吉本 信也 昭和大学附属病院形成外科主任教授に聞く
日本最大の口唇口蓋裂医療チーム

2006年、王菲(フェイ・ウォン:歌手)と李亜鵬(リー・ヤーポン:俳優)夫妻の娘、李嫣の誕生で、最も一般的な先天性顔面奇形である口唇口蓋裂はこれまでにない注目を浴びた。口唇口蓋裂は俗に兔唇、三つ口とも呼ばれ、患者数は中国全土で200万人余りいる。発症の主な原因として遺伝的因子と環境因子が言われるが、現時点で予防策はなく回復手術にかかっている。口唇口蓋裂は外見的問題だけでなく、食事や言語の機能にも影響を及ぼすため、決して簡単な形成外科手術ではない。これから親になる人たちが関心を寄せるこの問題への理解を深めるため、日本の形成外科手術のパイオニアで、日本で最初に口唇口蓋裂医療チームを立ち上げた昭和大学附属病院を訪ね、吉本信也形成外科主任教授にお話を伺った。


撮影/本誌記者 呉暁楽

日本で最も歴史ある口唇口蓋裂医療チーム

—— 昭和大学附属病院は日本における形成外科のパイオニアで、1980年には口唇口蓋裂医療チームを立ち上げて以降、小児科、耳鼻咽喉科、麻酔科、言語聴覚士、小児歯科、矯正歯科、口腔衛生科の医師・専門家を結集し、チーム医療を行っておられます。先生が率いる医療チ ームでは年間どのくらいの患者を診ていますか。また、口唇口蓋裂手術を受けるのに最適な時期はいつですか。

吉本 口唇口蓋裂は先天異常の中で最も多い疾患の一つで、日本では400、500人に一人で、比率としては高くありません。したがって専門施設も限られています。当院の形成外科の医局員は200名前後で、全国で最大規模です。チームを立ち上げたのは当院の名医である鬼塚卓弥教授で、第二代が保阪善昭教授、私が三代目です。現在当院では年間400-500名の患者さんに手術・治療を行っています。そのうち初回の未手術患者さんが200名前後です。

一般的には、先天性の口唇口蓋裂は、生後何日かで手術を行うことができますが、良い結果を出すことを考えた場合、世界で一般的にやられているのは、口唇の手術は生まれて3カ月以上、体重が6キロくらいに達した頃です。口蓋の手術はあまり早くやると顎の発育が悪くなり、遅いと言葉の問題が出てきますので、1歳過ぎて体重も9キロを越した頃に手術しますが、遅くても2歳くらい迄にやった方がいいです。歯槽の手術は5歳頃か9歳頃が最適です。矯正歯科で歯を誘導して、きれいな歯並びにできます。そして最後は鼻です。鼻は段々成長しますから、顔全体のバランスを見ながら、ご本人と親御さんにはできるだけ我慢するように促し、顔の成長が止まってからやるのが一番です。そうすれば少ない手術回数で済みます。気にする親御さんは発育の過程で歪んでくると数年ごとに手術をします。

成長・変化に合わせて手術プランを策定

—— そうすると、口唇口蓋裂の手術は一度で終わるような簡単なものではなく、成長・発育にしたがって顔の変形を見ながら、最適な手術プランを策定するということですね。

吉本 そうです。私が、子どもの頃に手術をした患者さんは、最年長ではもう30歳くらいになられていますが、口唇口蓋裂は外見だけでなく、器官機能にも関わる問題ですので、我々の医療チームでは、小児科の先生、言葉の先生、耳鼻科の先生にも診てもらいます。手術によっては心臓機能の検査等も行い、異常がなければ手術日を決めるということになります。術後大体1週間で抜糸します。平均入院期間は10日ほどで、その後は1カ月後、3カ月後、6カ月後に来院いただき術後の経過をみます。

個人差がありますが、傷はある程度はやはり残ります。同じ医師が執刀しても先天的条件によって結果も異なります。白人の方は癒合がうまくいきやすいですし、黒人の方は瘢痕が残りやすいです。我々黄色人種はその間です。しかし、個人個人の体質によって異なります。私の患者さんの中には、瘢痕も目立たたず、成長してからきれいになった方もいれば、手術の痕が見てとれる方もいます。

当院では、初来院の際に連絡帳をお渡ししています。それを見れば耳鼻科、歯科、言語の先生など、どこで何をやっているのかわかります。医療福利相談室の電話番号も書いてあり、親御さんはお子さんの変化に応じて医師と連絡が取れるようになっています。口唇口蓋裂の手術は単純な整形手術ではなく、長期に渡って観察し、患者さんと親御さんの要求に応える総合的医療です。ですから、我々医療チームは、関連するすべての分野の医師・専門家を結集してチームで対応し、何軒も病院を回る煩わしさをなくしました。


ネパールの医師が見守る中、ネパール国立小児病院での口唇口蓋裂のボランティア手術風景

海外から毎年平均20名の患者が来院

—— データによると、現在、中国の口唇口蓋裂の患者数は約200万人で、2006年には貧困家庭の患者を救うための治療基金「嫣然天使基金」が設立されました。貴院の医療チームでは中国人患者を治療したことはありますか。いまは医療検査技術も発達しているので、口唇口蓋裂は妊娠段階で判るのでしょうか。その場合、手術の時期はどうなりますか。

吉本 海外からは毎年平均20名の患者さんが来院されています。中には新生児や自国で手術がうまくいかなかった方もいらっしゃいます。中国からの患者さんは4、5名いらっしゃいます。皆さん、日本語のできる友人を連れて来院されます。

新生児の手術に特に決まった時期というのはありませんが、早いほど良い結果が得られ、器官の発育にも影響を及ぼしません。胎児の顔は母親のお腹の中で、色んな突起が合わさってできます。それが部分的にうまく繋がらなかった場合、顔面奇形が生じるのです。経験を積んだ医師なら、妊娠20週くらいになると超音波で口唇口蓋裂を発見できます。いまの技術なら、お腹から胎児を取り出して手術してまた戻すということができます。うまくいけば傷がきれいに治って、生まれてきた時に傷跡が残らないのです。しかし、現実的ではないかもしれないですね。

口唇口蓋裂の確実な予防法はいまのところありません。発症の原因は様々です。精神的ショック、ウィルス、たばこやお酒などの環境的なものもあります。白人や黒人に比べると、黄色人種は多いです。遺伝は10%くらいです。双子の場合、片方がそうだったらもう片方もそうだという確率が高いです。ですから、そういうお子さんが生まれたのは、誰のせいということではないということを、まず初めに申し上げます。

我々のチームは、医療指導や手術だけでなく、親御さんの心のケアも大事にしています。

患者の10年後の状態を考えて手術を行う

—— 先生はなぜ形成外科医になろうと思ったのですか。また、口唇口蓋裂の治療を生涯の仕事にしようと決めたのはいつですか。先生は医療チームを率いながら、昭和大学医学部で授業も担当し、若手医師の育成にも当たられています。教える側で一番心がけていることは何ですか。

吉本 実は単純な理由なんです。学生の頃、医局を回っていた時、幸運にも有名な鬼塚先生の手術に付くことができ、糸を結ぶように言われて、なかなかうまく結べなかったんですけど、「おっ、うまいじゃないか!」と褒められて、そこに入ろうかなと。小さい頃から細かいことをするのが好きだったんです。

鬼塚先生の言われた二つの言葉が印象に残っています。一つは「何をやるにしても、自分の考えをもってやりなさい」、もう一つは「少年老い易く学成り難し」です。鬼塚先生ご自身が絶えず学び絶えず進歩する方で、豪快な方です。一瀬正治先生の影響も大きかったです。手術がとても丁寧なんです。時間がかかっても最後までイライラせず丁寧にされる。手術は速くて上手ならばそれが一番ですが、速いのはどこかで手を抜いているんです。一瀬先生は毎回の手術で、まず、自分の苦手を克服することを教えて下さいました。

私が若手医師に訴えていることは、人の顔は3次元でそれぞれ特徴があり、手術目標を達成するだけでなく、顔のバランスも見ながら、機械的になってはならず、速く終わらせようとしてもならない。一回一回の手術に真剣に向き合い、毎回の手術を新たな挑戦としていかなければ進歩はないということです。

口唇口蓋裂手術は「四次元の手術」と言われています。長期にわたって患者さんの成長と変化を見ていく必要がありますので、15年、20年と手術をやれるような人を育てようと思っています。また、チームでやれる医師が必要です。少なくとも40歳前後から専門の医師を育てるのが必要です。長く患者さんを観察してよくわかっているので、患者さんの10年後の顔を考えて手術ができますから。やはりある程度の経験を積んでいなければわからないですね。

—— 中国に行かれたことはありますか。また、形成外科の分野で中国と医療交流をされたことはありますか。

吉本 日中形成外科学会というのがありまして、ずっと交流活動をしてきました。交代で学術交流活動を主催しており、今年は昭和大学が担当で、私は会長として中国から多くの先生方をご招待していたのですが、諸事情の理由で、中国側から今年は行けなくなったと連絡があり、大変残念に思っています。

中国は私も大好きで、ハルピン、長春、瀋陽、大連、北京、蘇州、杭州、上海、西安、蘭州、敦煌など、医局の旅行や学会で何度も行きました。中国は広くて、都市ごとに様相も違って、何度行っても新しい発見があります。

それから、「オペレーションスマイル」という世界的な組織があって、そこの活動にもよく参加しています。ネパール、ミャンマー、カンボジア、インド、フィリピン、アフリカのマダガスカル、ウズベキスタンのタシケントなどの国・地域に赴き、ボランティアで手術を行っています。これらの発展途上国や地域には、手術を受けられないでいる口唇口蓋裂の患者さんが多いのです。今後、中国もボランティアで度々訪れたいと思っています。

取材後記

今回の取材で最も感銘を受けたのは、口唇口蓋裂の医師は一人で複数の役割を担っているということだ。熟練した外科技術だけでなく、一定の経験を有し、患部と顔全体のバランスをみる。患者の20年後を考え、同時に患者と家族の心のケアをし、10数年間にもわたって患者をフォローアップしなければならない。吉本信也先生を単に口唇口蓋裂の専門家、或いは形成外科教授と呼ぶことはできない。患者の守り人、患者家族の精神科医としての役割も担っておられる。