大河原 邦男 日本アニメ業界初のメカニックデザイナー
「ガンダムの生みの親」が『ガンダム』誕生秘話を明かす

過去40年間、日本のアニメ業界で最も成功を収め、影響力をもったメカニックデザインはすべて大河原邦男氏の手によるものである。彼が手がけた『無敵鋼人ダイターン3』、『機動戦士ガンダム』等のアニメ作品のヒットにより、「メカニックデザイン」は職業として確立され、大河原氏は日本で最初のメカニックデザイナーとなった。中国のファンの間では氏がデザインした『ガンダム』のイメージが定着している。このメカニックデザイナーはこれまで中国大陸を訪れたことはないと言う。先ごろ、中国のファンに代わって大河原氏を訪ね、インタビューを行った。

偶然入った業界で成功を収める

—— 日本のアニメ業界で、先生は名人級の人物ですが、もともとアニメ自体が好きだったわけではなかったと聞いています。なぜアニメ業界に入られたのですか。

大河原 大学を出てアパレル業界で仕事をしていたのですが、結婚を機に違う業界で働いてみようと思いまして。

新聞の広告で「タツノコプロ」というところが求人を出しているのを見て、婚約者の家に近かったので、ちょっと行ってみようと思ったんです。本当に、偶然にこの業界に入ったのです。

アニメ業界初のメカニックデザイナー

—— 中国には「無心挿柳柳成蔭(何気なく挿した柳の枝が陰をなす=打算なく無欲でいる方が良い結果が得られる)」という喩えがありますが、それにぴったりですね。先生は日本のアニメ業界初のメカニックデザイナーであり、文化庁メディア芸術祭の功労賞も受賞されています。日本のアニメ業界にメカニックデザインという職業を確立されたわけですが、『ガンダム』はどのようにして創り出されたのでしょうか。

大河原 1972年に「タツノコプロ」に入り、最初は背景を描く「美術」というセクションに配属になりました。美術監督の中村さんが早くからメカもデザインしていたんです。

当時、『科学忍者隊ガッチャマン』が放映されることになり、メカのシーンが多く出る作品だったので、中村さんが1人でやるのは無理ということで、新人の私にやってみないかと声をかけられ、この仕事を始めたということです。

それまでメカ専門にやる人がいなかったものですから、偶然、最初のメカニックデザイナーになったというのが経緯です。

「タツノコプロ」で4年間働いて、その後フリーになり、知り合いから「サンライズ」というアニメ制作会社を紹介されました。

「サンライズ」は「虫プロ」のスタッフが集まってつくった小さな会社で、スタッフも少ない中、『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』等を制作しました。これらのロボットものが「クローバー」という1つのスポンサーでしたが、業績が良かったわけです。

監督が、ザンボット、ダイターンの次は本格的なSFロボットアニメを創りたいということで、この2つで十分収益が出たのだから、3本目は自由に創らせてもらおうよということになりました。

旧ソビエト連邦の科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーが100年前に、「人間は宇宙に出ないと、いつまでも地球はゆりかごではないんだ」と唱えました。人間が宇宙に居を移して、これから何世代も地球を守っていくと。ガンダムはそういう世界観の下で制作されました。これもガンダムが成功した要因でしょう。

各国が、地球はこのままいけば限界を迎え、宇宙空間の開発を始めなければならないと感じ始めた時代でしたので、そのバックグランドとSFロボットの作品がマッチしたのです。監督がよくそんな時代背景をキャッチしたなということです。

火付け役は工業大学の男子学生

—— 『ガンダム』が誕生する前から日本では変形超合金のおもちゃが人気でした。当初『ガンダム』はあまり売れなかったと聞いていますが、本当ですか。

大河原 そうです。「サンライズ 」は小さな会社でしたから、制作費をオーバーしますと、おもちゃのロイヤリティーで埋め合わせをしなければなりませんでした。

『ガンダム』はコアファイターが中心ですが、市場のニーズを考えて、上半身、下半身を交換できるようにしました。当時、子ども達には変形、合体するおもちゃが好まれていましたから。70年代後半のアニメは、スポンサーのほとんどがおもちゃ屋さんでしたので、おもちゃを売らなければ次の作品がつくれないという状況でした。

放映が始まっても、『ガンダム』の視聴率もおもちゃの売れ行きも芳しくなかったのですが、幸いなことに工業大学の男子学生達が、『ガンダム』の世界観に魅力を感じ、科学的に考証された今までにないロボットものだと評価してくださり、人気が出たのです。

子ども達にとっては、『ガンダム』の世界観もイメージもハイレベルなため、 1年目はおもちゃの売れ行きは良くなかったのですが、翌年、プラモデルが子ども達の興味をひき、特に小学生の間で人気でした。

ハリウッドから学ぶから、ハリウッドが模倣へ

—— ロボットものとして、『鉄腕アトム』や『ドラえもん』などと比べて、先生の作品の特徴はどんなところだと思いますか。

大河原 『ドラえもん』にしても『アトム』にしても、人口知能(AI)を搭載していますので、アメリカ式ロボットです。日本式ロボットである『ガンダム』は操縦者が必要で、子ども達はこのアニメを見て、ロボットのパイロットになって大きなロボットを操縦してみんなの役に立ちたいと、夢を掻き立てられるのです。

ハリウッドでは昔は搭乗型のロボットは扱っていませんでしたが、『ロボ・ジョックス』あたりから搭乗型ロボットが登場しています。以前は日本がハリウッドからヒントをもらっていましたが、ロボットのデザインという部分で、『ガンダム』がハリウッドにヒントを提供している。これはすごく良い循環だと感じています。

競争環境が失われつつある日本のアニメ産業

—— 日本のアニメ産業の生産額はGDPの10分の1を占め、日本政府もアニメを日本文化のソフトパワーの一つとして世界にアピールしています。日本のアニメ業界のオーソリティである先生の目から見て、最近の日本のアニメ作品の変化はどんなものですか。

大河原 昔はアニメの放送時間は決まっていました。お母さんが台所で夕飯の支度をしている時間帯で、子ども達はのんびりテレビの前に座ってアニメを見ていました。あの時間帯はどのチャンネルを回してもアニメをやっていて、競争も激しく、子ども達は自分の好きなものをチョイスしていました。

いま、その時間帯はニュースバラエティーの番組になっています。アニメ業界は競争環境を失いつつあり、大きな挑戦や発展がありません。このままいくと『ガンダム』、『ウルトラマン』、『仮面ライダー』などが循環して放送されるだけです。

私個人は今も様々なジャンルのメカのデザインに挑戦しています。ファンタジーや少女向け劇場版アニメなど、新しいジャンル、新しいテーマの仕事はワクワクします。

『ガンダム』は今、やりたい人がいっぱいいます。私は過去にやったものをもう一回やりたいとは思いません。新たなジャンルにチャレンジしたいので、現在の仕事のスタイルにとても満足しています。

中国訪問を楽しみに

—— 中国には先生のファンもたくさんいます。中国に行かれたことはありますか。ファンへのメッセージをお願いします。

大河原 大陸にはまだ行ったことがありません。香港と台湾はあります。2015年にChinaJoyというゲームのイベントに招待されましたが、仕事が忙しくて残念ながら行けませんでした。

近年、日中両国のアニメ関係者の往来、交流が活発に行われるようになったことは喜ばしいことです。機会があればぜひ私も行きたいと思います。ファンの皆様、その時はどうぞよろしくお願い致します。ありがとうございました。