アジアの眼〈2〉
「この人、本当はすごく絵がうまい人だ」—— 手塚治虫
—— 紫綬褒章受賞の漫画家 しりあがり寿

漫画家のしりあがり寿さんを渋谷の駅前某ホテルで取材した。カフェで待ち合わせたのだが、公共の場での取材はお断りということだったので、急きょ個室を貸し切っての取材になった。

最初は少し緊張したが、取り調べ室にいるようだと彼はギャグを言ってくださった。その一言に救われ、取材は笑いが頻繁におこる和やかな雰囲気の中で進められた。


アトリエ提供

彼はあの手塚治虫先生が、「この人は、本当はすごく絵が上手い人だ」と認めたことで有名であり、紫綬褒章を受賞していることでも知られている。世間では、いわゆるヘタウマと言われているが、ゆるキャラやギャグ漫画というジャンルで、観客を思わずクスッと笑わせる。彼の作品に触れると、誰もが一度ホッとさせられる。それは何だか厳しい世の中を生き抜く我々現代人の応援歌にもなれそうだ。

実は、小学生の頃通っていたお絵かき教室で先生に漫画っぽいと言われたことから漫画家を意識したという。大卒後、キリンビールに就職。サラリーマン時代を経て、漫画家として独立するのは30代半ばだが、サラリーマン時代も漫画家として活動していた。あくまでも会社の仕事が優先で、会社を休んで漫画を描いたことは皆無だったと言うのは驚きである。その律儀さに、なる程と思わせる部分と人間としてきちんと原則を持っている堅さもある方だと思い納得した。しかし、その一見正反対のような要素を一身に同居させている彼は、漫画家、現代美術家、映像作家とマルチに活躍しているにもかかわらず、面白い魂の持ち主であり続けている感じがするのだ。これは容易なことではない。


尻上がり寿作

80年代にデビュー直後のしっかりと書き込んだ漫画と比べて、近年の筆致はますますゆるく抽象化してきたと言える。その時代時代のトレンドもあるだろうが、実は人生を一生懸命生き抜いてきた自信ともいえるだろうか。絵が上手い美大出身の作り手の皆さんは、どこかでテクニック重視に走りがちだろうが、彼のゆるく、ひょろりとした描き方はそれを遥かに超越したようにも見て取れる。

先ほども言及した通り、彼は横浜美術館、開館したばかりの北斎美術館及び海外で多数の展示会を開催し、ライブ・ペインティングを精力的に行っている。昨年の年末年始に森美術館で開催されたドラえもん展では、日本の現代美術家の名だたるアーテイスト達と並び映像作品を発表していたが、こんなゆるいドラえもんもいいなあと、つい思わず笑ってしまう。横になって寝ている叔父さんが右足で左足を掻く小さな仕草、思わず笑ってしまったエンデイングの画像、やはりとても印象に残る瞬間である。


尻上がり寿作

デビュー以来、130冊もの漫画単行本、共著、絵本、小説などを出版している。なかでも、おやじ共和国というエッセイがあり、割りと深刻な社会問題を描いているにもかかわらず、言い方はあくまでも軽やかでゆるい。「お友達はお互いを楽しく利用しあうものだ」とか、イジメの問題を描いているのにもかかわらず、やはり軽く面白く描いている。思わず笑った後にそれだけではなく実にいろいろと考えさせるのだから、それはまさに現代アートが目指す理想に近いのかもしれない。たぶん、深刻な問題を真面目に描いてしまうともっと深刻になるからだろうか、思わず笑った後に、実はそうだよなと首を縦に振らせる迫力にはものすごく敬服させられる。

直近では、北斎美術館でのライブ・ペインティング、大江戸博物館でのライブ・ペインティングなど精力的に活動の場を広げている。多くの観衆が釘付けになった場面を映像で見た。現場にいられなかったのが悔やまれる。一方、映像作品は、ならべうたシリーズ、ただただ寝てるシリーズ、懐かしアニメ風シリーズ等数多くあるが、その中でも文化庁の展示会の際に見た、北斎が赤いスリッパを履き、ヒョロヒョロと飛んでしまう映像作品はとても深く脳裏に刻まれている。実際、私たちは夢の中で何故か空を飛ぶ夢を見がちだが、そのせいか彼の映像作品は笑いを誘うばかりではなく、どこかに懐かしい郷愁を呼び起こす力があるようだ。


撮影/菅谷守良

取材終了後、取材の際に取り調べ室っぽいと言っていた状況を漫画に、そして図々しく似顔絵までお願いした。ここにスナップ写真ではなく、しりあがり寿さんの作品を載せることにする。やはり写真よりは抽象的でかわいいかもしれない。

春が来た。80年代に「エレキな春」で漫画家デビューし、母校の多摩美大の入学式に卒業生代表として、後輩達の前で面白いスピーチで皆を笑わせるしりあがり寿さん。彼を取材できたことはつくづく光栄でならない。世界中の美術館やアート・スペースで彼のユーモアをキャッチしたいものだ。


似顔絵/尻上がり寿作

洪 欣

東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。ダブルスクールで文化服装学院デザイン課程の修士号取得。その後パリに留学した経験を持つ。デザイナー兼現代美術家、画廊経営者、作家としてマルチに活躍。アジアを世界に発信する文化人。