アジアの眼〈19〉
「表面から表面へ」
――モノ派の巨匠、彫刻家 小清水漸

大阪の遊糸洞と命名された小清水漸氏のアトリエを取材してきた。上海万博記念版画のプロジエクトで一緒に仕事をした2010年と翌年のプロジエクトを機に京都でお会いして以来だ。8年ぶりの再会である。


撮影/annie sun

小清水氏は、東京都立新宿高校を経て、多摩美術大学彫刻学科に学び、在学中の1967年よりグループ展で作品発表を始めている。当時の活動は、関根伸夫、菅木志雄、榎倉康二、李禹煥、吉田克朗らとともに、「もの派」作家の重要な一人として国内外に知られている。
現在、関西を拠点に木を主な素材にして、日本的風土性や土着性を強く意識した制作を行い、日本の現代美術を代表する作家の一人として国際的に活躍され、数多くの受賞を経て2004年には紫綬褒章を受賞している。

小清水氏は「もの派」の中で,唯一彫刻学科で学んだメンバーである。他の作家が皆、平面作品の制作から三次元に転換したのに対して、彫刻を専門にしていた氏の視覚は独特であった。

1968年、須磨離宮公園第一回現代彫刻展で、制作を手伝った関根伸夫の〈位相—大地〉は、小清水氏との立会いがなければ成立しなかったという。後に「もの派」のスタートを象徴する〈位相—大地〉は、高さ2.6m、直径2.2mの円筒状の土塊が崩壊せずに自立したのは歴史的な事実であると同時に奇跡的な出来事であったという。しかし、その奇跡を実現させた大きな要因は、小清水氏がその木枠の中に均一に土が積まれていくことに神経を注いでいた等の綿密な作業があってこその実現だったという。1

 


アララトの舟 1991年 アトリエ提供

氏は、彫刻の内的構造として、意識的にせよ無意識的にせよ、何を選び、何を捨てたのだろうか。二つの指摘が可能である。一つは、人体像の記憶からの決定的な決別であり、もう一つは、音楽における「主題と変奏」に似た、独特な修辞法的な展開である。2

小清水氏が人体像に決別しているのは、単に人体をかたどるような造形をやらないということではなく、西欧芸術に流れる基本的な考え方―ものの表面にはしかるべき内部が対応しているという考え方―からの脱却を意味しているのである。人体像・人物像を造形的根幹に据えたのは西欧の芸術であり、いわゆる伝統的な彫刻が守るべき原則でもあった。その余波がアジアの仏教美術や近代日本の西欧化美術にまで及んだとはいえ、それは東アジア本来のものではない。東アジアの芸術の基礎をなすのは風景である。その西欧芸術にとって、人体とは「表面」と「内部」とが一対一で厳密に対応する例外的・理想的な物体であった。絶妙な変化と連続性を持った人体表面は、指し示すもの、包むもの、意味するもの(シニフィアン)の申し分なき形象であり、他方、その表面に包まれ、限定される内部は、至高の生命、霊魂、人間性、自我といった意味されるもの(シ二フィエ)だとする。ニーチェ的な言い方だと、アポロ的なものとデイオニュソス的なものでいうと、太陽に照らされ光り輝くアポロ的な湖水の表面と、その底に隠れるデイオニュソス的な「恐ろしい深み」という比喩の中に明瞭に表れていた。3


雪のひま 2010年  アトリエ提供

〈位相-大地〉成立に携わる経験から小清水氏自身、おそらくその問題作(もの派の発端を象徴する作品)が創造されたすこぶるダイナミズムに驚き、そして驚異的な覚醒による作品群が生まれ始める。

1969年2月に発表した〈垂線〉は、画廊の真ん中に重りを付けたピアノ線を垂らすという極めてシンプルな構成による作品である。その制作の論理は、空間そのものを必要最小限の要素で成り立たせようとする観点であり、そしていうまでもなく、おそらくは戦後日本の最大の問題作〈位相-大地〉を成立させた重要な要因が、小清水氏の〈垂線〉の基本原理である鉛直線によって存在した、という自覚に基づく制作行為だったはずである。

〈垂線〉以降、彼は、大きな石が大きな紙の包みに入った作品〈かみ〉や、巨大な石を二つに割った〈1970年8月 石を割る〉といったいわゆる「もの派」的な作品を数多く生み出している。いずれにしても「もの派」とのちに総称されるようになる美術運動の原理、「もの」を何らかの表象としてではなく、「もの」そのものの存在を顕わにする方法は、その運動に関わった若い創造者たちに共通し、彼らの作品は必然的に相似した。そのような理由もあり、小清水氏を含めたその創造者たちの多くは、その原理的な方法論から次第に距離を置くことになるのである。


表面から表面へ1971年 アトリエ提供

〈表面から表面へ〉は、彼が「もの派」から離脱し、本質的な意味で一人の作家となった基準作であり、伝統的な西欧芸術と芸術的哲学へのアンチテーゼでもあった。製材した同サイズの平板14枚の表面を電動ノコギリで規則的に刻みを入れることによって、それぞれ違う表情を作り出した作品である。

1974年から創作を始めている〈作業台〉シリーズ、最初とされる〈a tetrahedron-鋳鉄〉、そして、木を使った、まさに机の形状をしたシリーズである。

「容れるもの」、〈かみ〉から派生したシリーズ、「水浮器」、「皿・杯」など食器の形状をしたシリーズ、「レリーフ」シリーズ(表面から表面へも含む)、「かたち」シリーズ、飛ぶかたち、鳴るかたち、梳くかたち等.1970年の石を割る、琵琶の一部をモチーフにした鳴るかたちがスプーン一杯の音色。そして、ほぼ文学作品に近い「舟」、舟の骨格が砂浜に埋もれかけたかのように台に、「空へ信濃川から」も広大な大地で美しい一例である。

作品シリーズは、お互いに交差し、関係性を持ち自由に関連づく。そして、進化を続ける「工芸性」を凌駕した現代性。9月に埼玉の美術館で行われる展示が楽しみだ。

 

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。