鉄 鑠 湘南美容クリニック医師
美容整形はスキルとコミュニケーション

日本で名を馳せる在日華人美容外科医、鉄鑠医師。氏は中国、日本の二カ国の医師免許を有し、中国語、日本語、英語の三カ国語に精通する。日本美容外科学会会員、中国形成美容外科学会会員にも名を連ねる。

2018年1年間の日本、中国及び世界各国の患者に対する鉄鑠医師の施術数は1000件近くに及び、日本全国で最も多く美容整形を施術した医師の一人であり、中国と日本の患者から絶大な信頼を得ている。昨年一年間で1000件もの施術を成し得たのは、その確かなスキルによるだけでなく、氏が患者とのコミュニケーション力に長け、患者のニーズをしっかりと把握し、必要な励ましを送っているからである。

現在、鉄鑠医師の患者の90%は日本人で、残りの10%は在日及び世界各国から彼の名声を慕って訪れる華僑華人である。


撮影/本誌記者 郭子川

二カ国の医師免許を有し三カ国語に精通

—— 医師、弁護士、教師は「先生」と呼ばれ、社会的地位の高い職業ですが、陰ではそれ以上の苦労があると思います。ましてや中国人としてこの業界に足を踏み入れるのには、より一層の困難が伴うでしょう。中日二カ国の医師免許を取得するまでの経緯について教えていただけますか。

鉄鑠 私の生まれは中国の遼寧省瀋陽市ですが、大学に進学するまで、父の仕事の関係で中国、日本、アメリカの三カ国で生活し学んだことで、語学力とコミュニケーション能力が鍛えられました。両親とも医者でしたので、自然なかたちで医学の道に進みました。2012年に中国医科大学の修士課程を修了すると同時に中国の医師免許を取得しました。

もともと臨床外科を専攻していましたが、博士課程で学んでいる時、美容外科で中国トップレベルを誇る北京協和医院で実習を行った際、偶然、美容外科に触れる機会がありました。通常の外科治療は型どおりで、主な目的は患者さんをできるだけ早く元の状態に回復させることであるのに対し、美容外科は外科を基礎とした、より創造的な領域であると感じました。外科医自らの手で美を創造できるということに、大いに関心を抱きました。

北京協和医院での半年の研修を終えると、私は美容外科に進むことを選択しました。一流の美容外科医になるには、当然、その分野で最先端の国で学び、一流のレベルで自己を磨き、困難に挑まなければなりません。

2012年に来日して最初の挑戦は、日本全国で一年に8000人から9000人しか受からない医師国家試験でした。中国の医師資格試験と日本の医師資格試験は骨子も範囲も異なり、日本語の医学用語の難しさは、日本に外国人医師が少ない重要な原因の一つとされています。

医師免許の取得には2年を費やしました。また、日本では通常、医学生が医師資格証を取得するのに6年かかります。受験に向けての2年間は、毎日15時間勉強しました。終盤になると、毎日長時間座ったままの姿勢でいたため、坐骨と太ももが耐え難い痛みに襲われ、腹這いになって復習するしかありませんでした。正に私は這いつくばるようにして医師免許を取得したのです。

患者さんの心もケアしながら

—— 先生は中国と日本の両方の病院で実習を受け働いた経験をお持ちですが、日本で医療に従事する中で、深く心に残っている出来事はありますか。

鉄鑠 私は日本の医師免許を取得後、日本最大の私立大学の附属病院である東京女子医科大学附属病院に外科医として入職しました。日本の医師免許を取得してすぐに日本の医療現場に入るというのは、大きな挑戦の一歩でした。

日本の病院で働く中で、医療従事者は患者さんの身体的疾病を治療するだけでなく、彼らの精神面もケアしなければならないということを学びました。

例を挙げますと、2013年に、私が所属する医療チームは、ある特別な救急患者を担当しました。患者さんは家族旅行中に痛ましい自動車事故に遭遇して両手を失い、妻と子どもは命を落としました。患者さんの体は徐々に回復しましたが、妻と子が亡くなったことを知ると、情緒が崩壊し自力では抜け出せない抑うつ状態に陥ったのです。そんな状態では、たとえ身体は快復して退院できたとしても、いつか自分で人生を終わらせる選択をしてしまいかねません。

そのため、2カ月の治療期間中、我々医療チームは専門の精神科医を招いてカウンセリングをお願いし、我々も時間があればベッドに足を運んで患者さんと話をするようにしました。結果、患者さんは元気に退院し普通の生活に戻っていかれました。東京女子医科大学では、外科技術は当然重要であるが、患者さんの心をケアし生きる力を与えることは、身体の外傷を治療するのと同じくらい重要であることを学びました。


撮影/本誌記者 郭子川

美容外科はメンタルケア

—— 先生は美容整形クリニックでお仕事をされるようになって、昨年は1000件近い施術を行い、その数は全国でもトップクラスです。美容整形を患者に施す意義についてどうお考えですか。また、患者とコミュニケーションをとるための十分な時間はまだありますか。

鉄鑠 2016年、私は、日本で来院者数と施術メニューで最多を誇る美容整形クリニックで働くことになりました。毎年多くの患者さんと接する中で、美容整形手術もメンタルケアのひとつであるとの認識に至りました。多くの患者さんが自分への自信の無さから整形を希望され、また、その変化もごくわずかで本人にしかわからないケースもあります。しかし、整形手術によって自分に自信をもち、人間関係や生活環境を大きく改善することができるのです。

ご存知の通り、施術数が増えるほどに医師のスキルは上がります。患者さんとのコミュニケーションについてですが、私のチームの医師たちには、コミュニケーションに関する書籍を少なくとも10冊は読んで、患者さんとのコミュニケーション力、患者さんのニーズを掴む能力を高めるよう指導しています。

毎年、多くの施術を行っていますが、患者さんとのコミュケーションを疎かにしたことは一度もありません。地方の分院で診察した際、お母さんが未成年の娘さんを連れて二重まぶたの手術に来院されたことがありました。やり取りをするうちに、幼い少女の顔つきが他の患者さんとは異なることに気づきました。直感的に、手術を急ぐべきではないと話し、カウンセラーに母娘との面談をお願いしましたが、理由を聞き出すことはできませんでした。最終的に、私は看護師に少女を傍らの待合室に連れて来させ、単独で話を聞きました。すると少女は泣きながら実情を話してくれたのです。自分は二重まぶたの手術はしたくないのに、母親が一カ月後のモデルコンテストで賞を獲るために、手術を強要しているのだと。

日本では、未成年者が整形手術をする場合、保護者が同伴する必要があります。本来は、未成年者が親に隠れて整形手術ができないようにするための制度ですが、それを悪用して子どもに整形を強要したのです。事情を知り、私は躊躇なく警察に通報しました。

在日外国人医師としての社会的責任

—— 先生は在日華人医師として、中国と日本の多くの患者から信頼を得ておられますが、ご自身の社会的責任についてはどうお考えですか。

鉄鑠 医師として、本職で弛まず向上していかなければなりません。その上で、多くの中国の方々が美容整形を必要としていながら、日本語及び関連の知識が不十分なため、医師と十分なコミュニケーションが取れず、思うような効果が得られていないと感じています。私は要請を受けて、これまでに東京で3度、在日華人向けの美容整形セミナーを開催しました。毎回100名を超す来場者がありました。さらに、在日華人に美容整形の知識を普及させるため、中日対訳で専門用語を語釈した書籍も出版しました。

美容整形クリニックで働き始めた頃、ある日本人の患者さんが申込書を記入する際、外国人医師による治療は希望しないし信用しないとはっきりと言いました。ところが、急な日程調整のため、私が診察するしかない状況になったのです。患者さんの要求を仔細に尋ね、手術のプロセスと効果を説明していくうちに、患者さんの気持ちに少しずつ変化が現れました。中国人医師に対する不信感は次第に敬服に変わっていったのです。面談を終えると、この患者さんはクリニックに対して不平を言うことがなくなったばかりか、執刀医に私を指名したのです。

私は、自身の努力と力で中国人医師の実力を証明し、一部の人たちが中国人医師に抱いている不信と偏見を打ち破りたいという信念を持ち続けてきました。それも私の社会的責任の一つであると思っています。