレスとストレスを戦わせ、おそらく彼の中で元気なストレスたちを仲良く同居させているのだろうか。

人間は弱いのか強いのか、弱さを人に見せられる人こそ強い精神の持ち主かもしれない。

楽しい魂に少しだけ触れた気がした。またこれからどんな新鮮なチャレンジをしてくれるかワクワクだ。その多彩な才能は魅力的だ。

1 現代アート販売のタグボートは、絵画、版画、写真の販売・買収をする国内最大級の現代アートのネット通販ショップである。

2 千住博は、日本の現代作家で流れ落ちる滝の作品で有名である。ベネチアビエンナーレで受賞した経験を持つ国際的に有名な現代美術家。京都造形美術大学の学長を務めたことがある。

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。