落谷孝広 東京医科大学教授
中日両国は新型コロナウイルスの共同研究を

 

私はこれまでに、日本でノーベル賞受賞者6名とノーベル賞候補に名が挙がる1名の科学者を取材してきたが、先ごろ、ノーベル賞の有力候補者である東京医科大学の落谷孝広教授を取材した。落谷教授は、がんの早期発見や肝臓の再生医療などで世界的に名高く、新型コロナウイルス感染症の治療と予防に独自のスキルを持っている。

ノーベル賞有力候補者の研究成果

—— お忙しい中、取材に応じていただきありがとうございます。先生はこれまで国立がんセンター研究所等で、がんの早期発見や肝臓の再生医療など、多くの研究成果を収めておられる世界的にも著名な研究者です。先生の研究の中で世界初の成果について教えてください。

落谷 こちらこそ、このような機会をいただき嬉しく思います。私はこれまで国立がん研究センターで、がんの診断・治療の研究をしてきました。世界初ということで申し上げますと、まず一つ目は乳がんで、抗がん剤などに対する治療抵抗性を制御する悪い働きをするRPN2(リボフォリンⅡ)というがんの遺伝子を発見しました。そしてこの遺伝子の働きを抑える目的で、乳がんに対する核酸医薬の世界で初めての臨床治験を開始しました。この発見は2006年頃で、特許を出願し、2014年から人に対しての治療研究に入っています。

二つ目は13種類のがん(大腸がん、胃がん、肺がん、乳がん、前立腺がん、食道がん、肝臓がん、胆道がん、すい臓がん、卵巣がん、膀胱がん、肉腫、神経膠腫)を早期に発見する方法の開発です。しかもわずか血液一滴から発見するという簡単な方法です。血液中のがん細胞が放出する「マイクロRNA」と呼ばれる物質(核酸)を正確に測定することによって、体の中にどんな種類のがん細胞が潜んでいるかを早期に突き止めることが可能になるという画期的なプロジェクトです。今、その実用化を進めている段階です。これも世界で初めての成果だと思います。

三つ目は、肝臓です。私のライフワークであり、メインの研究テーマは、肝臓がんや肝炎といった肝臓疾患を治療することです。

肝臓は人間の体の中で唯一再生する臓器です。われわれは2017年に初めて肝臓を再生する新しいシステムを見つけました。現在、これを多くの肝疾患の方の治療可能な安全性の高い細胞をつくり出すことに成功しました。これも世界初のチャレンジでした。現在、国内で最初の臨床研究を始める準備中です。

また、私は2017年にノーベル財団に招待され、招待演者の一人として講演を行いました。内容は、がん細胞が放出するエクソソーム(Exosome;細胞外小胞)を使った、がん細胞の転移の新しいメカニズムの解明についてです。ノーベル財団から、エクソソーム研究はがんの領域でも非常に有望な研究分野である、と評価を受けました。

将来的に、エクソソーム研究者の誰かがノーベル賞を取るための一つのステップだと思っています。なぜ、がんが脳に転移するのか、肺に転移するのか、または卵巣がんが腹膜に播種するのか、こうした転移のメカニズムを、私のチームが世界に先駆けて明らかにしたことが大きな成果の一つです。

画期的な新型コロナウイルスワクチン

—— 未だコロナ禍収束の目途は立たず、国民生活に多大な影響を及ぼしています。そうした中、ワクチンに期待が高まっていますが、ワクチンの有効性、変異株の問題などをどう見ておられますか。

落谷 これは世界中が直面している重大な問題です。現在、多くの製薬企業がメッセンジャーRNA(mRNA)というものをデザインして、これを使った新しいワクチンを世界に初めて登場させて、一部で投与されている段階です。

これまでの人類の歴史において、ウイルス感染症に対して、mRNAを使ってワクチンを作るという戦略は初めての試みです。しかし、これは長い基礎研究の歴史の上に成り立っているものです。決して突然に出来たものではありません。

一般の方は、DNAは知っていてもRNAはあまりご存知ないと思います。基礎研究においては、このRNAを使っていろいろな病気を治療しようという試みがたくさんなされてきました。こうした治療効果を持つ核酸を体の中に投与するためには、投与した後、核酸が壊れないように「デリバリー」というシステムが必要です。

今回、使われているものも「リポソーム」(脂質二重層を持つ球形の小胞で、栄養素や医薬品を投与するための輸送手段として利用)と呼ばれる脂質のようなものをmRNAと一緒に打つことによってワクチンの効果を発揮する画期的な新しいタイプのワクチンです。

それは長い核酸医薬の研究に支えられて登場したものですが、人類初ですから、効果があるかどうかはこれから検証されるでしょうが、今までの生ワクチンに比べて、mRNAならばすぐにその変異型に対するデザインを作製することができるといったメリットもあります。

mRNAワクチンは非常に臨機応変で、いかなる変異株の出現においても対応できるタイプのワクチンですから、従来型の生ワクチンに比べて非常に能力が高いワクチンであると言えますので、大変期待しています。

こんなに短期間でワクチンが出来たことは大変な驚きです。しかし、ウイルスのことを知り、その配列が分かればRNAをデザインすることができます。今回のコロナウイルスはRNAウイルスです。それと同じRNAを一部だけ作り、人の体に投与することによって、免疫細胞を刺激し、抗体を造り出すのがワクチンです。ですから最新の科学の英知を集めてデザインされたワクチンであると言えます。

中日の研究は世界をリード

—— 新型コロナウイルスが原因で死亡する患者の多くが肺炎からの重症化によるものと言われています。先生の研究領域において、今回のコロナに対応できる部分はありますか。

落谷 ございます。二つのポイントがあります。一つ目は診断です。コロナの患者さんがたくさん増えてくると、がんの患者さん、糖尿病の患者さんなど一般の患者さんの治療が遅れてしまいます。病床がコロナ患者で埋まってしまい、通常の医療が出来なくなってしまうからです。

重症化する人は、当初30%と言われましたが、幸いにも現段階では大体10%に下がってきています。ですから、医療崩壊を防ぐには、コロナが陽性と分かった時点で、どの人が重症化して、どの人が重症化しないかの選別が大事になります。

軽症で済む人は入院してベッドを占拠せず、自宅やホテル等に移っていただくなど、入院の優先順位を決めることが必要です。重症化するリスクの高い人だけを入院させて徹底的に管理して重症化を防ぐ。そのためには、コロナが陽性と分かった時点で、誰がハイリスクか、誰が軽症で済むかを見極めるマーカー(目印)が必要です。われわれはそれを血液中のエクソソームで見つけました。現在これを実用化する段階にきています。

これが世に出れば、病院において、「あなたはコロナ陽性ですが、重症化しないタイプの方ですから、このまま自宅で療養を続けましょう」と言うことができ、医療崩壊を防ぐことができます。こうしたマーカーもわれわれのエクソソームの研究から生まれてきたと言えます。

 二つ目は治療です。最初に申し上げましたが、がん細胞は悪いエクソソームを使って、骨や肺や脳に転移を果たします。ところが皆さんの体の中には良いエクソソームもあります。われわれの体内の正常な細胞のエクソソームや善玉のエクソソームは多くの病気を治してくれます。

たとえば、糖尿病、肝硬変、腎臓の炎症などを治してくれる良い働きをするエクソソームがあることもわかってきました。

われわれは新型コロナの肺炎患者について、エクソソームを気道から吸引することで肺の重症疾患を治療することができるという臨床研究を、すでにスタートさせる段階に来ています。

実は昨年、コロナが蔓延してすぐに、中国の研究者が世界で初めて、間葉系幹細胞が分泌するエクソソームを、重症化した患者に使用するという臨床研究を発表しました。今その研究がどこまで進んでいるのか期待されていますが、われわれも中国の研究者同様に、こうしたエクソソーム治療の臨床試験を世界に先駆けて行う準備中です。

強い危機意識を持つべき

—— 最前線の研究者として、収束の時期をどのように予測していますか。

落谷 これは非常に難しい問題です。今回の新型コロナウイルスは今までの感染様式と非常に異なっており、どうやら感染するターゲットの細胞が血管内皮細胞にあります。重症化するのは肺の炎症の方が多いですが、実際には血液がかたまってしまう血栓によって、全身の血管に炎症を起こしている方が、より重症化し死亡率が高くなっています。

ですから、今われわれは人類史上類を見ないウイルスに襲われている状況なのです。しかも、これだけ感染者が多いために変異をする頻度も高い、また変異をするスピードも速いのです。

このウイルスは非常に巧妙で、最初は多くの人々を死に至らしめて世界中を震撼させましたが、今度は若者をターゲットにして、あまり症状を出さずに静かに潜伏しながらウイルスとしての生命を保って広がっています。こうした新たな変容を起こすことによって感染の拡大を成し遂げてきました。

では次の変容で起こることは何かといえば、今度はウイルスは潜伏して静かに増えるのではなく、爆発的に重症化して増えていく。これがウイルスの次のステージと考えられます。ですから、今日本国内でじわじわと広がっている変異型が、現在のタイプに取って代われば恐ろしいことになります。

次に来る「第4波」はこれまでの第1波、第2波、第3波とは全く違うタイプの変異型のウイルスが増えて、コロナ患者は重症化するだろうと多くの研究者が予測しています。われわれは強い危機感を持つ必要があると思います。

中日両国は協力して研究を進めるべき

—— 世界で最初に感染拡大が始まった中国では、世界に先駆けて新型コロナの封じ込めに成功しています。中国の医療分野と協力できる部分はありますか。

落谷 十分あると思います。中国の無錫にある病院は、肺疾患の世界トップレベルの研究所です。われわれはそちらの先生方と情報交換をしています。

中国の科学はものすごいスピードで進んでいます。日本も中国のトップレベルの研究者と一緒に、新しい感染症も含めて、がんやその他の多くの疾患に対して、しっかりと協力して研究を進める段階に来ていると思います。それは人類益でもあります。