石塚 勉 日本ホテルスクール校長
日中観光文化交流の促進を続けていきたい

「就職氷河期」といわれる昨今でも、43年連続で就職率100%を達成しているという学校がある。その学校は日本で唯一、ホテルによって作られた、ホテルマン育成の専門学校――日本ホテルスクールである。ここでは質の高い人材を養成し、関係各方面から高く評価されている。日本のホテル業界の中堅リーダーたちの大多数がこの学校の卒業生だといっても過言ではないだろう。2020年の東京オリンピックには訪日観光客が急増するだろう。同校は日本の未来の観光業の礎であり、その未来を左右する鍵を握る教育機関の代表格と言える。1月13日、同校を訪ね、石塚勉校長にお話をうかがった。

 

宿泊先と人手不足が五輪の二大課題

―― 観光業は既に今後の日本経済を支える重要な産業となっていますが、2020年東京オリンピックを控え、現時点ではホテルも人材も不足しています。この課題は解決できるのでしょうか。

石塚 この50年間に日本の社会環境は大きく変化したので、2020年の東京オリンピックは1964年の時とは大きな違いがあると思います。

1964年のオリンピック開催時には、日本はまさに高度成長初期にあり、これを契機に全国的なインフラ整備を行い、またオリンピック観戦のため、多くの家庭でテレビを購入した時代でした。現在、日本経済は既に成熟期、娯楽も多様化し、国民感情も変化していますので、東京オリンピックに対して当時ほどのインパクトは無いと思います。

ご指摘のとおり、東京オリンピック開催までに二つの大きな課題があります。まず、宿泊施設不足の解決です。現在、都内ホテルの稼働率はすでに90%以上。2020年、さらに5万人から10万人の観光客を迎えますので、ホテル不足の問題はかなり深刻になるでしょう。

業界では、超大型ホテルを建設すべきだとの声もありますが、私はそうは考えません。提案の一つは日本国内から3000人収容可能な豪華フェリーを10隻から15隻レンタルして東京湾に浮かべるということ、もう一つは開催地を分散し、地方都市に施設を建設して地方経済を活発化させることです。政府が法律を改正して一般家庭にホームスティできる方向で進めていますが、日本の狭い住宅事情から、収容力に疑問があります。

次に、人手不足の問題があります。日本の18歳人口は120万人前後、さらにサービス業は多くの若者が選ぶ職種でもないので、人手不足は深刻です。最良の解決策は、新たな法律を制定し、単純労働であっても、一定の基準を設けて、外国人を受け入れることだと思います。

 

43年連続で就職率100%を実現

―― 日本ホテルスクールは、国内唯一、ホテルの作った専門学校ですが、トップリーダーとなっている理由はどこにあるのでしょうか。また、中国の専門学校とは協定関係を結ばれていますか。

石塚 今年、創立44 年となります。これまでの卒業生総数は1万966名、43年間連続して就職率100%を達成してきました。このことは関係業界からの支援協力が得られたことを意味します。皆さんに心から感謝しています。

二番目は、学生がホテルビジネス実務検定、レストランサービス技能検定、ビジネス能力検定、TOEICなどの資格を取得できること、3回の有給実習を体験できること、2回の海外旅行で異文化体験ができること、毎年約30新卒者が海外で研修できること、そして1年間のカナダやオーストラリア短期留学が選択できること等々、時代や学生のニーズに応える努力をしてきた結果であると思っています。

三番目は、これまでに約50冊の書籍を独自に開発し、100以上の観光系大学や専門学校で教材として使用されていることです。こうした教材整備を図っている学校が少ないだけに、高く評価されている面があります。

さらに四番目として、ホテル経営者、管理職のための教育プログラムを開発、教育機会を提供していること、またホテルビジネス実務検定試験を開発、学生や業界人の学習目標が設定できるようにし、検定試験によりその成果を評価して、生涯教育につなげて行く環境を整備していることです。

本校は1985年から中国人留学生を受け入れました。2015年までに71名が卒業し、外国人留学生全体の19%を占めています。当初は様々な問題もあり、人数制限をしてきましたが、今では問題も解消されてきましたので、中国人の大学・専門学校との提携を拡大し、中国人留学生のも歓迎したいと考えています。

 
中国人留学生たちと記念撮影

観光PRはスローガンだけではだめ

―― 「観光立国」政策の推進、訪日外国人観光客の急速な増加に伴い、日本のホテルが国際化するだけではなく、伝統的な旅館も世界とリンクするよう努力する中、「日本旅館国際女将会」が設立されています。日本はどのように旅館を国際化しようとしているのでしょうか。日本旅館のトップはふつう女性で女将(おかみ)と呼ばれており、この光景も日本独特のものです。国際化の過程において女将はどのような役割を発揮できるのでしょうか。

石塚 私見では、日本旅館ほど、日本の伝統文化が総合的に集約されている場であり、庭園設計から、サービス、衣食住の全体に至るまで、和の芸術美を表しているものはありません。旅館は「ミニ日本」なのです。この点、おこがましくも、旅館を世界に知らしめなくてはとの使命感から、1995年に「日本旅館国際女将会」を設立し、以来15年間、「旅館とホテル文化の国際交流シリーズ」を開催、世界の主要都市を訪問し、PR活動をしたことがあります。

ご指摘のように、女将自身が日本固有の存在ですので、日本観光のPRでは和服姿の女将の力が威力を発揮します。プレスのカメラマンは、男性には目もくれないが、和服姿の女将には、驚くほどの興味関心を向けることが分かりました。テレビ、新聞、雑誌のカメラが女将を捉え、記事や画像で紹介してくれました。私たちは、「旅館と女将を世界の通用語に」とのスローガンを掲げ、政府機関、観光団体、企業等々からの協力を得て、15年間で17カ国60都市を訪問、合計約1200名を招待、約150点の記事掲載、TV出演45局という実績を残しました。費用負担も大きいので、現地イベントは割愛、「世界のホスピタリテイ体験ツアーシリーズ」と変更して、今もその趣旨を引き継いでいます。

実は、このような大規模な観光PR活動は、小さなグループではなく、本来政府や大きな業界団体が主導すべきこと。また観光PRは、スローガンだけではだめなので、諸外国で注目に値する、そして日本固有の「和服姿の女将」、「旅館」を多いに活用し、諸外国で交流の機会を増やすべきであると思っています。

 

和食はオリンピックで全世界を風靡

―― 日本はすでに成熟社会に突入しており、2020年の東京オリンピックは1964年の時のような大きなインパクトはないようです。しかし、日本の各界は5年後に飛躍があることを期待しています。石塚校長のご経験から、日本はどのような分野でオリンピックの追い風を受けることができると思われますか。

石塚 私個人としては、「日本料理、和食」が世界的に注目されると思います。既に世界各地で和食ブームが起きています。これまで36カ国を訪問しましたが、これらの国々では和食への評価が非常に高く、聞かれても応えられない恥辱を味わいました。私も含めて日本人はまだこの点の認識が低く、中国料理や西洋料理を崇拝していることに気づいたのです。

この傾向は、日本人としてはまずい、日本人が「和食」を理解し、その食文化に誇りを持ち、伝統を代々、そして内外に伝えていかなければならないと考えました。それで、私は4年前に「和食検定」を立上げ、そのテキストをつくり、検定試験を開始しました。2014年末「和食」は世界無形文化遺産に登録され、先見の明があると評価してくれます。これは私の初志ではなかったのですが、このような結果となったのは望外の喜びでした。

 

日中観光文化交流を促進し続けていく

―― 行かれた36カ国のなかに中国は含まれていますか。中国の印象はいかがでしょうか。

石塚 私の中国への初渡航は20数年前で、「世界の窓」というミニチュア観光地を見るため、香港から深?に入りました。そのギャップに仰天しましたが、今ではその差もなくなり、中国の日進月歩の変化は本当に喜ばしいことです。

2000年5月、当時の二階俊博運輸大臣が率いる日中観光文化交流使節団5200人の一員として、北京の人民大会堂に行きました。一度に5000人以上に着席で食事を出すことができるその規模の大きさに驚きました。

予想外のことでしたが、私は人民大会堂で当時の江沢民国家主席と胡錦涛副主席、国務院の銭其?副総理と唐家?外相の出席する交流会に参加することができました。帰国後、さらに感謝状も受け取りました。その感謝状はずっと私のオフィスで、私に日中観光文化交流を続けて促進するよううながしてくれています。

 

取材後記:

インタビュー終了後、石塚勉校長に恒例の揮毫をお願いしたところ、「努力」という二文字を書いてくださった。日本のホテル旅館業界の国際化、そして「和食」の世界文化遺産登録後の伝承にも寄与できる「和食検定」立上げの功労者を前にして、ある人が日本の有名大ホテルに入るといつも、ホテルの最高責任者がお辞儀をして迎えてくれると語っていたことを思い出した。何事もやり遂げようと思ったら、目の前の「努力」以外に方法はないのである。

写真/本誌記者 張桐