村上 もとか 漫画家
日本の反戦漫画家が中国に寄せる想い

近年、日本の漫画は中国の若者が日本を理解するためのチャネル・プラットフォームとなり、中国人にとって欠くことのできない「日本製品」となっている。それ故、日本の著名な漫画家を多く取材し、日本の漫画が世界を風靡し中国を席巻する理由、日本の漫画家たちの中国や中国人に対する考え方を知りたいと思う。今回は漫画家の村上もとか氏を取材した。氏は中国のアニメ・漫画ファンたちから「日本の反戦漫画家」として知られる。第二次世界大戦を経験しない日本人でありながら、第二次世界大戦下のアジアを巧みに描き、現地視察と資料収集によって、客観的に二十一世紀前半の歴史を作品に反映させている。その作品は細心かつ客観的で深みを持つ。

漫画を描くことで戦争を追体験

—— 第二次世界大戦下のアジアを描いた『龍‐RON‐』が第2回文化庁メディア芸術祭マンガ部門最優秀賞を、幕末の江戸を舞台にした医療サイエンス・フィクション作品『JIN‐仁‐』が第15回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなど、数々の賞を受賞されています。作品は中国に関係するものが多いように感じます。現在執筆中の『フイチン再見!』も日本、中国、旧満州が舞台です。このような動乱の時代を背景にしているのはなぜですか。

村上 作品に出てくる主人公たちは私の父親や母親の世代です。私は第二次世界大戦後の生まれですから戦争を経験していません。学校でモノクロの戦争の記録フィルムを見たことはありますが、あの年代の歴史はよく知りませんでした。

理解を深めるために、父や母が語っていた話から始めて自分でも関連の資料を調べました。10代の頃から、少林寺拳法創始者の宗道臣さんの伝記など中国で生活し活躍した日本人の回顧録を読んでいました。それらの回顧録や伝記を読んで、こんなイメージの主人公が描けないかなとの思いが芽生え、それが『龍』につながりました。私は漫画を描くことで、父母の戦争体験を追体験していると言えます。

『龍』は全42巻の長編作品ですが、彼が学んでいた武道専門学校がGHQの「武道禁止令」によって潰されてしまうなど、半分は主人公の日本での生活を、残りの半分は中国での生活を描いています。

自分の足で中国を知る

—— 現地視察などで中国のどこに行かれましたか。中国の印象はいかがでしたか。

村上 1979年に広州に行きました。1985年の夏には妻と一緒に北京、西安、ハルビン、杭州、上海、蘇州等を訪れました。1カ月ほど滞在し写真も多く撮りました。8月12日に日航機墜落事故があったこともあり、できるだけ列車で移動しました。

当時はすぐに『龍』を描く計画はありませんでしたが、足を運んで自分の目で見てみようと思い家内と二人で行きました。

中国には、初めて取材で訪れてから今までに延べ20回ほど行きました。80年代、90年代は日中関係も良好で国民の感情も友好的でした。大連などではよく「あんた日本人か?」、「昔教わった藤原先生を知ってるか?」などと話しかけられました。『フイチン再見!』の取材でハルビンにも行きましたが、ハルビンも大きく変わりました。以前撮った写真と比べて見ると、郊外には高層マンションが建ち、人々の生活も豊かになったと感じますし、幸福で満足そうな表情に満ちています。

近年、中国からの訪日観光客が増加し、もっと日本を知りたいというリピーターも多いそうですが、これはとても喜ばしいことです。私が中国を訪れたように、中国の観光客の皆さんも、実際に日本に来て自身の目で見て日本を理解して欲しいと願っています。それが相互理解につながりますし、日本人にももっと中国を訪れて欲しいと思います。


撮影/本誌記者 呂鵬

漫画的でなくても漫画は描ける

—— 高校時代に漫画家を目指されたそうですが、きっかけは何ですか。また、漫画家人生に最も影響を与えた人物はどなたですか。

村上 確かに漫画家になろうと具体的に考えたのは高校生の頃だったのですが、一番影響を受けたのは、つげ義春さんです。特に、月刊漫画雑誌『ガロ』に載っていたのを見て。一読者として『巨人の星』や『あしたのジョー』を夢中になって読んではいましたが、自分が同じような漫画家になろうなんて考えも及ばない感じでした。しかし、つげ義春さんのおよそ漫画的ではなく文学的な漫画を見て、こういうのも漫画としてありなんだと感じ、自分にも描けるかもしれないと思ったのが始まりです。つげ義春さんに漫画家になる勇気ときっかけをもらいました。

漫画家として一番影響を受けたのは、子どもの頃から一番夢中になって読んでいた『鉄腕アトム』の作者である手塚治虫先生です。常に手塚先生の姿が頭にあり意識する存在です。

また、父が映画会社の美術関連の仕事をやっていましたので、撮影所によくついて行っていました。父は仕事を家に持ち帰っていましたので道具もありましたし、小さい頃からケント紙に絵を描いたりしていました。

漫画は日本人の考え方や生活を伝える媒体

—— 日本の漫画は日本文化のソフトパワーの代表です。多くの中国の若者は日本の漫画に魅せられて日本に留学にやって来ます。趣味である日本の漫画が、日本を深く知るきっかけになっているのです。この現象についてどう思いますか。また、日本の漫画の魅力はどこにあるのでしょうか。

村上 最大の魅力は優れたストーリー性ではないでしょうか。連載によってストーリーに引き込まれます。しかも長編です。これは手塚治虫先生の功績が大きいと思います。昔は2ページとか3ページ、1カ月で8ページとかでした。手塚先生の功績で、連載漫画の数やページ数が増え読み応えのあるものになりました。そんな中、藤子不二雄先生をはじめ多くの著名な漫画家が生まれました。

日本の漫画が多くの中国の若者に愛されているのは、大変嬉しく光栄なことです。漫画は一つの媒体であり、日本人の本音や生活実感が投影されていて、若い人たちはすーっと入ってこれるんだと思うんですね。これからもより多くの中国の若者が日本漫画という媒体に興味をもち、それを機に日本にも興味をもってもらえれば、仕事への大きな励みにもなります。ありがとうございました。

取材後記

取材を終えると、村上もとか先生は連載中の『龍』の主人公―押小路龍のイラストを描いてくださった。押小路龍は中国人と日本人のハーフであり、彼の人生は中日の近現代史と深く関わっている。彼は民族に対しても階級に対しても平等な態度を貫き、歴史の奔流の中で自身の新たな道を切り開く。作品は押小路龍が関係をもった特高警察、共産党の地下組織、満州傀儡政府、朝鮮反日勢力などのいかなる政治勢力・集団にも肩入れすることなく、常に中立の視点を貫いている。日本軍の細菌部隊の悪行についても隠し立てすることはない。その歴史考証と歴史観には敬服せざるを得ない。