アジアの眼〈27〉
南国で花開く才能
——自由な旅人、天才陶芸家 相馬正和


アトリエ提供

3月末コロナが猛威を振う中、沖縄の読谷村で陶芸家の相馬正和氏を取材してきた。事前に約束していたので、キャンセルしたくないのが正直なところだったが、まだ沖縄ではマスクをしている人はほとんどいなかった。

横浜出身の相馬少年は、若き日は鎌倉の懐石料理「いながき」で料理人をしていた。その若き日に、一人旅をしている際に萩焼やいろんな窯元を巡り、数多くの試行錯誤の末に沖縄に落ち着いたらしい。

沖縄で今、陶眞窯という窯元を主催している相馬氏。登窯は年に何度か開炉するという。


photo by yumi.H

陶眞窯の隣には、釜焼きの焼きたてのピザが味わえるギャラリーが併設してあり、相馬氏の作品も展示してある。メニューを決めてからじっくり待ち時間を作品鑑賞に費やすことができる。さすが元料理人、焼き物の登り窯で焼いたピザは想像した以上に美味しい。

そのすぐ隣には本格的な茶室も併設してある。茶人でもある相馬氏はそこで様々なコレクションで友人にお茶席を設けたりもする。裏千家の流儀で茶室「空心庵」を取材の場にお願いしてみた。お茶の教室も開き、桃李満天下というのだ。快く見せてもらった茶室は宝の置き場、相馬氏本人の作品、コレクションが詰まった空間は彼の友人の作品が使われていることもあり、とても落ち着く茶室だ。

いつかゆっくり着物でお茶をいただきたいと思いながら、最初にアトリエに行った際に壁にあったガンジーの写真と句を思い出す。「明日死ぬがごとく生きろ、永遠に生きるがごとく学べ」との字とガンジーの顔写真が貼ってあった。

料理人であり、茶人で、空手もこなす旅人、とても多才な相馬氏。何だか大昔の前世でお会いした旧知に再会した錯覚に襲われ、妙に懐かしいような、やっと会えたような感じにさせる人格的魅力が溢れる方だった。


アトリエ提供

工房を訪問した時に遭遇した空手シーサー、シーサーは沖縄では厄除けとして随所で見かけられるが、相馬氏は空手を常日頃身につけているので、工房で見かけた一列の素焼きの空手シーサーが目に入った。一瞬、閃きがありコロナ退治にやってきた子達に見えたのですぐ注文するようにした。砂糖黍の釉薬をかけて焼くと自然な白になるらしい。

普段なら旅行気分で夜遊びや美味しい食べ物を探し回り、忙しくしていたのを何だかあまり動き回るのも憚れるご時世だったので、窯元訪問以外はホテルに篭り大人しく読書したり、スケッチしたりした。

一人旅で窯元めぐりをしていた若き日のことを質問してみた。萩焼きの窯元をはじめ、日本列島のあちらこちらを回ってきたが、沖縄にたどり着いた時に人間国宝、金城次郎1の窯元を訪ねたら門前払いされたという。紆余曲折の末、高江洲育男氏の弟子入りを果たし、その後高江洲家の娘婿になり沖縄に落ち着くことになったという。横浜生まれの湘南ボーイの沖縄漂流記。「生き抜く力」を体の中のDNA が沖縄の地で見つけ出したと想像する。それが彼の唯一無二の生存の地、ここで彼の生まれ持つ才能たちが華やかに咲き誇り続けているのだろうと。

元沖縄知事翁長雄志の依頼で7年前に製作したという4メーター近くある巨大なシーサー、壺屋うふシーサー。世界一大きいシーサーだそうだ。その大きさがとても自然に思えるのは、多分彼の人間の器に全てのものを凌駕する大きさを感じるからだろうか。沖縄のハイビスカスが咲き誇る青空にぴったりかなあ。


photo by Shun

かつてドイツ人哲学者カントが唱えた自由意志、私たちは「他者への無関心」の瞳で寛容と拒絶を繰り返してきた。しかし、「複雑性」を内に秘めているからこそ、自分以外の現実を受け止めているはずだ。彼の作品の中で私はその秘めた大きい「精神 Geist」を読み取る。世間を見渡すパッションが作品に宿っているのだ。それが世間を見渡す暖かい眼差しとなり、決して技術だけに頼らない魂の籠った作品たちを生み出す力になったと思う。茶人であり、空手を長く続ける者の禅の極みと精神力という、釈然とした「悟り」ともいうべきか。

他人の運命に「無関心」でなく、関心を持つゆとりはシーサーに、龍に、茶器に、そしてコーヒーカップになっていく。工房には15人前後の練習生が陶工として働き、売店も併設してある。登り窯以外にもガスや電気の釜で若き陶工たちが常日頃制作に励んでいる。

40年前には5軒しかなかったところが、今は70軒にものぼる産業集積を形成している。琉球の文化が行き届くやちむんの町は大きな変化をもたらしてきたという。

空手道場の野外演舞を画像で見せてもらった。青空に向かって体を淡麗に放ち、気合よく叫ぶのはスポーツより儀式に近いと感じた。


アトリエ提供

一瞬にしてファイアウォールを崩してくれる人間性、それには時を積み重ねた濃厚なストーリーがある。アトリエでロクロを回し、のぼり釜で焼き物が焼かれる時の「他力本願」に似た「大らかさ」というか、ある種の「あきらめ」みたいなものが滲み出る。決して力まず、好きなことを続けるさりげなさ、美味しい「人間の味」だ。

アウンの呼吸という言葉がある。運命は必然ではなく、自由だ。彼の作品を眺めているとその言葉が頭の中をかすめる。

町から人が消えた。ロクロを回し続ける一人の陶芸家。好きなことを続けることは善であり、それだけでその人はトレジャーDNA を持つスーパーヒーロー、この世に多様な個性と豊かさをもたらす。何度でも行きたくなる場所が一箇所増えた。暗いご時世で同時代に生きた天才に会えたラッキーな取材だった。

 

1 金城次郎は、那覇市生まれの陶芸家。国の重要無形文化財「球陶器」技術保持者。1925 年13 歳で陶工として新垣栄徳に師事し、この年に民藝運動を展開していた浜田庄司と出会った。民藝運動の中心人物である柳宗悦の影響を強く受け、制作に反映させていった。魚の文様が特徴。

 

 

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。