新中国の平和のあゆみ 第1回
100歳を迎えた元日本人戦犯はいま
石田 隆至 上海交通大学副研究員

今年は、新中国で日本人戦犯裁判が行われた1956年から数えて、65年目にあたる。当時もっとも若い戦犯でも30代半ばであったので、存命でも100歳前後になっていることになる。確認できる限り、1100人近くいた帰国戦犯のうち、3名が既に100歳を越え、2名がまもなく100歳を迎える。

島根県の山あいの農村に暮らす上田克義(仮名、以下同)は、今年99歳を迎えた(写真下)。この年齢になると病気や身体の不自由を抱える人も多いが、上田は数年前まで自身で車も運転していた。今でも若い訪問者を自宅に迎えて、戦争体験・戦後体験を伝えている。筆者も数年前の訪問をきっかけに手紙のやり取りを続けている(写真下)。一般に、日本の軍隊経験者の語りは、戦争の悲惨さや戦地での苦難などが中心になる。そして、抽象的に〝平和への願望〟が語られることが多い。上田が口にしている言葉は、それとはまるで異なる。昨年6月に送られてきた手紙にはこうある。

 

「私達は侵略軍として中国の皆様に多大な罪行を重ねました。今も私の脳裏によみがえる惨劇と中国の皆様に深い謝罪の念で胸を締め付けます」。

侵略や戦争犯罪に自ら加わったことを明確に語っている。そして、「終わったこと」としてではなく、現在の心境として謝罪を口にしている。日本の戦争体験者が具体的に語る出来事の多くが、被害経験か苦労話であるのと対照的だ。

また、平和活動に取り組む戦後世代が昨年12月に自宅を訪れた際には、次のように語っている。

「世界でも中国が大きくなった。民族が多い。今香港などいろいろな問題がある。こうなれば、中国は押してしまうでしょう。でも、日本に攻めることはない。時代は変わった。米軍の基地もいらないでしょう」「やっぱり敵対行為はもう絶対にしてはいけないと思っている。今アメリカへの思いやり資金を渡しているが、そんな時代は過ぎた」。

中国が大国化し、覇権的・膨張主義的だという世論が日本社会で再度高まっていることを意識した上での発言である。戦犯として収容されていた時期に、彼らが身を以て体験した新中国の平和政策、平和主義が現在においても持続しており、今も国際政治において有意義であることを明確に伝えようとしている。

100歳を迎えてのんびり過ごしたいという人々からは、決して聞くことのできない言葉である。戦犯に問われたとはいえ、起訴免除で釈放されて帰国してから既に65年も経っている。帰国後、長年にわたって平和活動にも取り組んできた。もう十分に反省したから、ソッとしておいてほしいと感じても不思議はない。また、その後の中国の状況も世界の情勢も目まぐるしく変貌し、改革開放で大きく発展した。平和主義や国際主義を過去のものと感じてしまう日本社会の趨勢に染まることも考えられる。ところが、上田から伝わってくるのは、現在の日中関係や日本社会の状況に無念さと一定の責任を感じながら、最後の一瞬までできるだけのことをしたいという切迫感のようなものである。

上田以外の4名の元戦犯も、程度の差はあれ、同じような現在地を生きている。彼らは新中国から帰国した戦犯で組織された平和団体(中国帰還者連絡会)で長年平和活動を行ってきた。玉村(101歳)と今川(100歳)は上田と同じ組織の支部で90代まで活躍してきた。玉村は現在もインタビューに応じている。木村(101歳)と稲田(98歳)は体調を崩しているが、稲田が自分史を出版したのは90歳の時である。

彼らが戦争の反省を終生にわたって深め続け、発信し続けてきたのはどうしてなのか。保守的な日本の政治文化にあって、こうした平和活動は小さくない反発や抵抗を引き起こすにもかかわらず、なぜ継続してきたのか。戦争経験や戦犯収容経験を次の世代に伝えようとしてきたのはどうしてなのか。

残念なことに、これだけ興味深い経験でありながら、きわめて単純化して捉えられるばかりだった。彼らが建国期の新中国で「思想改造」を経験したことから、学術研究においてもジャーナリズムにおいても、中国共産党の〝政治性〟が過度に強調されてきたのである。「日本鬼子」が数年後に自身の加害行為を涙ながらに反省して謝罪したことは、〝洗脳〟〝強制〟〝忖度〟などと外在的な〝力〟による働きかけの結果だとみなされてきた。戦犯裁判についても、法的手続きを欠いた、あらかじめ結論の決まった〝政治ショー〟〝プロパガンダ〟といった見方が支配的だった。

こうした捉え方には決定的に欠けているものがある。一つは、元戦犯自身や戦犯の教育改造や裁判準備にかかわった中国の人々の主体性を見落としている。自身の行為が醜悪な戦争犯罪であったと認めること、そうした許し難い戦争犯罪人に理性と誠意で接して更生させること、そのいずれにも、容易には表現し難い深刻な葛藤があったはずである。それを見落としてしまえば、政治的な強制性を前提にしなければ説明が付かなくなってしまうだろう。しかし、実際に訪ね歩いた元戦犯や中国側の関係者は、いずれも深い葛藤に向き合った者に特有の柔軟な感受性を有していた。

もう一つ見落とされてきたのは、建国期の新中国政府が有していた強い平和志向や理想主義である。その後の中国が社会主義「探索」の中でいくつかの失敗を重ねてきたことで、革命的理想主義や平和主義、国際主義が全否定される趨勢がある。しかし、そうした艱難辛苦を経てもなお、平和主義や国際主義が貫かれていると考えなければ、現在の中国の平和実践をうまく捉えられなくなる。このことは、上田自身が、〝中国が発展した今だからこそ平和主義がこれからも重要になる〟と語っていた通りである。

この連載では100歳を迎える元日本人戦犯や同様に建国期の中国を経験した人々の人生から、中国の平和実践を振り返ってみたい。その際、〝強制〟ではなく〝主体的な自己反省〟を経験した戦犯像、彼らの帰国後の特徴的な平和への歩み、そして〝外交上の取り引き〟や〝覇権主義〟ではなく〝平和主義・国際主義的実践〟として行われた戦犯裁判像を具体的に描きながら、私たちの「現在」を照らし出してみたい。