康 健一 中国健一グループ董事長
「中国のホテル文化」を日本に伝えたい

真冬の2月、東京で中国健一グループの康健一董事長に2度お会いし、その間、海外に中国ホテル文化を伝えたいという構想について熱心に話されていた。2月26日、北京に帰った際に玉泉山のふもとにある健一グループの健壱景園酒店までドライブした。遠くを望むと、3ヘクタールのホテルの敷地にあずまや、高殿、建物、中庭が点在しており、趣向が凝らされ、それぞれに美しい。江南の旧居を移転したり、北京の四合院を完全に再現した建物もあり、結婚式場には花嫁の乗る輿(こし)まで備えられ中国情緒満点である。健壱書苑は古色蒼然たる伝統文化の香りが満ちている。私は一瞬、清朝の雍正年間にタイムスリップしたような錯覚に陥った。落魄の文人、曹雪芹は北京の西郊で筆を執り、一文字一文字、消えてしまった「大観園」(『紅楼夢』の舞台である邸宅)を書いた。今、中国伝統文化の熱烈な愛好家である康健一董事長は「この世の大観園」を一つ一つ作り上げた。インタビューの際、康健一董事長はキューバの葉巻にたびたび火をつけ、悠々と煙をくゆらしながら、窓の外の冬の木々を眺めて「私は中国人が誇れる、外国人に羨望されるような庭園をつくりたい」、「海外に少なくとも10カ所の中国のラグジュアリーホテルをつくり、外国人に中国のホテル文化を伝えたい」と語った。この構想に添ってインタビューは進んだ。

 

「この世の大観園」

―― 私はとても中国の古典小説『紅楼夢』が好きなので、必然的に曹雪芹にも関心を持っています。当時、落魄の曹雪芹はすでに食べるのにも困っていましたが、人々に幻想を抱かせ、永遠に忘れられない「大観園」を一字一字書き続けました。この健壱景園酒店を巡ると、「この世の大観園」にタイムスリップしたような感覚を持ちました。このホテルからは康董事長の中国文化、特に中国庭園文化に対する解釈が見て取れます。康董事長は中国伝統文化の大ファンだという人もいますが、このホテルで最も自慢できるのはどの点でしょうか。ホテル設計の基本構想についてお話いただけますか。

康健一 この景観設計は、確かに美しいですが、美しいだけではなく、来た方々すべてに美を震撼させます。北京にはこのような景観ホテルはないからです。しかし私にとっては、まだ完璧ではなく理想のものではありません。これは改造プロジェクトを基礎としたもので、土地を最初から造成し建設した作品ではないからです。

この庭園には東屋があり、これは故宮の花園の中の万春庭を参考に作ったものです。その二つの建物は対になっていて、優雅で精巧なものです。ここに私は自身の経営理念を表現しました。東屋は小さすぎてはならず、大きくしました。このようにすると東屋には王家の風格が宿り、また実用的にもなります。

私はこの庭園に浙江省から百年以上の歴史を持つ古民家を4軒移築しました。これによって江南の景色も加わります。私はこの浙江省の古民家と北京の四合院との違いに注意し、建物と庭との間に屋根を設けました。この改造によって、「屋根を借りる」という古い意味も持たせましたし、また古民家の両側を天井から床までの大きな窓に改築したことで採光ができ、現代的生活にも適応できるようになりました。

私はずっと、古民家の使用は復古ではないと主張しています。現代的なライフスタイルは完全に変化しており、300年前に現代人を戻らせる復古では、人々はまったく快適ではないからです。私は300年前、500年前の明清時代の建築を現代社会に持ってきたいと思っています。昔はテレビもネットもありませんでしたが、今ネットは必須です。昔の家には窓に紙を貼っていました。家の外が暴風で中にも強い風が吹いていたら、現代の住宅では耐えられません。昔の北京の四合院には西南の角にトイレがありましたが、今はすべての部屋になければなりません。このようにして、私は古民家をリフォームし、伝統的な特色を維持しながら、現代社会に適応できるようにしました。

この庭園の建築は、どの流派にも属さないもので、これは中国建築だと思っています。ここにあれば、南方か北方かにかかわらず、明か清かにかかわらず、これらはみな中国式であり、中国建築なのです。


長泰健壹正門

「中国ホテルのブランド」を打ち立てる

―― 見たところ、歴史を超越する、あるいは歴史を活性化するというこの方法で文化の振興に役立てていらっしゃると感じます。アメリカでもホテルを建設し始めたとのことですが、その目的は何でしょうか。

康健一 私は世界で最低10軒のラグシュアリーホテルを建てるという夢を持っています。アメリカのホテルはその第一歩です。なぜアメリカから始めたのか。ブランドを打ち立てるのにアメリカに行かなければ、永遠にブランドのコンセプトは形成されないということを知っているからです。

今、14年前に参加した9日間にわたったフォーラムは忘れられません。著名な学者が、「中国には自身のホテルがない」と言ったのです。そうです、中国の発展に伴い、中国に来る外国人が増えているのに、彼らのほとんどは外資系ホテルに宿泊します。経営者は中国人だとしても、ブランドは外国のものです。また、中国人の海外渡航も増えていますが、彼らが海外で利用するのも外国ブランドのホテルです。ですから、私は中国人が誇りに思い、外国人にも尊敬される中国ブランドのホテルを作ろうと決心しました。

フォーラムで、その著名な学者に「ホテルとは一つの民族文化の消費の究極の表現であり、ただのホテルではない。その中には衣食住があり、文化建築、インテリア、グルメ、ホスピタリティーがある。ホテルは民族の究極の消費を体験する場所だ」と言われ、大きな刺激を受けたのです。

2008年の北京オリンピックの時、米国人グループが予約したホテルに着いたものの、私の昌平のホテルを見た後、私のホテルに宿泊したいと、夜中にチェックアウトを求めたのです。私はとても驚きましたが、同時に自信を強めました。

今、多くの中国人が海外に中国文化を広める事業をしています。外国人にいかに中国文化を受け入れてもらうか、これは深い問題です。私はホテルを中国文化を広める媒体にしたいと思っています。私は今アメリカにホテルを建設していることに大変誇りを持っています。というのは、このホテルの設計、施工、投資、マネジメントのすべてを中国人が行っていますので、これははじめての純中国式ホテルだといえるからです。

私は現在、ロサンゼルス、マイアミ、ニューヨーク、シカゴまたはサンフランシスコに4つのホテルを、ヨーロッパではロンドン、パリ、ミラノ、フィレンツェに4つのホテルを持ちたいと考えています。これらの古い帝国主義の4都市に建設しなければ、ホテルのブランドは形成できません。また中東には世界一豊かな国がありますから、アブダビ、ドーハにもホテルを建てたいと思います。これで10軒のホテルですね。それ以降もやるとしたら、アジアですね。日本は最も検討すべき場所です。

ブランドが打ち立てられれば、人々に注目され、その名前で人が来て、中国のホテルに泊まってみよう、体験してみようという考えが生まれます。このように媒体のコンセプトを形成すれば、中国文化は伝承され、発揚されます。


和合堂

日本のサービス意識は最強

―― 中国でホテルを経営され、アメリカでは「中国のホテルブランド」を打ち立て、将来は日本進出も考えていらっしゃいます。日本にもよくいらっしゃっていますが、日中両国の文化の違いはどんなところにあるとお考えですか。

康健一 われわれはサービス業ですから、私は特にサービスの細部を観察しています。日本の百貨店で、従業員が交代するところを見ましたが、まず二人が互いにお辞儀をしていました。どれくらい頭を下げたのか数えませんでしたし、話す言葉も分かりませんでしたが、自分はこういう業務をしていたので引き継ぐと言っているように見えました。交代してきた人は、安心してください、あとは私がやっておきますと言っているようでした。交代した後、退勤する従業員が通路を通る時、売り場に対して深々とお辞儀をしてお尻のほうから退出していきました。その瞬間、日本の販売員の企業やお客様に対するこの上ない尊重を感じました。中国の百貨店の従業員は今まだこの点はできていないと思います。

もちろん、日本のサービス要求基準は高すぎると感じる時もあります。かならず笑顔でサービスすることや、7本の歯を見せることなどはやり過ぎだと思います。中国のサービスは中国と日本の中間の笑顔にあるべきで、これは台湾ではできています。台湾は中国大陸のサービスに似ているように見えますが、中には日本の文化もあり、中国の文化もあります。ですから、私のホテルのサービス体制には台湾人を招いてサポートしもらっていますし、私の補佐役も台湾人です。私は日本のサービス基準を中国に持ち込むことはできないと思います。


健壹公館

日本市場の魅力とは

―― 将来的には日本市場へ進出されたいと希望されていますが、日本市場の吸引力または日本の魅力とはどこにあると思われますか。逆に、日本の市場に足りないところはどこでしょうか。

康健一 日本の魅力とは、今お話したサービス文化、環境上の文化、また日本には多くの中国伝統文化の影響もあります。私は日本文化が好きで、建築では金閣寺、銀閣寺などに禅宗文化への探求が見て取れます。庭の枯山水、白砂など極めて美しいですね。

また日本は四季がはっきりした島国で、季節感がとても強いです。私は四季のある街が好きですので、ハワイは好きではありません。一年ずっとサンダルをはいて半袖を着るというのは生活とは言えません。人には四季の変化が必要で、でなければだらけてしまいます。それから、日本は中国に比較的近いので、私は10年間海南島には行っていませんが、日本には毎年3、4回は来ています。三亜よりも日本のほうが近いのです。最後に率直に言いますと、日本は文化的環境が良く、盗みやごまかしなどがなく、人々も外国人に対して友好的です。このような場所に「中国ブランドのホテル」がないことは大変残念です。私としては、この大きな心残りを克服したいと思います。