日本画生藤島 博文
「日中文化同盟論」を考える(3)


牡丹三題の内「ふるさとの山 高越丹花」80 号

あまりにも気高い美しさゆえに花王、富貴花、花神とも呼ばれる牡丹は、中国で生まれ遠き日洛陽の都に咲き香りました。我が国にも伝わって絵画や工芸品を彩り、元禄年間には江戸庶民に広く愛され多くの品種改良が進められるのですが、現在では千種余り、花径41㎝の花も誕生し、更に研究が深まっているようです。

このような日本人の「美への探求心」は、約一万六千年に渡る縄文期にゆっくりと醸成された自然共生の大らかな精神力によるものと思われます。今、収集している縄文土器と言葉を交わす時、私の描く日本画と縄文美は、生命力の発出という点で深く結びついていることに気付かされます。日本人のノーベル賞も、縄文人の物づくりDNAのなせる技でしょうか。

先年パリにて開催された『縄文-日本における美の誕生』展では、世界四大文明に先駆けた最古の土器群が東洋の東の果てにあることを世界が認識し、更に現代における科学と考古学の充実により、古代人からの多くのメッセージを受け取れるようになりました。私にはその声がこう叫んでいるように聞こえます。「現代人よ、しっかり生きているか!」と。

縄文が終わり弥生時代の始まる頃、中国より福建米が伝わり、我が国で稲作が始まります。その前後、神と人とをつなぐ存在としての「天皇」が現れ、二千年もの時を経た令和元年(2019年)には、第126代天皇が御即位なされました。これは言うなれば、秦の始皇帝の子孫が一度も絶えることなく国民人(くにたみびと)の幸せを祈り続けているということであり、まさに人類尊厳の証と言えましょう。この神秘を世界中の人々と永遠に分かちたいものであります。

その後、漢字と儒・道教が伝わり、やがて漢字は美しい仮名へと変容しました。1800年前の『魏志倭人伝』には、日本国は“折り目正しい国”であると紹介されております。1500年前には仏教文化が朝鮮半島を経て伝来するのですが、それまでに多神教的高度な文明があった故、さして争いもなく受け入れられたことは注目に値します。現在、日本国には百年~千年を超える家系や企業があって、古代神話の世界に見る出雲大社や伊勢神宮、そして全国の氏神様八百余社は、今も連綿と続いているのです。仏教伝来後は、神仏習合のその高みに天皇をいただきながら、強い祈りのエネルギーによって、たとえ天変地異があっても、それをゆりかごの文化に変える術を身につけるのです。そして、神話の時代より盛んだった歌詠みの学問は庶民にまで広がり、やがて世界最古の長編小説「源氏物語」が生まれます。

1400年前には、遣隋使・遣唐使によって中国文化が請来し、彼らが持ち帰った最古の『論語義疏(ろんごぎそ)』が昨年この国で発見されました。大陸で学んだ空海、最澄たちは日本文化に多大な貢献を果たすのですが、空海が中国を訪れた際、青龍寺の恵果和尚は、「先(さき)より汝の来るをまつや久し大好(はなはだよ)し大好(はなはだよ)し」と申され、密教の奥義をすべて伝授し「一日も早く日本に帰って人々を幸せに導きなさい」と言い残し、まもなく入寂されるのです。何と大きな人物でしょうか。この以心伝心を今こそと思います。

なお、日本文化は、近代になって西欧文化を摂取しつつ国を一変させるのですが、その時、明治維新の若き志士たちは、朱子学をはじめ、高度な学問をおさめた文武両道による憂国の士でありました。

それらのことは、他に譲りたいと思います。

プロフィール

1941年、徳島県美馬市生まれ。71年、日展初入選後、特選二回受賞、審査員となる。2005年、内閣総理大臣官邸正面玄関に「唐詩選より 黄鶴の図」が飾られる。09年、天皇陛下御即位二十年の委員となり、奉祝画「平成鳳凰天来之図」を謹筆する。03年から清華大学、中国人民大学など中国にて講演多数。著書に『美感革命』到知出版社。『日本人の美伝子』PHP研究所。『美育講演録』一茎書房(近日出版予定)など。日展会員。日中発展協会理事。つくば市在住。