内視鏡手術の登場は、外科における一大革命だった。内視鏡手術は、患者が開腹手術の大きなリスクとまるでムカデがはっているような傷跡から解き放たれるため、もっとも優しい手術とも言われている。しかし、現在難度の高い内視鏡外科手術ができる医師は少なく、多くの医師は技術を持っているだけで執刀経験はあまりない。先だってテレビ朝日系列で放映された人気ドラマ『ドクターX?外科医・大門未知子?』によって、世界的に有名な内視鏡外科手術の専門家である金平永二医師を知った。彼はこのドラマのモデルなのである。先日、メディカルトピア草加病院を訪ね、消化器内視鏡手術件数世界トップクラスの外科医、金平永二院長にインタビューをおこなった。
内視鏡手術の三つの不思議
—— 内視鏡外科手術は多くの患者に「体にやさしい手術」と言われています。先生は日本の内視鏡外科手術の先駆者であり、同時に最高の栄誉である日本内視鏡外科学会の「大上賞」を獲得されています。この手術の特長をご紹介いただけますか。なぜ「体にやさしい手術」なのですか。
金平 患者さんにとって内視鏡外科手術は術後の痛みが少なく、ほとんど傷跡も残らないので、自分の目が信じられないという方までいらっしゃいます。以前、体に手術の跡が見つけられなかったので、「本当に手術をしてくれたのですか。本当は手術台で諦めたんじゃないですか」という方もいたほどです(笑)。
われわれ医師から見ると、内視鏡外科手術の特長は三つあります。一つは外側の体壁組織を破壊しないことです。体内は封鎖されていますから開腹して内蔵が空気に触れると内蔵の正常な働きを阻害します。
二つ目は腸が眠らないということです。開腹手術前には患者さんに全身麻酔をしますので、腸は眠った状態になります。同時に人の手や空気に接触することによって乾燥してしまいます。手術後5日?7日しないと腸は正常な状態に戻りませんので、患者さんの栄養摂取に影響があり、迅速な回復が妨げられます。
しかし内視鏡手術は腸を眠らせません。手術中も内視鏡を通して腸が正常に動いているのが見えます。腸の正常な働きを維持することが大切で、これが手術後の回復のスピードを決めるのです。
三つ目は免疫力を低下させないということです。開腹手術では免疫力が落ちてしまいますので、回復にかなりの時間がかかります。術後の患者、特にがん患者にとっては免疫力がいったん落ちると、再発しやすいとも言われています。腹腔内視鏡手術は免疫力の低下が起こりにくいのです。
必要とされればどこへでも行く
—— 先生は日本で初めてのフリーランスの外科医で、テレビ朝日系列の『ドクターX?外科医・大門未知子?』 の主人公のモデルになった方と聞いています。先生はいつ医師を志したのですか。どのような理由で前人未到の道を選ばれたのですか。
金平 実は中学生の時には、チョウやカブトムシやバッタなどを撮影する昆虫専門のカメラマンになりたいと思っていました。弟子入りする師匠も決めていて、長野県に住んでいらっしゃった田淵さんという生物カメラマンです。
それを高校の担任の先生に話すと、渋い顔をされて、「金平、カメラマンで食っていけるのは何万人に一人だ。二つ仕事をすればいい。考え直せ」と言われました。
両親もカメラマンに猛反対し、「そんなに生物が好きだったら、医者になるのが一番いい。生物学の道を究めれば医学にたどり着くから、人のためになって、すごくいい仕事じゃないか」と言われ、いわば大人にだまされて医学の道に入ったのです。私はとりあえず医者になって、趣味で写真を撮り、もし作品が売れたらカメラマンに転身しても遅くないと思いました。
ところが、医学部に入学してから、私は外科手術が好きになりました。当時の人気ドラマ『白い巨塔』で田宮次郎扮する財前五郎医師がかっこよかったし、漫画の『ブラックジャック』もとても人気があり、外科医にあこがれるようになりました。
ドイツに内視鏡外科手術を勉強しに行った当時、日本国内にはこの手術ができる医師はほとんどいませんでした。帰国後、この手術に合う患者さんはほとんど大学病院には来なくて、街なかの病院に行くということが分かりました。ですから、街なかの病院で必要な時には出向いて手術をしましたが、時間をとられますから、大学病院の教授にも「外ばかり行っていて、大学の仕事がおろそかになっている」と怒られました。私は周りの病院に行って、「内視鏡手術が必要な患者さんがいたら大学病院に回してください」と頼んでいたのですが、それではその病院もやっていけませんから、「金平先生が来てくれなければ患者に開腹手術をするしかない」と脅かすんです。
出血が少なく、跡も残らず、回復も早い内視鏡手術ができることは分かっているのに、リスクが大きく、身体への負担も大きい開腹手術をするのをただ見ているのは私にとって大変つらいことでした。
そこで、内視鏡外科手術を必要としている病院で、必要としている患者さんに手術をするために、私はフリーランスの外科医師となり、必要とされるところに行くようになったのです。
その当時、日本の医学界では内視鏡外科手術に懐疑的でしたので、私は内視鏡外科手術の伝道師のような気持ちで仕事をしていました。私の実際のオペレーションと患者さんの術後を見ることで、皆だんだんとこの手術を受け入れて評価してくれるようになりました。内視鏡外科手術の患者さんは傷口の癒合にしても身体の回復にしても、開腹手術よりもはるかに早いのです。
医療交流で中国に恩返し
—— フリーランスの外科医であった間、先生は多くの国に招かれて内視鏡手術をおこなっていますが、中国には行かれましたか。中国の医学界と交流はありますか。貴院の「メディカルトピア」というのは「医療のユートピア」という意味ですが、中国人患者を受け入れていますか。
金平 香港、上海、青島、広州などで手術をおこないました。香港には何度も行っています。今年1月には北京の日中友好病院で胃がんの手術と、頼まれてレクチャーもおこないました。
手術をするほかに中国に行って内視鏡手術の技術を教えています。1996年には上海でTEM(経肛門的内視鏡下マイクロサージェリー)手術を指導しました。2012年にはアキレス腱を断裂したのですが、松葉杖をついて北京に行ってTEMを教えてきました。その時は多くの中国人医大生が参加し、私は冷凍した動物の腸を使って実際に手術のトレーニングの指導をしてきました。
この病院をつくる時にはすでに中国人患者受け入れについて考えていましたので、病院内には日本語、英語、中国語の表示があります。また中国生まれの長瀬七海さんに通訳をしてもらっています。彼女は非常に優秀で、中国語はもちろんですが、日本語も私より上手なくらいです。(笑)
当院では多くの中国人患者を受け入れて桜井さんに通訳を担当してもらっていますが、そのなかに旅行会社の社長の王さんという患者さんがいて、中国で胃を全摘しなければならないと診断されたのです。彼は胃を残そうとしていろいろな病院を訪ねたのですが、上海で私のレクチャーを受けたことがある先生に出会って、私と連絡がとれればもしかしたら胃を残せるかもしれないと教えられたのです。
王さんは旅行会社の社長としていつも日中両国を行き来していて、日本語もできますので、自分で当院のホームページを見つけて私にメールとカルテを送ってきました。私は彼とSkypeで直接話をしました。手術の結果は胃の部分切除ですみました。彼は非常に満足してくれて、私に恩返しをしたいと何度も言ってくれました。私は医師として患者に力を尽くしただけですから、彼に「もしどうしても恩返ししたいとおっしゃるなら、あなたと同じような患者さんをうちの病院に紹介してください。もしかしたら胃が残せるかもしれませんから」と答えました。
王さんは言葉通り、病変した部位が複雑だったり、手術の難しい患者さんを紹介してくれました。例えば、食道と胃のつなぎ目に腫瘍ができていて、普通に腫瘤を切除すると神経と胃もいっしょに切ってしまう。私は胃の内側からの手術で神経を残すよう努力し、胃も残せました。これも内視鏡手術の技術のおかげです。
王さんは私に恩返しすると言いましたが、私こそ中国に恩返ししなければならないと思っています。今年、私は日中友好病院で400人近い医学部の学生にレクチャーをした際、一番最初に、「日中両国の往来は長く、日本ではまだ農耕文化が発達していない時に、中国は多くの先進的な農業技術を日本に伝えてくれましたし、また鑑真和上は危険を省みず6回目の渡航でようやく日本にたどりつき、仏教の教義や多くの中国文化を伝えてくれました。もし私が教えられるものがあるとすれば、私は恩返しの気持ちで、全力でそれを伝えたいと思います」と話しました。
周りの人を幸せにしたい
—— 世界的に有名な医師であり、同時に日本の内視鏡外科手術の先駆者である先生はすでにこの分野ではトップに上り詰めたのではないでしょうか。今後はどのような方向に進まれるおつもりですか。何か夢はございますか。
金平 国際的に認められたということはとても光栄に思っています。今は病院長という肩書きですが、私は自分を職人で技術屋だと思っています。職人というのは簡単なことでも最高レベルに持っていける人ですから、私は手術台で自ら執刀を続けています。と同時に、私は職人の先輩として技術を若い世代に伝え、跡継ぎをたくさん育てたいですね。
私にはたくさんの夢があります。私は、自分自身にどんな人生が送りたいのかとよく問いかけるのですが、結局自分が幸せな人生を送りたいというところにたどり着きます。エゴイスティックではありますが、それが私が本当に望んでいることなのです。
では、どうしたら自分が幸せになれるかというと、自分の周りにいる人、同僚や友人や家族がみな毎日笑って生活しているのを見ることです。彼らが私のしていることを見て楽しんでくれれば、それが一番幸せな時です。
病院ではいつもおもしろいことを言って、同僚や患者さんを笑わせています。病院というのは厳粛な場ではありますが、私は笑顔に満ちた、暖かい雰囲気の病院にして患者さんに元気を出してもらい、ポジティブに治療に臨んで欲しいと願っています。
取材後記
最後に、「平成のブラックジャック」金平先生に恒例の揮毫をお願いすると、「笑顔はしあわせの先に来る」と書いてくださった。「当院はまだ新しい病院で規模も小さいですし、私自身ブランドの肩書きもない一匹狼の外科医でしかないのですが、外国からも多くの患者さんが最先端の内視鏡手術を受けに来てくれるのが励みになります。さらに、当院のような仕事もできるということで地方の病院や小さな病院に勇気と希望を持って欲しいと思います」と語る金平院長の笑顔を見ると、この人が大人にだまされてよかった! とひそかに思った。
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