遠藤 真弘 大崎病院 東京ハートセンター理事長
海外からも患者が訪れる心臓・血管病の専門病院

2005年に開業した大崎病院 東京ハートセンターは、心臓病という命に直結する疾患に、スピード感ある検査と治療手術で取り組んでおり、今では全国各地からだけではなく、海外からも多くの患者が訪れている。遠藤真弘理事長は、1973年に日本初の選択的冠動脈造影法を確立し、76年には急性心筋梗塞の血栓閉塞に対するカテーテル治療に世界で初めて成功した名医だ。専門病院のメリット、中国との医学交流などについて語っていただいた。


撮影/本誌記者 原田繁

大学病院ではできないことを

—— 貴院は、専門病院ならではの迅速な検査と治療で内外から高い評価を受けています。心臓病に特化した貴院の強みについてお聞かせください。

遠藤 大学病院と専門病院の違いは、例えば、冠動脈の造影CTという検査をするのに、大学病院だと予約をするのが1カ月後なんです。冠動脈の造影CTという検査は、脈が遅ければ遅いほど心臓が止まったごとくきれいに撮れます。そのためにβ(ベータ)遮断薬、例えばセロケンという薬を飲んで、脈を遅くして撮影をします。大学病院だと、セロケンという薬をたった1錠、1カ月後の何月何日の朝8時に飲むという処方をして、その1錠を院外薬局に行って購入し、それを当日になって服用し撮るという面倒なことをしているわけです。当院では予約なしに、今日来院されても、しかも紹介状がなくても、その日のうちに撮影できます。

さらに当院では、セロケンという薬を飲むのではなくてかみ砕く。そうすると早く吸収されますから、もっと早く脈を遅くできます。その日に撮影ができ、その日に結果が出るというのが、大学病院との違いです。冠動脈造影CTという検査1つをとってもそうですが、弁膜症や狭心症、心筋梗塞などの病気も、その日のうちに診断するという、非常にスピード感があふれているというのが大きな違いです。

バイパス手術とカテーテル治療

—— 先生の心臓外科手術の特徴について教えていただけますか。

遠藤 私は心臓外科のパイオニアである榊原仟(さかきばらしげる)先生のところに入門したのですが、そのときに3つのことを指示されました。1つ目は、当時は、選択的冠動脈造影は日本にはありませんでしたので、それを確立すること。2つ目は、冠動脈の外科が当時は世界中のどこにもなかったので、それを立ち上げること。そして3つ目は、冠動脈にくっついたアテローム、粥腫(じゅくしゅ)と言いますが、動脈硬化を何かの液体で還流して、きれいにすること。この3つです。

私は1967年に入局をして、早速、選択的冠動脈造影を一生懸命やりました。そのとき、冠動脈造影に関する文献を800くらい集めて本を書きました。それが日本で最初に出版された冠動脈造影の教科書です。

専門的になりますが、セルジンガー法といって、動脈に針を刺して、その針の中にガイドワイヤーを入れて、そのガイドワイヤーに沿わせてカテーテルを入れるという方法があります。今では冠動脈造影と言えば、内科の先生すべてがその方法でやっています。しかし、当時はそれがなく、動脈を外科的に露出してカテーテルを入れるという方法でしたから、外科でしか対応できなかったのです。


共著『冠状動脈造影法』

その冠動脈のバイパス手術は、1970年2月8日に日大の瀬在幸安(せざいゆきやす)先生が最初に行いました。瀬在先生は、患者の大腿動脈を切り取ってバイパスとして使いました。その大腿動脈を切り取ったところは、大伏在静脈という静脈で置き換えています。そして私どもは、同年6月に内胸動脈を使ってバイパス手術を行いました。同年9月には神戸大学の麻田栄教授が、足の大伏在静脈を使ってバイパス手術を行いました。1970年というのは日本の冠動脈外科のあけぼのですね。それからどんどん発展していきました。

 —— 急性心筋梗塞の血栓閉塞のカテーテル治療に世界初の成功を収めたのは、その6年後ですね。

遠藤 そうです。それは急性心筋梗塞で入ってきた患者さんを造影すると、例えば右の冠動脈が閉塞して、全く流れない。左の冠動脈は正常なんです。その右の冠動脈が完全に閉塞したところを、ガイドワイヤーを通して何回もブラッシングをして、血栓を飛ばし、再疎通を試みたというのが1976年です。しかし、残念ながら私が行った治療法は、「横文字」にしていませんでした。3年後の1979年にアメリカのレントロップという医師が同様の治療を行い、英語で論文を発表されたので、それが世界に広がりました。

ちなみに、詰まってしまった冠動脈にウロキナーゼという、血の固まりを溶かす薬を大量に入れる血栓溶解療法は1974年頃から始まっていて、当院の上松瀬勝男(かんまつせかつお)病院長が、日本で血栓溶解療法を初めてやって普及させたという歴史があります。

今はもっと積極的に、バルーンカテーテルで広げステント(金網)を入れるという、完全閉塞した冠動脈を再疎通するという流れに変わってきています。これはPTCA(冠動脈形成術)と言われ、1977年にスイスチューリッヒ大学のグルンツィッヒという先生が行ったのが最初です。その後、血栓溶解療法は全く消滅しました。

中国人患者の受け入れと中国の医療の現状

—— 近年、日本を訪れる中国人観光客が激増し、富裕層を中心に、日本の優れた医療機関で健診や治療を受けたいという「医療ツーリズム」が盛んです。中国人など外国人患者の受け入れはどのようになっていますか。

遠藤 当院は羽田空港に近く、JR山手線の大崎駅からも歩いて5分という交通の至便性が非常に良く、中国の患者さんが結構来られます。7、8年ぐらい前からですが、当初は1~2件くらいだったのが、当院の評判を聞いて年々増え、今では月に9~10件ぐらいの患者さんが来ています。

—— 急速な経済成長に伴って、中国の医療レベルも上がってきていると思います。中国の医療施設、医師の資質など、先生はどのようにごらんになっていますか。

遠藤 医師のレベルでは、アメリカ帰りの人も多いですし、相当なレベルだと思います。人口が日本の10倍以上ですから、病院数も日本の10倍ですね。しかも回転率が高いので、非常に効率が良い。例えば心臓の手術だと、日本では1日1例が普通ですが、中国では直列3例というのが普通に行われています。人口1億人の日本では、全国500カ所で心臓の手術を行っています。冠動脈のステントを入れる治療等は、おそらくその3倍の1500くらいの病院で行っていると思います。ところが中国は、あれほどの人口に比してステント治療の数は少ないのです。ですから、十幾つの手術室を使って心臓の手術を年間1万例という病院もあります。もう桁違いに数が多いというのが今の中国です。

「病気を診ずして病人を診よ」

—— 先生は中国に行かれたことはありますか。

遠藤 もちろんあります。昨年も医学交流で行きました。当院のホームページの「海外交流」をクリックしていただくと分かりますが、上海に浦南(プーナン)医院というのがあります。当院の細川丈志副院長は、完全閉塞のところを広げて元通りにするという、並外れた技術を持っている医師です。それを浦南医院で7、8例ぐらいまとめて行うために2回くらい行っており、また来てほしいと言われています。浦南医院の劉衛東院長は、日本の医大も出ており、ダブルライセンスを持っていて日本語もペラペラです。

中国との医学交流は、非常に重要だと思います。当院にも、錫州の病院からリハビリのドクターと技師が研修にいらしています。当院では、心臓の手術の翌日にはリハビリを始めます。そのことに驚かれて、中国でもそういうことをやりたいというので、何人か見学に来られています。

—— 先生にとっての理想の医師像を教えていただけますか。

遠藤 フォーペイシェント(for the patient)といいますか、患者第一主義というのがやはり医師としては一番大事なことだと思います。これは慈恵会医科大学をつくった高木兼寛(たかきかねひろ)という先生も言っているんですが、「病気を診ずして病人を診よ」ということですね。