日本画生 藤島博文
「日中文化同盟論」を考える(2)

日本国と中国における現代文化美は、すべて先人たちの悟達の積み重ねの上に花開いております。唐代の詩人孟(もう)浩然(こうねん)は、大自然の蠢(うごめ)きを我が心の純化として捉え、次のように詠いました。

春眠不覺(しゅんみんあかつきをおぼえず)暁 處處聞啼(しょしょていちょうをきく)鳥 夜来風雨聲(やらいふううのこえ) 花落(はなは)知(どれほど)多少(ちったことか)

我が家の花(はな)桃(もも)が昨夜の春(しゅん)嵐(らん)に蕾まで散らされたのを目にした時、私は思わずこの詩句を口ずさみ1200年前の詩人と心を通わせたのでした。


国宝『桃鳩図』宋代 徽宗皇帝作
千年間 気高くも一羽でいました

「桃」は、遥か2500年前に編纂された世界最古の詩集『詩経』の中で「桃の夭々(ようよう)たる・・・」と詠われ、桃のように若々しい我が娘(こ)が嫁ぐ喜びと婚家の繁栄を願う寿ぎとなり、やがては桃源郷の理想へと繋がってゆきます。日本には古く弥生時代に中国から伝わったとされ、『古事記』の中では、邪気を祓う霊力の象徴、その後雛の節句における女の子の祝い花・守り花となりました。このように小さな桃文化は大陸を超え、いつしか大衆に広まり、私は可憐な桃の花にも日中文化の美しさを思うのです。

ここで日中両国文化について、短く確認をしておきたく存じます。

人類は約5000年前、ナイル、インダス、チグリス・ユーフラテス、黄河長江の大河流域に文明の夜明けを迎えたと学びました。中でも中国文明は三皇五帝の時代に始まり、羅針盤や火薬・紙・印刷技術等を発明し、近代ヨーロッパ文明の源流ともなりました。殊に3300年前の殷代、漢字の成立から始まった「学問」は、儒・道教そして仏教哲学をも網羅し、人間と自然界の哲理を解き明かして世界哲学の原点を極めていると申します。唐代、長安の都には、日本国の遣唐使や世界中の学僧が集結し一大文化圏を築きましたが、現在の中国にはその都が国中に百都も二百都も出現したかのようであり、改めて大陸歴史の凄みを覚えます。

『桃花双鳩図』(部分)100×80㎝
日中友好を想い 仲睦まじい双鳩図としました

古代中国の学問は実に深淵広大で、世界最古の農書『斉民要術』は、現在京都高山寺にあり、世界最古の医書『黄帝内経・太素』は、京都仁和寺(にんなじ)に国宝として現存しております。私は過年、中国の古い書物を大切に伝えている日本文化の尊さを、農書等については楊(やん)陵(りん)の西北農林科学大学、医書等については西安第四軍医大学・ハルピン医科大学で講演しましたが、最後に「卒業されたら、自分探しの旅に日本国においで下さい。そこからきっと素晴らしい母国愛が生まれることでしょう」と申し上げると、若い学子(がくし)さんたちは瞳を輝かせて反応してくださいました。

若き日の孫文や魯迅、周恩来も日本国で力の限り祖国愛の情熱を滾(たぎ)らせます。彼たちを無償で支えた明治の実業家・梅屋庄吉は、「君は兵を挙げ給え、我は財を挙げて支援す」と励まし続け、ついに近代中国の夜明けを迎えるのです。これは実に美しい日中友好の誠であり、今こそ再び ― 遠く流れゆき流れ来る ― 中国文化・文明に光を当てて考える時でありましょう。

次回は、日本文化について述べさせていただきます。

プロフィール

1941年、徳島県美馬市生まれ。71年、日展初入選後、特選二回受賞、審査員となる。2005年、内閣総理大臣官邸正面玄関に「唐詩選より 黄鶴の図」が飾られる。09年、天皇陛下御即位二十年の委員となり、奉祝画「平成鳳凰天来之図」を謹筆する。03年から清華大学、中国人民大学など中国にて講演多数。著書に『美感革命』到知出版社。『日本人の美伝子』PHP研究所。『美育講演録』一茎書房(近日出版予定)など。日展会員。日中発展協会理事。つくば市在住。