松本 零士 アニメ界の巨匠
「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」

松本零士といえば、知らない人はいない日本アニメ界の巨匠であり、ロマン溢れる「時空の旅人」でもあり、戦後アニメ史の生き証人でもある。2016年2月16日、東京・練馬の「零時社」を訪ね、松本氏にお話を聞いた。その中で、松本先生は「わんぱく小僧」、「漢文通」、「アトムの援軍」そして「永遠の武士」など、さまざまな顔があることを知った。老齢になっても松本先生はなお燃えている。「時間があるということは、未来があるということ。だから絶対に希望をなくしてはならない。人生を支えるのは夢だ。時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」と、氏は情熱的に訴えた。

「わんぱく小僧」は冒険を愛し全世界を歩く

—— 先生の作品は戦争もの、SFもの、少年ものなど多くの分野に及んでいますが、多くは宇宙空間がストーリーの背景になっていますね。たとえば中国でも大人気の『銀河鉄道999』もそうです。これは先生が天文学の研究をされているせいなのか、それとも宇宙ファンのせいなのでしょうか。

松本 私は小さい頃から星空を眺めるのが好きで、地球には人間がいるけれど、ほかの星にもきっと生物がいるだろうと思っていました。小学校の時から、私が描く漫画は宇宙が舞台でした。

私は特にあちこち旅行するのが好きで、世界の多くの場所に行き、見てきました。ナスカの地上絵なども見ましたが、自分の目で見た感動は、撮影されたものや資料写真とはまったく違います。自分で行って、じかに見た場所は立体的に描けるのです。

私はマチュピチュの天辺まで上がっていますし、ケニアのサバンナを走り回ってタンザニアの領土に入ってしまい、タンザニアの兵士と鉄砲を向け合うような騒ぎも経験しました。ライオンと決闘をしようとしたり、アマゾン川で泳いだり、ワニと格闘したり、あと南太平洋のバヌアツやニューカレドニアの荒海を泳ぎまくりました。

ですから絶対におぼれないという自信があります。それは小さいころからわんぱく小僧で、山を駆け回り、川や海で泳いでいましたから、関門海峡をプールのようにして泳いでいましたよ。

でも、残念なことに自分の暮らしているこの地球だけは自分の目で見たことがありません。私は人生が終わる前に、宇宙から地球を見られたらと思います。これは私の作品の中のセリフですが、「帰れなくてもいいから打ち上げてくれ」という思いですね。

人間の地球に対する過度の開発によって、地球の地圧が下がり、気圧が上昇したことで、地球温暖化や頻繁な地震、火山の噴火を招いているのです。これから人類は宇宙開発をして宇宙から資源を獲得するようになるでしょう。

私はアトムの援軍

—— 今年は「鉄腕アトム」登場から65年です。日本でもいろいろなイベントや特集が組まれています。先生は手塚治虫さんと親しかったそうですが、手塚先生の印象をお聞かせいただけますか。また「鉄腕アトム」をどう評価されますか。

松本 私と手塚さんと石ノ森章太郎さんは日本三大アニメマニアで、3人で研究して映画をつくろうと計画しました。ある時、深夜に手塚さんから電話があり、助けてくれと言われました。映写機が壊れて、アニメの編集ができなくなったが、翌日は試写会だというのです。私はすぐに自分のボロの映写機を持っていき、それで「鉄腕アトム」の第1回目を編集しました。まさに私はアトムの援軍ですね。

それから、私たちはいっしょに中古屋さんに行って古い映写機や撮影機、撮影台を探したりしました。

「鉄腕アトム」は大変素晴らしいと思いますが、SF漫画は日本ではもっと早くから登場していました。戦前にはすでに人間型ロボットが主人公の作品があったのです。でも手塚さんのアトムはとてもリアルで、心があるロボットです。ですから、手塚さんは戦後の漫画家の中では一番子供たちに人気のある漫画家であり、日本の現代の漫画ブームを築き上げた偉大な人だと思います。

中国の漢詩がすらすらと出る「漢文通」

—— 先生の作品は早い段階で中国に輸出され、多くの出版社で翻訳版が出されました。先生は、中国に何回行かれましたか。中国のどんな場所や人が印象に残っていますか。

松本 私は学校で漢文を勉強しましたから、中国の今の簡体字は分かりませんが、繁体字は全部読めますし、意味も分かります。

以前、北京大学の先生と「児女英雄伝」を描いたこともあります。彼は私に「日本はいい名前をつけますね。漫画の『漫』という字には水(さんずい)があり、目もある。若々しい元気な目で創作するという意味です」と言いました。「漫画」という言葉を日本で最初に使ったのは葛飾北斎です。

中国で一番印象が強いのは峨眉山ですね。「宛転たる蛾眉よく幾時ぞ 須臾にして鶴髪 乱れて糸の如し」、この詩は昔から知っていましたので、本物の峨眉山を見た時には、二つの山が相対しているのを見て、ここから峨眉という名が来たんだとよく分かりました。それから北京の故宮の印象も強いですね。普段は公開されていない故宮の内部も特別に見せてもらいましたが、とても光栄に思い、また感激しました。

私は科学技術庁の外郭団体である「日本宇宙少年団」の理事長を務めておりますので、中国を訪問して中国の子供たちといろいろな交流活動をしました。

また、故宮の金水橋のあたりに似顔絵描きの青年がいて、私に絵を買ってくれと言うのですが、通訳の方が「この人は漫画家だ」と言うと、彼はさっと絵を隠してしまい、もう見せてくれなくなったのです。向こうの方に行ってしまい、その後ろ姿はとてもしょんぼりしています。私は絵を買いたかったのですが、彼の気持ちもよく分かりました。私が若い時にも同じような感情がありましたから、まるで昔の自分を見ているようでした。

私は、世界中の人類の感情は共通だと思います。ですから、私が創作する時には、地球は一つであることを忘れず、思想、信条、民族感情などに注意を払って描いています。どんな国の人が見てもいやな思いをしないようにしています。人間は生命体であり、平和と友好に責任があり、お互いに助け合って、いっしょに地球の自然環境を守っていかなければなりません。

中国は人口が多いですから、きっと天才も多いと信じています。

若者の最大の宝物は時間夢をあきらめないで!

—— 私は個人的に『大四畳半大物語』が大好きです。1988年に日本に来たのですが、私が最初に住んだのも四畳半のアパートでしたので、先生が描かれたラーメンライスとかには特に感情移入して感動しました。時代は違いますが、今の中国の若者も地方から北京に出てくる「北漂族」が多く、当時の一人で北九州から東京にやってきた私と同じようです。中国の若者に、特に地方から出てきて頑張っている若者たちに、何かメッセージはありますか。

松本 私は、どんなに貧しくても、どんなにすさまじい生活をしていようとも、あなたたちには時間という大きな財産があり、時間があるということは未来があるということだと中国の若者に言いたいですね。若者の最大の宝物は時間が十分にあることです。だから希望を失ってはなりません。人生を支えるのは夢なのですから。

『銀河鉄道999』の中で私が創り出した言葉があります。「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」、「両方が出合った時に夢がかなう」。

永遠の武士は後悔のない人生を送る

—— 先生のペンネームは「零士」で、オフィスは「零時社」、先生は「零」という文字に特別な思いがあるようです。先生にとって「零」は何を表しているのでしょうか。

松本 私のペンネーム「零士」の「零」という数字はずっと繰り返しても出口や終わりがないという意味で、「士」はサムライですから、終わりなきサムライ、止まらないサムライ、永遠の武士ということです。どのようなことに直面しても、泣き言は言えません。この道は自分が選んだのですから、すべての責任は自分で負わなければならず、後悔しない一生を送らなければなりません。

アニメの未来は明るい

—— 近年、日本政府は「漫画文化大使」を任命したり「国際漫画大賞」を設立するなど、漫画を通じた「文化外交」を推進しています。増加し続ける中国人の訪日観光客の中にも日本のソフトパワーに魅かれている人が少なくありません。日本のアニメはどうしてこのように大きな文化的効果を発揮できるのでしょうか。日本のアニメの魅力はどんなところにあるのでしょうか。

松本 私は、日本のアニメ作品の感情の描写が誠実でこまやかなところに、人生を深く考えさせるところがあると思います。主人公には心があり、現実の中で共感を引き起こすことができるのです。

現在、アジアでも欧米でもアニメ制作はとても盛んになり、競争になっています。このような良好な競争関係はお互いの技術の進歩を促します。私は、アニメ界には楽しく期待できる未来があると信じています。

取材後記

零時社に入ると、まるでプラネタリウムのように、オフィスの壁や天井は星空になっており、松本零士先生の宇宙を愛する心が現れていた。慣例により先生に揮毫をお願いすると、色紙に文字は書かず、流れるようなペンタッチで「銀河鉄道999」の金髪の美女メーテルのイラストを描いてくださった。メーテルのモデルは、先生が偶然に見た一枚の写真に写っていた祖父が若い時に愛した女性だと聞いたことがある。その「伝説」についてはお聞きしなかったが、このメーテルのイラストからは、この女性が先生にとっての最高の美であり、ずっと追いつかない思いをイメージするものだと思われた。