アジアの眼〈21〉
風の使者
――中国が世界に誇る現代美術家 秦風


Photo by Mao

上海郊外の朱家角ウオータータウンの古い工場の跡地にある巨大なアトリエで中国の現代美術家、秦風氏を取材した。

中国の古き国有工場の硬派の無機質感漂うアトリエ、その名の通り風のような自在な性格の持ち主で、新疆ウイグル自治区のシルクロードの要塞で幼少期を過ごした氏は、草原を駆け巡る遊牧民の自由な魂を持ち合わせている。この大きさは彼の巨大な作品を置くにはちっとも大きく感じさせないから不思議だ。シルクロードの新疆ウイグル自治区で育った秦氏は、草原と砂漠を際限なく走り続け、学校は暇な時に行くものだったらしい。

その大自然のおおらかな影響もあってか、新疆、北京、ベルリン、ニューヨーク、そして上海と、世界を見てきた大きな少年が豪快に東西を駆け抜け、その文明を満喫した上でその境界線をなくしたスケールの大きい作品を作り上げ、世界中の美術館、博物館、画廊で展示会を開催し、世界中の美術館に所蔵されている最もホットなアーティストだと言っても過言ではあるまい。


Photo by Mao

新疆で生まれ育った彼は、山東工芸美術大学に進学し、1996年には中独芸術交流大使としてベルリン市政府の招聘を受け、ベルリン芸術大学で教えることになる。その数年後にはアメリカ・ニューヨークに移住し、2006年に北京現代芸術館MOCA BEIJINGを設立する。その後、中央美術大学の大学院で客員教授を、アメリカのハーバード大学では研究員を務めた履歴の持ち主だ。

アトリエにある作品からもわかるように、氏の作品はとてつもなく大きい。

天井の高い昔の国有企業の工場跡地にある上海郊外のアトリエは、高さが10メートル近くあるが、天井から吊るした特製の布に描いた絵はそれもまた巨大だ。不思議なのはその大きさが彼を取材していくうちに妙に頷けるようになることだ。大きい筆、大きいテーブル、大きい絵画群、長身の彼にしてもそのスケールは相当大きいのに、喋っているうちに納得するようになる。

では、作品を見ていこう。千仏山という山で経験したあるできごとがあるという。山には山頂と山中と山の下があり、神壇は山頂へ、人は死んだ後山中に埋められ、生きている人は山の下にいるのが世の常である。ある朝、赤い糸がなぜか人の胸の高さに張られていて、通りかかった人は誰一人それを看過できず、回り道もせず反応していたという。驚くか愕然とするか、祈り始めるか。後に「欲望の風景」に出てくる赤い線状のものがここから生まれてくる。

大草原や砂漠、幼少期に経験した大自然への帰還。それは広い世界を経験した大人になった精神を郷愁へと導き、その懐かしさを媒介に、自然と人間が悠久な文明の中で人間が失ってきた純朴さへの憧憬になって作品に反映される。


欲望の風景シリーズ、2012年アトリエ提供


墜落した天使シリーズII、2016アトリエ提供

山東時代に作った「彼岸の叫び」は数百枚に登る創作原稿である。新疆のシルクロードの広大な文脈が彼に残してくれたのは「遠古の響き」シリーズだ。そして政治色の強い北京では「青春期総合症」シリーズ、ベルリンでは「文明風景」シリーズ、文化雰囲気の濃厚なボストンでは「天園地方」シリーズ、そして大都会ニューヨークでは「夢遊者の天国」「欲望の風景」シリーズが誕生する。そして、再度北京に戻った際にできた「堕落した天使」シリーズ。そう、彼の作品は生活していく中で体感したことを哲学し、それを敏感にキャッチしたものがテーマごとにシリーズの形で現れる。

彼の作品は平面に限らない。インスタレーション、彫刻、パブリック・アート、ランドスケープアート等、ジャンルを超えた規模の大きい作品群たち。


成長の限界、インスタレーション 2008
アトリエ提供

その中でも、特に言及したい印象深い作品がある。大きい樹が空間に逆さに吊るされた大型インスタレーション、「成長の限界」という作品だ。この作品は室内に逆さに吊るされた樹が地面を離れて水無しの状態で、一度細い緑の枝がほんの少し最後の「生」の兆しを見せるが、結局は枯れていく過程を展示で再現している。とても哲学的なインスタレーションだ。命の本質はそうだ、最後に一あがきをして消えていくのだ。消極的ではない、敢えて直面している生への強い描写だ。

中国の書は絵画と分離できない書画同源という謂れがある。彼の書のような絵のような抽象画やインスタレーションはポストモダンな現代水墨だと言われたり分類されたりするが、私からすると彼の絵画や作品をカテゴライズすることは所詮無理である。どこにも属さず、自分だけの「風」が確固たる形で出来上がっているからだ。


欲望山水シリーズ、2007アトリエ提供

「欲望山水」シリーズがある。伝統的な山水画や中国画を描く筆はとても繊細で細かいが、彼の筆は巨大だ。宣紙という脆弱な薄紙では無理なぐらい大きい筆に特製のアクリル、それに耐える特製の布に筆を豪勢に使うのだ。

2016年にベネチアのサンジョルジオの島で、彼の大型個展「迎風WAITING FOR QINFENG」が島を挙げて開催された。ベネチア大学の学長や国際的に有名なキュレーターオリヴァ氏、元光州ビエンナーレ総合デイレクターの李龍雨氏ら錚々たるメンバーでの企画展であった。

間違いなく彼は、その神聖な島で個展を開いた初の中国人作家である。一週間後にはチベットに制作に出かける風のような人で、その名の通りだ。チベットではどういう作品ができるのだろう、新作シリーズが楽しみだ。

 

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。