川口 順子 元外務大臣・明治大学国際総合研究所特任教授
中国はアジアのリーダーとしての責務を負うべき

日本は広く男尊女卑の国として知られ、女性の社会進出度は現在も先進国で非常に低い水準にある。しかし日本社会には、経済界、政界、文化界、教育界を自由に転身する傑出した女性も多くいる。川口順子氏はその代表的人物である。川口氏は大学卒業後、通商産業省に入り日本の女性官僚の草分けとなった。在職中、米国イェール大学の経済学修士を取得。52歳で官僚を辞して経済界に身を投じ、サントリー株式会社の常務取締役に就任した。2000年、第二次森喜朗内閣で経済界から国務大臣に入閣。2001年には初代環境大臣に、2002年の小泉純一郎内閣では外務大臣に就任した。2013年、政界を引退し教育界に転身。明治大学国際総合研究所特任教授、明治大学研究・知財戦略機構特任教授に就任した。2014年から再び経済界に足を踏み入れ、豊田通商株式会社の取締役となった。先ごろ、明治大学国際総合研究所に、日本の外交、環境、経済、文化、教育の分野で大きな功績をもつ川口順子氏を訪ねた。

 

日本と中国は役割を補完し合いアジアを牽引

―― 近年、米国は「アジアへのリバランス」戦略を提起し、一方、習近平体制は「中華民族の偉大な復興の実現こそが近代以降の中華民族の最も偉大な夢」であると謳う「チャイナ・ドリーム」に言及しています。新時代の「チャイナ・ドリーム」と「アメリカン・ドリーム」が21世紀及びアジア地域に影響を及ぼすことは間違いありません。今後、米中間のパワーシフトは起こると考えますか。その場合、日本がアジア地域に果たす役割についてどう考えますか。

川口 近年、中国の発展には勢いがあり経済成長率は米国を凌いでいます。そのため米中間のパワーバランスに変化が見え、双方の力は接近していると言えます。

中国のGDPは2030年には米国を超えるとする研究機関もありますが、私はそうは考えません。中国の経済成長率は低下しました。また、国の経済成長率だけで、すべてが決まるわけではありません。最終的には国の社会資本の厚みや、国民一人ひとりの生活の質を見る必要があります。総合的に見て、中国がそんなに早く米国を抜いて世界一の大国になるとは考えられません。

世界情勢から見ても、アジア諸国にとっても、アジア地域の平和と安定的な経済発展が非常に重要です。アジアは世界の経済発展の牽引車であり、そのエンジンが弱まったり止まったりしてしまえば、世界経済も不況に陥ってしまいます。ですからアジア地域の平和と安定的な経済発展を全力で進めていく必要があります。

アジア経済が順調に発展してきたのは、戦後の日本が経済、文化、社会建設等の分野で援助を行ってきたためで、その最大の受益者が中国です。当時、日本はアジア一の先進国で、自分の責務をはっきりと認識していました。そういった意味では、日本がアジアの経済発展の基礎を築きました。GDPが急速な成長を見せている今日、中国もアジアのリーダーとしての責任と義務を認識し、アジア諸国・地域の平和と安定に貢献すべきです。

日本と中国は実際、役割を補完し合いながら、ともにアジアを牽引しているのです。例えば日本には技術、ソフトパワー、環境保護の分野で豊富な経験があり、健全で平和な社会の発展のために貢献することができます。また、日本の目前の課題は高齢化、少子化であり、これらも今後アジア諸国が直面する問題です。日本は先進国として、これらの分野の対策と経験をアジア諸国に伝授するべきです。これも、今後日本が果たすべき役割ではないかと思います。

 

信頼関係の修復が日中外交の鍵

―― 近年、東アジア地域の紛争が激しさを増し、世界的関心事となっています。かつて外務大臣を務められ、現在は民間主体で外交推進に取り組む「新しい民間外交イニシアティブ実行委員会」の委員を務めておられますが、それらのご経験から、日中外交の課題は何だとお考えですか。

川口 私は、国と国との関係は政府と政府の関係と切り離して見るべきで、政府間関係イコール両国関係ではないと考えます。

良好な二国間関係構築のためには、すべてを政府に委ねるべきではなく、企業、民間、個人が果たすべき役割があります。「新しい民間外交イニシアティブ実行委員会」の意義もそこにあります。一人ひとりが自身の責務について考え、主体性を発揮するよう呼びかけています。

日中外交の最大の課題は信頼関係の欠如と考えます。過去には深い信頼関係で結ばれていた時期もありましたが、それも壊れてしまいました。今では、限られた人たちによる交流のみで、その範囲も瞬く間に狭まってしまいました。

しかし、最近喜ばしい兆しもあります。訪日中国人観光客数が急速に増加し、2015年は延べ400万人が見込まれています。今後さらに多くの中国人観光客が日本を訪れ、実際に日本を見て体験することで信頼関係を修復し、交流が広がっていくことを願っています。

両国が信頼関係を結べない理由として、日本人に中国は何を考え何を必要とし、どのような国づくりを目指しているのか、また、その優先順位はどうなのか等がわかりにくいことが挙げられます。中国人の日本に対する見方もおそらく同じでしょう。日本人は、日本政府は透明性が高く、民主的な政策決定をしていると考えています。しかし中国人はそうは考えていないかもしれません。日本が本当に新しい日本になったのかどうかわからない。それで不信感を抱くのです。

信頼関係の修復には、両国政府と各界、ひいては個人レベルでの努力が必要です。国民間の交流を拡大して理解を増進し、政府間においては速やかに危機管理制度を構築すべきです。

 

公海の保護は日中間の積極的な協力で

―― 人類の共通財産である「公海」は現在、密漁、乱獲、海洋の酸性化など様々な危機に直面しており、それらはすべて漁業資源の減少を招きます。国家間では公海における適切なガバナンスをいかに実現するかが話し合われていますが、一衣帯水の中日両国はこの問題にどう取り組むべきと考えますか。

川口 私は国際有識者委員会「世界海洋委員会」の委員ですが、2014年夏、公海のガバナンス問題に関する提言書を提出しました。実のところ、現在、公海のガバナンス状況は非常に悪く、管理体制は基本的に確立すらされていないと言えます。

国連海洋法条約成立時は、各国の海洋、漁業関連技術はまだそれほど進んでいませんでしたが、今では多くの新技術が誕生し、国連海洋法条約では対応できていないところがあります。

公海は世界の公共財産であり、人類に食と資源を供給し気候の決定要因でもあります。世界はそれを保護する必要があります。しかも、経済力のある国ほどその責任は大きい。日本は世界第三位の経済大国で、中国は第二位です。加えて両国ともに漁業大国なのですから、この問題を自覚して積極的に協力していくべきです。

 

日本の経験を中国と共有すべき

―― これまで通産省地球環境問題担当審議官や、初代環境大臣等を歴任し、世界的視野で環境問題に取り組んで来られましたが、中国の大気汚染などの環境問題解決に向け、中日両国はどうような協力を進めていくべきと考えますか。

川口 日本には50年代後半から60年代の高度経済成長期に、経済発展を優先し環境保護を軽視したという失敗があります。現在中国も同じ状況にあります。対中支援の一環として、日本は北京に日中友好環境保全センターを設立し、そこでは大気中の汚染物質等の計測をはじめ幅広く活動しています。

70年代、日本は問題を認識し、三つの分野から環境問題に取り組みました。一つ目に研究開発、二つ目に規制の実施、三つ目に専門家の養成です。こうした日本の多方面での経験を参考・手本として中国に提供することができます。これらの技術、人材、政策等を中国と共有できるよう期待しています。

 

集団的自衛権は日本の「右傾化」を意味しない

―― 2014年、中日首脳会談が実現し、両国関係に改善の兆しが見えてきたとの報道もありますが、「第10回中日共同世論調査」によれば、両国民は相手国に対して良い感情を抱いていません。どのようにすれば中日両国の国民感情を改善できると考えますか。

川口 日中関係の改善も両国の国民感情の改善も、交流によるしかありません。両国には長い友好交流の歴史があります。1500年前、日本は中国から漢字、宗教、文化等を学び、それは近年の戦争が始まるまで続きました。1972年の国交正常化後にもかなり長い「ハネムーン期間」がありました。日本と中国は長い友好の歴史の中で相互に利益を享受してきました。

2007年、温家宝総理が訪日し、国会で演説を行いました。私は当時国会議員でしたので、直接演説を聴きました。温家宝総理は日本の第二次大戦後の行動を評価し、日中両国の友好関係を継続・強化していきたいと述べました。未来志向に富む演説だったと思います。中国の各界が当時の認識に立ち返ることを願います。

中国で投資している多くの日本企業の担当者から、中国の企業と日本企業の関係はうまくいっていると聞きます。両国は眼前の悪い事例ばかりに眼を向けるのではなく、視野を広くし、多面的に現状を把握し、バランス感覚を持って両国関係を見て欲しいと思います。

―― 一部政治家の言動と安倍政権の方針が、日中関係悪化の原因だとする報道や、メディアにも一部責任があるとの報道についてどう考えますか。

川口 私は安倍政権の対中政策が日中関係に影響しているとは思っていません。2000年から現在まで日本の対中政策はまったく変わっていません。例えば「村山談話」についても、小泉首相も安倍首相もこれまで否定も修正もしていません。

集団的自衛権については、今後国会で十分な議論が行われますが、内容をきちんと見てもらえれば、恐れているようなものではないことがわかります。すでに他国が容認している集団的自衛権を、今後日本も一部分のみに限定して容認したいとしているだけなのです。それによって、国家存亡の危機にある時に、より行動の幅が広がります。しかし、これは日本の「右傾化」を意味するものではありません。他国にとって当たり前のことの一部を可能にするだけです。

日中関係の悪化はメディアの報道傾向と大いに関係があると思います。70年代から80年代、日本とアメリカの関係も貿易摩擦で悪化した時があります。日本のメディアは「嫌米」という新語まで生み出しました。ところが、当時の日本人は報道されていたようにアメリカを嫌っていたのかと言うと、決してそうではありません。それは一時的なメディアの報道傾向でした。メディアのこのような偏った傾向を見過ごし放置した日本国民にもある程度の責任があります。

日本人も中国人もバランス感覚をもって問題と向き合い、明快な判断力をもって欲しいと思います。日本人にも中国人にもその知性、理性、良識があると信じています。

 

取材後記

女性官僚、女性大臣、女性取締役、女性教授、いずれの立場であれ即座に思い浮かぶのは「キャリアウーマン」という言葉であろう。四つの立場を歴任し、職務をこなしてきた川口順子氏であるが、全身から漂う上品な佇まいからは、いささかも猛者の風格を感じさせない。「中国には優秀な女性がたくさんいますね!」と、川口氏は自身の自慢の弟子である中国人女子留学生を紹介してくれた。

写真/本誌記者 張桐