アジアの眼〈10〉
中国の白髪一雄
—— 抽象画家 王易罡

建設中の大型スタジオにある王易罡氏のアトリエを訪れた。12月初日の午後、気温の低い北方の瀋陽だったが、日差しが綺麗に射してきたアトリエはとても心地よいスペースであり、取材終了後に遭遇した夕焼けはとても美しかった。


アトリエ提供

魯迅美術大学という中国8大美大の一つである大学で、長い間大学美術館の館長を務めていた氏は、ようやく今年をもって館長職を辞し、作品制作に専念できるようになったと嬉しげだ。

彼は黒龍江省斉斉哈爾(チチハル)市出身で高校を卒業後、社会に出て4、5年経ってから魯迅美術大学を受験したという独特な経歴の持ち主だ。かつて80年代の85新潮注1の際には、北方芸術グループに一度参加した経験もあるが、独立性を、更には自由性を重んじる彼は、結局はグループとは独立して制作を続けてきたという。

ここ2年間の氏はスイスの老舗画廊Absoluteと仕事をするようになり、毎年12、13ほどの展示会を開催する最も忙しい作家の一人だと言える。スイスのギャラリーでは、まだ生きている作家は彼だけで、彼以外の作家は皆物故作家で欧米のアート・マーケットで王氏一人のためだけに市場開拓を始めたという。中国の作家としてはとても珍しいとも言える。彼にとって、絵画の創作過程は、自由に表現する貴重な方法であり、自分の存在価値を証明するルートでもある。彼にとって抽象絵画はライフスタイルであり、メソドロージでもある。

ニューヨークの有名なマーク・ボーギ画廊での個展は先月11月8日から始まり、12月21日まで開催される予定である。


アトリエ提供(2017 抽象作品R76号)

この展示会は、氏の小型回顧展に近い。90年代に創作された作品から2017年までの14枚の作品が展示されたが、3段階の絵画作品が含まれている。第一段階の作品は90年代に創作され、アメリカ抽象表現主義の視覚言語を取り入れた作品で「抽象19号」がその代表作である。赤と黒の色調がメインな筆致の早期の落書き風の絵画は力強く、一見混乱した中で強調する各項間の衝突と自由を表している。第二段階の作品である中国山水シリーズは、中国の伝統的な水墨画の技法を用いて、キャンバスに油絵の材料を用いた実験的な試みである。作品のベース部分にある厚くて豊かな構造は、西洋絵画と中国水墨画の「山景」との間に生じた独特な衝突感を表現している。第三段階の作品群は、ニューヨーク個展の主な作品である。それらはいわば観念抽象というコンセプチュアルな抽象画である。それは、しいては潜在意識の創作過程であり、精神自発性の創作過程での重要性を強調しており、個人の文化と知識背景により、内側から外に発信される創作力であり自己意志である。

彼は一時ポリテイカル・ポップも経験したが、今は観念抽象絵画に帰着している。氏にとって抽象絵画はセックスに似ていて、相手の反応によって盛り上がったり普通だったり、しらけたりもするという。それよりも抽象絵画の創作過程自体はもっと直感的な感性に頼るべきで、計算し尽くすことは相に合わないと、アトリエの柱に縄をかけて足を使い、全身の感覚を振り絞って絵画を完成する。そのプロセスは、自分史への回顧であり、自己分析の手段であり、いろんな関係性の解析であるわけだ。日本の「具体」注2絵画の白髪一雄のように足を使った技法であり、あえて中国の白髪一雄であると称したい。

西洋抽象表現主義の美学と東洋の禅の精神との文明の衝突への思考は、観念抽象を形成する過程でとても重要な役割を果たしている。足を使って創作する過程は、破壊ではあるがその「破壊」の中には自らのそれなりの秩序があり、「否定」から「肯定」へ、そして再度「否定」への過程を繰り返すという。目で見て判断するわけではない、足なのだ。その全身全霊の動きによる「偶然性」は偶然の中で「必然」を発見していく過程を辿るという。そして究極的には物質世界の対話の中で、自分自身の精神世界への正確な帰着点を探る過程でもある。


撮影/shengcan

大学に身を置きながら大学の体制に違和感を感じ、常に客観的な視点に立って物事を俯瞰する知恵を保ちたいと彼は話す。禅の思想を欧米に伝播した鈴木大拙、人類史の文化に大きな貢献をした日本の文化に彼は深い敬意と関心を持っているように見えた。

生と死、苦しみと楽しさの対局で、キャンバスに走る氏の足の重力は常に自分との戦いであると同時に、率直さ、真実、残酷、神秘、落胆等数多くの感情の動きを露わにしている。

自由を愛する人の絵画は自由だ。

 

注1:抽象絵画が中国現代アートの一つの潮流となり、1985年に中国美術館で「前進中の中国青年展」、「ロバート・ラウセンバーグ展」が開催。その時期に起きた芸術表現の探索運動を「85美術運動」あるいは「85新潮」という。

注2:正式名称:具体美術協会。前衛画家・吉原治良を中心に1950年代に結成された前衛美術集団。

 

 

 

 

洪欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。