アジアの眼〈26〉
国際感覚抜群のマルチな才能のパイオニスト
――建築とアート界で二足の草鞋を履く教授 方振寧


photo by GEORGE HAYASHI

コロナが猛威を振うご時世ではあるが、幸運にも日本に滞在している方振寧氏(以下、方氏と略す)を取材できた。横浜地域に住まいを持っていて、北京と横浜を行き来しているライフスタイルだからだ。

南京生まれの方氏。軍人出身の父親も有名な版画家だった。1958年の大躍進の時代に黒竜江省の北大荒1に家族を連れていきなり移動し、急に移動した異郷に着いてまもなく末っ子の弟を亡くした記憶がある。版画家である父はその北大荒の地で版画の創始者の一人だったという。

その後、大学制度が回復した時、方氏は北京の中央美術学院版画学部に入学し、その後、中央美大に留学していた日本人女性と結婚し、日本で暮らすことになった。80年代から90年代に渡り、日本のギャラリーで現代アートの前衛的なミニマリズムの作品を展示し、パブリック・アートの企画にも多数参加している当時では数少ない中国現代アーティストだ。

殊に、2012年、ベネツィアビエンナーレ建築展中国パビリオンのコミッショナーを務め、一躍国際的なキュレーターの一人として注目を浴びる。


photo by GEORGE HAYASHI

ベネツィアビエンナーレ建築展には、2000年から2018年に渡る18年間、一度も欠かさず通ったと自負する(今年はコロナの影響で今のところ8月末に延期されると告知があったが、今のイタリアの状況だと中止になるかもしれないと囁かれている)。

2012年のベネツィアビエンナレ建築展中国パビリオンの企画は、国際的に大きな反響を招き、海外ではとても高い評価を集めたが、中国国内の建築界ではあまり評判が良くないばかりか、悪評だったという。いわゆる従来の建築展らしくなく、アートと建築の間を形にした建築展はほとんどの人には理解できなかったのだろう。

もちろん、そこまで辿り着くためには日頃の蓄積と苦労もあった。振りかえれば、1988年に東京滞在中の方氏はすでに東京の画廊で個展を開催していた。ギャラリーQやギャラリー360度及び横浜美術館での展覧会を含め、毎年重要な個展やグループ展を開催してきた。

北京に帰国してからは現代作品制作の傍ら建築とアートに跨った評論家として活躍し始めた。2005年に北京の798のアジアアートセンターで開催されたグループ展はとても成功した企画展であった。2008年以降は、フランス・パリやベルギー等、海外での国際建築展を中心にキュレーションをし始め、その後10年間において、ほぼ年に一度のペースで大型国際展を企画し、その集大成として、2012年にベネツィアビエンナーレ建築展の中国パビリオンの代表コミッショナーとして大役をこなす。これは方氏の国際舞台への大きな飛躍と言っても過言ではあるまい。


ベネツィアビエンナレ中国館2012年 作家提供

2006年からはベネチア、マドリード、ブリュッセル、ヴェイルアムライン、リヒテンシュタイン、マンハイム、ローマ、セゴビア、ソフィア、モスクワ、サンクトペテルブルク、リヨン、カプリ、ボゴタ、クリチバ、サラマンカ等で中国現代アートや建築の展覧会を手がけ、学術講演会を行った。

中国現代建築やアートに関する十数冊の著書があり、英語・フランス語・スペイン語・ドイツ語で出版されている。

キュレーションをする代わりに、個人のアーティストとしての作品展示は少し減退していないかと質問してみた。方氏にとっては、企画展自体が作品に等しいという。確かに、大型インスタレーションだと言えなくはない。だとしてもマルチな国際展で個人の作品を作る時間がないように見えるのは、多少勿体ないように感じなくもない。大学の定年退官後を期待しよう、密かに。


無題、1996年 東京/作家提供

一人の独立した大物キュレーターとして、7割の建築展に3割のアート展を企画している方氏。世界中のいい展覧会を見て回り、アート界にも建築界にも欠かせない存在だ。

2017年には、上海都市空間芸術祭(SUSAS 2017)キューレーターを務めた。

1982年北京の中央美術学院版画科を卒業後、来日前の80年代には故宮博物院故宮出版社に勤めた経歴も持ち、現在は中央美術学院建築学院、設計学院及び造型学院で教鞭をとる。


ベネツィアビエンナレ建築展中国館2012/作家提供

コロナで北京に帰れず、ネットで講義をしている最近の方氏の日常、彼の講義は建築とアーティストの大量な資料で構成される。学生が羨ましい。

アートと建築の評論、そして作品。これからどこまで進化するか楽しみだ。

世界を飛び回るフットワークの強さ、勤勉で読書家の方氏は前衛派評論家として、類いまれな存在である。

 

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。