アジアの〈18〉
中山服と恐竜がシンボリックな代表作
中国現代彫刻の第一人者 隋建国


  1. 撮影/柴金辰

北京近郊の別荘地に自宅兼アトリエを構える中国現代彫刻の第一人者、隋建国氏を取材した。

作家の名前からも判断できるように、50年代生まれの隋さんは小学生時代に文革を経験した世代で、10才の時だったという。二人兄弟の兄が田舎に下放されていたことと、母親が40代前半で早期退職したおかげで農村地域への下放は免れ、少年隋建国は16歳から紡績工場で働くことになる。

その工場で働く期間中、山水画の先生に学び、五代から宋までの伝統的な模写を一通りやってみた。とても楽しかったうえ、工場側からもなぜか理解されるばかりか激励されるほどだった。その後、文革後の大学制度回復時に地元青島の山東芸術学院 に学び、その後北京の中央美術大学修士課程に進学し、彫刻を専攻した。80年代、自己啓蒙時代の中国では若い世代が哲学に対する関心が高く、アート界では全国青年美術展が開催されるなど、85新潮 に繋がっていく頃だった。


撮影/柴金辰

1989年、彼は卒業して母校中央美術大学彫刻学部で大学教師になる が、教師になったその年に学生たちを引率して田舎に行った際に「石」に出会ったという。石を手に持って「打つ」過程は彼にいろんなことを教えてくれた。

石には方向があり、その方向に沿って切っていくとそれ自体に生命力があり、何もしなくてもいいことを悟ったという。中山服と恐竜が彼のシンボリックな代表作になり、798 のユーレンスアートセンターの前に設置してある赤い恐竜の彫刻は、ポリテイカル・ポップアートの代表的な作品だと言っても過言ではない。中山服に代表されるユニフォーム化された大衆のフアッション、赤い恐竜はどこか冷戦時代に資本主義側から見た社会主義中国に対する西側目線を逆手に取った感じのシンボリックなシリーズだ。


服飾研究、1998年  アトリエ提供

実は、恐竜を作るようになった経緯はとても興味深い。日本の福岡と中国の東莞に縁があった。90年代に展示会で訪れた福岡の観光客向けの土産物屋で見かけた恐竜たち、とても安くて作りが精緻だったという。土産として買おうとしてみたら産地表示がメイドインチャイナになっていて少し躊躇してしまった。だがやはり自分用に買うことにした。何年か後に深圳の東莞で再度見かけた時、「これだ」とひらめき、恐竜を作ることになった。のちに、赤い恐竜は中山服と並んで彼の代表作の一つになった。恐竜にも中山服にもメイドインチャイナの字が刻まれていた。

しかし、彼は2005年に作品の中からMade in Chinaを取り去り、それを単独の作品にした。この時点ではじめて作家の意図が理解されたという。それは、世界の工場だった中国が世界のマーケットにシフトしていくことに対する彼の優れた観察眼と預言者的直感。それは彼の作品のフイロソフイーを支える土台でもある。

白いドグロの彫刻がある。50才の誕生日に引越しした先の地面の下から、実は白骨が出てきたという。もともとその場所にあったものではなく、急増した建築現場の土の運搬過程で偶然土の一部として運ばれたものだと推測した。その白いドグロを20倍に拡大させた作品は迫力満点だ。


時間の形状 撮影/柴金辰

その50才の冬に始めた新たな試みがある。時間と空間の一致性を求めた作品、ある細い棒に青いペンキを浸かってそれを形状記憶する。助手がやるか作家がやるか必ず絶えないようにしている作品「時間の形状」。この作品はすでに12年以上継続しており、今も続けられている。時間が形を持って再現される瞬間を空間に形として残す作業は、とてもコンセプチュアルで、彫刻自体としての技術自体に対する見せ場はない。とてもシンプルで奥深いコンセプチュアルアートだ。

2008年の作品で「盲人肖像画シリーズ」がある。目をつぶって粘土を捏ね、それをそのまま20倍にした作業だ。アイマスクを取り除き、手が捏ねたままの粘土を拡大した作品もある。閉じていた目を醒まさせたのだ。その過程の共通性は修正しないこととコントロールしないこと。一度捏ねたままの状態でよかったという。


メイドインチャイナ、1999年 アトリエ提供

サンフランシスコのアジア美術館で2005年に開催された個展以来、数多くの国の画廊と美術館で展示会を開催してきたが、そのなかでも深圳で開催された今年1月の展示会は、2008年から2018年までの作品を網羅した回顧展として有名だ。

長く勤めていた中央美術大学を3年前に定年退職し、いまは作品に専念できる時間が持てる。彫刻学部では学部長を勤めていた。今年、北京撤退で話題になっているペイスギャラリー北京 とアラリオ北京 、いずれも国際的な画廊として仕事をしていた。来る9月に北京民生美術館での大型個展を控えている隋建国氏、新展示会にどういう仕掛けがあるか楽しみだ。

 

1  中国では、美大は「中国美術学院」「中央美術学院」と呼ばれ、大学と同じ意味である。

2  85新潮とは、80年代に中国で行われた全国的な現代アートの運動を指す。星星画会らアバンギャルドなグループが全国的にできていた。

3  「留校」という言葉が使われている。大卒した卒業生が母校に残ってそのまま大学の先生になること。

4  中山服は人民服ともいうが、80年代まではほとんど町中が紺色の中山服を着て自転車に乗った感じだった。

5  798芸術区は、望京エリアにある画廊が集まっている産業集積のアート・ヴィレッジ。上海では同じようにM%0と略称された莫干山路50号という場所がある。

6  ペイスギャラリーは、アメリカのメジャーな画廊で、ドイツ人デザインの旧国有工場の跡地を改装した798に行く際に必ず寄るべき画廊と呼ばれている。今年秋には798を撤退する予定で、一つの時代の終焉だという人もいるくらいだ。

7  アラリオギャラリーは、韓国のメジャーなギャラリー。アラリオ北京時代に隋さんと仕事をしていた。北京からは一度撤退するが、2018年、上海のウェストバンドに再度進出している。

 

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。