田丸 滋 日本プラズマ療法研究会理事長
プラズマ療法を第二の祖国中国にも拡げたい

人間の活動エネルギーは細胞内にあるミトコンドリアを活性化させることで得ることができるという。それを人工的に可能にするプラズマ療法は、がん細胞の消滅にも有効であるということで、今世界的に注目されている。世界に先駆けて装置の開発に携わり、国内のプラズマ療法をリードする田丸滋先生は、まさに自らのがんをも克服した稀有な体験の持ち主であった。


撮影/本誌記者 郭子川

研究の最先端「ミトコンドリア活性」

—— 田丸先生は日本におけるプラズマ研究の第一人者ですが、プラズマ療法とはどのような治療法ですか。

田丸 平たく言うと、「ミトコンドリア活性」です。今、アメリカのがん学会は、ミトコンドリアを活性化させて、がんを縮小させようというのが研究の最先端です。ボストン大学のトーマスセイフィールド(Thomas Seyfried)教授が、ミトコンドリア活性を3年前に唱えて、どうやったら人間のミトコンドリアを活性化できるのかという手段方法を探しました。そうしたら、今から8年も前に、日本の小さなグループ(私のことです)が、ミトコンドリア活性をやって、がんを消失寛解していたのです。それは、人工的な装置で健康な電子を細胞内にある電子伝達系に打ち込むという治療法です。

それで2年前、全米のがん学会に呼ばれまして、全米統合医療学会からライフアチーブメント賞をいただきました。私たちのグループはまだ200カ所しか日本にこの装置を置いていないのですが、要するに、がんの消失率世界ナンバーワンだといって賞をくださったのです。それで、ロズウェルパーク癌センターとか、ボストン大学とか、そうそうたるアメリカの7つの大学から共同開発を依頼されました。申し込みはいただいたのですが、彼らは国立で、国から補助金が出ます。私は見てのとおり民間人で、とても受けるキャパがないです(笑)。

余命3カ月の宣告から

—— 田丸先生は、なぜプラズマ療法を始められたのですか。

田丸 非常に珍しいケースかもしれないですが、私は臨床医ではありません。医学博士、Ph.D.は取っていますけど、研究員という立場です。実は、私は13年前に自分自身ががんになったんです。自分のがんを治すために、ただこの装置をつくっただけの人間です(笑)。

13年前、50歳のとき、定期的な健康診断で、胃がんが見つかりました。進行性だったので、胃から肝臓、肺に転移しており、「今の三大療法――手術、抗がん剤、放射線をやって、よくて余命3カ月です」と診断した臨床の先生に言われました。ステージ4のB、「終末期」というやつです。まだ50歳でしたし、子供も小さかったですし、とてもじゃないが、自分の中で死に切れないという思いでした。

私はもともとプラズマ放電技術を使って、ガソリン自動車の排気ガス除去装置を開発したり、いろんな装置をつくってきました。その自分の技術を使って、何とか自分のがんを、最初は治すというようなイメージではなく、これ以上大きくさせないことができないかと、この装置の開発に5年をかけました。8年前にやっと試作機を、全部手づくりですけど、自分のお金で完成させました(笑)。ただ、そのために自宅は売ってしまいました。

—— 余命3カ月。開発までの5年間はどうされていたのですか。

田丸 今は「プラズマウォーター」という商品名にしましたが、水耕栽培用に、植物を成長させる、一酸化窒素を溶かした水を、開発して持っていたんです。その水を飲んで生き延びました。それは一体どういう水かというと、空気中から水に雷を落とすという装置をつくって、水の中に一酸化窒素がppmオーダーで溶けたものです。一酸化窒素は水にほとんど溶けないんです。水に一酸化窒素を溶かすことができたのが、私の最大の特許です。水に溶かせば、一酸化窒素を大量に摂取できます。一酸化窒素が大量に摂れれば、がんを治すメカニズムのアポトーシス(プログラムされた細胞死)が誘発できます。そこに賭けました。

これは一時期、世界中の製薬メーカーが競って、一酸化窒素を使った制がん剤をつくろうとした時期があるんです。ところが水に溶けないし、肺から吸うと毒ガス――自動車の排気ガスと一緒です。それで断念したのですが、私は水に一酸化窒素を溶かす技術を自分ががんになる前に持っていました。ですから、この水を飲んで延命していたのですが、アポトーシスが起きない。しかし、ミトコンドリアの内膜の電位を上げればアポトーシスが起こるということは分かっていましたから、私は、そのための装置をつくったんです。

4カ月でがんが消えた

—— 装置が完成普及するまでにはどんなことがありましたか。

田丸 今は工業化していますが、装置は全部1人で手づくりでした。お金がかかったのは、つくった装置の検査でした。外注委託するしかないですから、最後の方は、どうしても開発予算も尽きてしまいました。それで東京大学に籍を置かせてもらったんです。同期の人が教授でいたので、その先生にお願いして、研究員にさせていただきました。

完成したのは9年前の8月です。そこから自分で人体実験しました。教授が「お前、何やっているんだ」と言うので、こういうことを考えて、自分のがんを何とかしたいと。命がかかっていましたからね。教授には「そんなので治るわけがない!」と言われました(笑)。

具体的には毎日、装置にかかるんです。電位パッドを体に付けて、装置に30分かかる。先ほどの水とその装置の2つの組み合わせで、自分のがんが消えてくれました。私の場合は4カ月で消えました。

私は、自分のがんが消失したときに、主治医を選んでいたんです。その先生に、半年間フォローしていただきました。8月から始めて12月23日でしたが、がんが消えました。ところが先生は信じられないわけです。こんなことあり得ないと。ですから細胞診をさせてほしいと言われて、内視鏡で胃がんがあったであろう場所の細胞診をして、やはりがんではないというのが分かりました。先生は、プラズマ療法の効果を認め、今では自分の病院に装置を入れてくれています。

今、装置のあるのは病院とサロンを合わせて200です。この8年で延べ2000名をみています。ステージ1と2は85%消失寛解。期間は人によりますが、2から6カ月ぐらいで、週に1回、この装置に30分かかっていただく。ステージ3と4はさすがに治癒率は落ち、50%ぐらいです。期間は1、2年かかります。でも、今アメリカの治療法でトップのモノクローナル抗体薬の治癒率も、ステージ1と2は85%ですが、ステージ3と4はゼロなんです。

中国との医学交流を推進

—— 先生のプラズマ療法は、先生のグループ以外ではやっていないのですか。

田丸 日本プラズマ療法研究会だけです。この装置をつくった翌年、今から8年前に医療機器の申請をしました。結論は、新規性が高過ぎる――技術が新し過ぎると(笑)。あと、この装置を当てはめるカテゴリがない。では、どうしたらいいんですかと聞いたら、医者を10人以上集めて、研究会をつくってください。それで症例を集めて、6000症例集めて初めて新規申請ができますと言われました。今それをやっているのです。

実は、中国に持っていけば、症例も集まりますから、中国の人たちと一緒にやりたいんです。日本では、医療機器は承認まで最低10年以上かかります。この装置を保険適用の医療機器にするためには、莫大な費用がかかるんです。とてもじゃありませんが、私の力ではできないです。ですから、こういう発展途上のものを中国にご理解賜って、なおかつ一緒になって取り組んでいただきたい。中国で医療機器の承認がとれれば、医療機器として日本に輸入できます。そうすれば、日本の病院で使えるのです。

—— 最後に、中国との医学交流の重要性について、また将来展望について聞かせて下さい。

田丸 来月、広州で開かれる国際医療フォーラムへの参加を要請されています。中国の出席者たちは、ものすごい顔ぶれです。そういうレベルの高い方たちが集まっているにも関わらず、世界からは主任クラスしか参加しません。まず、この現状を変え、世界レベルの交流をしたいと思います。

今の中国の医療は、もうアメリカを追い越すぐらいの技術レベルは持っています。私自身、祖父が中国人で、だから私はクオーターです。私自身、中国は全部で20回ぐらいしか仕事で行っていませんが、中国は第二の祖国であると思っています。そういう気持ちで私は中国に進出していきます。