山田 朗 明治大学平和教育登戸研究所資料館館長
戦争の本質を後世に語り継ぐ

戦前日本の陸軍登戸研究所では秘密戦に関わる兵器・資材の開発がおこなわれ、毒薬を使用した中国大陸での人体実験も行われた。「私たちはこうした戦争の暗部ともいえる部分を直視し、戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要があると思っています」。明治大学平和教育登戸研究所資料館の山田朗館長は取材に対しこのように語った。

日中戦争を契機に開設

—— 戦前、旧日本陸軍は、なぜ登戸研究所を設立したのですか。

山田 日中戦争が始まった事が契機になりました。当時の日本には、中国大陸における「秘密戦」(スパイ活動・破壊工作など)を有利に展開するための専門機関がありませんでした。登戸研究所はもともと東京・新宿にあった陸軍科学研究所という比較的基礎的な研究をする施設の一部でしたが、1937年に日中戦争が始まり、神奈川県・川崎の地に登戸実験場が開設されました。

そこでは、時限爆弾やライター型カメラなど、スパイ活動の特殊な兵器が開発されました。そして、戦争の進展に伴い、飛行機を電波の力で撃ち落とそうとする兵器や、太平洋を横断し米国を攻撃する風船爆弾、中国経済を混乱させる目的の偽札製造、さらに米や麦などを枯らして相手国の食糧生産に打撃を与える目的の細菌兵器の開発・研究が行なわれました。

一方で、暗殺用の毒薬も開発され、これは731部隊と協同して、中国で人体実験も行われました。研究所の性格上、非常に秘密度が高く、一般には全く知られていない研究所でした。

戦争は倫理観を喪失させる

—— 研究所と戦後の事件との関わりはありますか。

山田 1948年の帝銀事件では、登戸研究所の毒薬が使用されたのではないかと警視庁の刑事が推定し、研究所毒物班の班長だった伴繁雄さんが捜査を受けています。その時に彼は、研究所が毒薬を使用して人体実験をしていたことを告白しています。

また、サリン事件に象徴されるように、細菌兵器の開発では理系の人たちに十分な研究費と材料を与え、倫理的・人道的な部分は考えさせずに邁進させます。ですから、目の前で人が死ぬような実験をやっていても、何も感じなくなってしまう。伴さんの証言の中に、「初めは嫌であったが、慣れると(薬の効果を試すのが)一つの趣味になった」とあります。戦争をしているときは、人を殺すという感覚が麻痺して完全に倫理観を喪失してしまっているのです。

若者の心が歴史の扉を開く

—— 敗戦後、「証拠隠滅」の命令の下、登戸研究所は歴史から消されましたが、近年、証言により事実が明らかにされています。きっかけは何だったのですか。

山田 地元の高校生が自分の住んでいるまちの歴史を調べたいというのが一つのきっかけでした。それが次第に、戦争について何も知らないので調べたいという気持ちを抱くようになります。これまで伝えられていない戦争の話を、自分たちが明らかにしていこうという強い使命感に燃えて彼らは聞き取り調査をするようになります。これはすごいことです。

そして、伴繁雄さんたち関係者に会い、詳しい話を聞くのです。秘密戦に関係していた人たちは、自分たちのしたことを絶対話してはいけないと思う反面、歴史の中に一切記録されていないので、どこかに残しておきたいという気持ちもあったようです。伴さんは高校生から、本当にアメリカと戦争をしたのですか、などと素朴な疑問を投げられて、やはり後世に残しておかなければダメだと思い、本にまとめる決意をするのです。

中日共同の歴史研究が必要

—— 戦時中、登戸研究所で発案された秘密兵器が陸軍中野学校を通じて中国大陸で使用されたという事実など、どこまで解明できていますか。

山田 秘密戦というのはそもそも記録を残さないのに加えて、敗戦時に大量の文書が焼却処分されています。登戸研究所も同様です。ですから、資料が一切残っていません。戦争中にどのような秘密戦を行ったのか、どのような戦果が上がったのかなど一切わからない。ですから関係した人の証言しか残っていないのです。

ただ、この資料館ができてから、当時の将校の日記などが発見されたりして、新しい事実もわかってきています。今、当時の関係者の遺族の方がそうした資料を寄贈してくださるなど、だんだんと集まってきています。

—— これまで中国の研究者との交流はありますか。

山田 最近、関心を持って当館を訪れる中国の方が増えています。また、中国ハルビンの731罪証陳列館とは緊密に連絡を取り合っています。以前、中国社会科学院近代史研究所の歩平所長が来館されたことがあり、私も北京の社会科学院で1カ月程勉強させていただきました。

登戸研究所は中国に関わる秘密戦をたくさん行ったわけですから、やはり中国の研究者と共同研究をしていかないといけない、日本にいたのではわからないことがあるのではないか、と思っています。

加害者の側面も語り継ぐべき

—— 今年は戦後70周年です。登戸研究所はきわめて貴重な戦争遺跡のひとつです。貴資料館の設立意義と戦争と平和への今日的意義について教えてください。

山田 この地には歴史が刻まれています。自分たちが勉強しているこの場所で、かつては秘密戦や人体実験に関わる研究をしていたという事実を学生たちに考えてもらいたいです。

今の若い人たちは親もそうですが、中にはおじいさん、おばあさんにも戦争体験がない世代です。ですから家庭の中で戦争の話が引き継がれていません。

戦争というのは始まるとどんどんエスカレートして、どんどん犠牲者が増えていきます。自分の国を守るということは結果的に他国に被害を与えるという加害の側面が生じてきます。日本の教科書もそうですが、原爆や東京大空襲などの被害の側面は語り継がれているのに、実はもっと多くの犠牲者を出した加害の側面がきちんと引き継がれていません。国も戦争の極めて重要な部分を見ないで議論すれば道を誤るおそれがあります。

次世代を担う若い人には、戦争は自分と関係のないことではなく、つながっているのだという感覚を持って、そのことを後世に語り継いでいってほしいのです。

取材後記

当日、山田館長はゼミ合宿終了直後でお疲れの中、山梨から戻って来られ、取材に応じてくれた。しかも取材の前に館内を案内して頂き、展示物を一つ一つ丁寧に説明して下さった。歴史学者としての知識の深さに驚くとともに、戦争の本質を後世に語り継ぎたいとの思いに感銘を受けた。