青柳 正規 多摩美術大学理事長・元文化庁長官
中国文化は多様、切磋琢磨して活性化する

昨年8月、奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)の6代目所長に就任した元文化庁長官の青柳正規氏は、専門が古代ローマ文化など西洋の古典考古学であり、日本におけるポンペイ研究の第一人者である。意外な起用が注目を集めたが、世界的な視野から文化の多様性を尊重し、異文化交流の可能性に言及する発信力は氏ならではのものと言えよう。「文化」による国づくり、また国際文化交流の在り方について、同氏のイメージを語っていただいた。

 
撮影/本誌記者 呂鵬

広がる文化の相対主義

—— 先生は文化庁長官に就任後、日本現代美術の海外発信の支援策など新たな施策を展開されましたが、アジア文化都市事業など、国際文化交流の意義をどのようにお考えですか。

青柳 おそらく19世紀から第二次世界大戦ぐらいまではヨーロッパの世紀だったと思います。19世紀にフランス市民革命が起こって、「自由平等博愛」という理念をフランス人たちが築き上げ世界に広げました。みんなはそれに賛同し、ヨーロッパ文化が非常に尊重されてきました。ところが第二次世界大戦が終わると「民族自決」で、それぞれの国のそれぞれの民族が自立して、まず自分たちの文化を大切にするのだと、ヨーロッパ文化が以前ほどには尊重されず、それぞれの民族の文化が尊重されるようになりました。

その中で、もともと伝統と素晴らしさを持っていた中国文化も、評価されるようになってきました。ヨーロッパ一辺倒ではなく、中国文化や中国の考え方、あるいはインド、日本、イランなどにおいても、それぞれの文化を尊重するようになってきました。そういう中で、違う文化を尊重する代わりに、自分のところの文化も尊重してくださいよという文化の相対主義が今広まりつつあります。

ですから文化的には非常にまともな、いい状況になりつつあると私は思っています。

多様性から生まれる

エネルギー

—— 文化交流史の視点から、アジアやヨーロッパと交流する上で留意すべき点は何ですか。

青柳 1つは、ヨーロッパ文化は例えばドイツの文化、イギリスの文化、フランスの文化、イタリアの文化、スペインの文化といったふうにありますが、中国文化は、中国の東北地方と、それから湖南省、四川省など地域でいろいろ異なります。中国文化は大きいし多様性がある。それを十把ひとからげに中国文化と見てしまうと、本当の中国文化の素晴らしさとか多様性を見失うと思います。

—— アメリカのトランプ大統領の文化的な政策をどのように見ていますか。

青柳 例えばユネスコの世界遺産がありますが、中国は五十幾つと大変多く指定されています。世界遺産の締結のときのアメリカ大統領はニクソンでした。そのときにアメリカには文化遺産としての世界遺産はないので、世界遺産に自然遺産も加えろと強引に自然遺産を入れました。アメリカ人自身は世界的なレベルでの文化遺産がアメリカにはないことを分かっているのです。ですからトランプさんも、全く文化について語ったことがありません。

あの方は成金そのものだし、お金だけです。そういう人が出てくるのは、アメリカがかつての超強大な国でなくなりつつあることの象徴でしょうね。ですからこれからは、おそらくアメリカと中国が肩を並べながら協調したり、あるいは反発し合ったりして、そのうちインドが出てきて、その三極が世界の超大国になっていくのではないでしょうか。

—— そういう情勢になると、その中での文化の力はどんなものになりますか。

青柳 やっぱり中国やインドの文化はすごい。インドでは公用語として認められている言語だけでも33あるんですよ。そういう文化の多様性を持っています。ですからインドの中でお互いに切磋琢磨して、文化的なものをお互いに競争してやっていくので、エネルギーがあります。

それから、中国も先ほど言いましたように、ヨーロッパと同じぐらいに省ごとに文化が違います。その多様性の中で、いろいろこれからも切磋琢磨していくでしょうから、エネルギーがあると思います。

ですからこれから世界的に見ていくときには、ヨーロッパ文化や日本文化が成熟した文化として一定の評価がされる一方で、中国文化やインド文化が活力のある新しい文化として、これからの世界をリードしていくのではないかと思います。

新旧の文化の調和が大事

—— 日本の国際競争力を強化するために、芸術文化にはどのような力があるとお考えですか。

青柳 文化というのは、新しい文化と、それから伝統的な古い文化の両方がないと、本当に生き生きとしてきません。中国でもインドでも、あるいは日本でもそうですが、若者が新たに生み出していこうと思っている文化と、それから古い文化をどう調和させるかです。若い人はある程度古いものに理解をするし、年取った人たちも、若者の文化に対して理解するようになると、文化は活力のある、深みのあるものになります。そうするとほかの国からも尊敬されるような文化になっていくのではないかと思います。

—— 日本の文化が一番うらやましい。アニメという新しい文化があるからです。

青柳 今は、中国でも中央美術学院とか、清華大学美術学院とか、あるいは上海の方でもそうですが、若者たちの活躍がすごい。どんどん人材が出てきています。そういう意味で我々も警戒しながら、お互いにいいところはどんどん吸収してやっていきたいと思います。

現代の「マタイの効果」は

インターネット

—— 新型コロナウイルス感染症の拡大で、世界中の美術館や文化施設が閉館され、人の交流も制限されました。コロナ禍の下で浮き彫りになった日本の文化政策の課題をどのように考えますか。

青柳 中国や韓国、ほかの国々と比べて、日本がインターネットを十分に活用していないことが分かりました。例えば中国では、武漢を閉鎖したりしても、人の出入りとかを、ビッグデータとしてどういう動きをとったのかなどきちっと把握しながら、コロナの封じ込めができました。ところが日本は、インターネットにそれぞれの個人やあるいは動き方をチェックするビッグデータの集積をあまりやっていませんでした。そういう意味での立ち遅れをつくづく感じましたね。

新約聖書の『マタイ伝』に、「マタイの効果」といって「貧乏人はより貧乏に、金持ちはより金持になる」ということが書いてあります。現代においてマタイの効果に相当するものは何かといったら、まさにインターネットです。個人個人が、あるいは全てのものをインターネットにつなぎさえすれば、大きな可能性が広がります。インターネットにつながらないと、どんどんダメになっていく。日本は中国や韓国にくらべて、インターネットがつながっていません。日本は今後、国際競争力を本当に失っていくと思います。

変わる中国変わる世界

—— これまで中国を訪問して一番印象深かったことは何ですか。

青柳 日本人というのは、どこかに弱さを持っている民族なんです。ですから中国の方たちが声高に、大きな声で自分の主張をガガガッとやると、もうそれだけで気持ちが控え目になってしまいます。ですが、昨年中国へ行ったとき、いろんなところで昔のガガガッというのがなくなっていて、非常に穏やかに、我々と同じレベルでお話しできました。あれはすごい変化だと思います。あのように一般生活習慣を変えることは、とても難しいことです。それだけ本当に生活水準が上がってきて、1人1人の中国の方々に、余裕ができてきているというのを実感し、大変驚きました。

—— 先生は「2020東京オリンピック」の文化教育委員会委員長でもありますが、オリンピックの将来はどのようになるのでしょうか。

青柳 今の状況だと、世界的にコロナが全部鎮まることは、あまり考えられないと思います。すでに政府や組織委員会では、規模を縮小したコンパクトなオリンピックを実現しようとしていますが、これはすごくいいことだと思っています。

それは、今までのようなIOCのやり方だと、オリンピックは、よほど経済的に余裕のある国や都市でないと開催できないからです。むしろこのコロナを契機に、コンパクトなオリンピックを開催すれば、その後は少しダウンサイズしたオリンピックができるようになりますし、むしろオリンピックを長く継続することができます。今までみたいに大規模なイベントはもうできません、限界です。サイズを縮小したオリンピックを実現して、オリンピックのあり方や将来をみんなで考えるのが良いと思います。