明石康 国際文化会館理事長、元国連事務次長
日本は平和を願うだけでなく創造すべき

明石康氏は現代の日本においては異彩を放つ外交家である。1954年に東京大学教養学部アメリカ学科を卒業しアメリカへ留学。57年、博士課程で学んでいるときに国連職員として採用され、それは、単に一留学生の運命を変えただけでなく、初の日本人国連職員の誕生となった。74年、氏は日本の外務省に入り国連事務を担当し、79年には国連事務次長となった。氏の海外における外交キャリアは四十余年になる。11月28日午後、明石氏のオフィスを訪ね、氏のことを「国際外交家」と表現すると、氏は笑いながら「国外に常駐するすべての外交家が『国際外交家』になるわけではありません。その多くが『ナショナリズム外交家』に変わります」と語った。そして、中国国務院新聞弁公室の蔡名照現主任と趙啓正元主任の二人とはとても親しく、お互いに本音の話ができる間柄だと嬉しそうに話した。安倍政権が提唱する「積極的平和主義」や憲法改正といったデリケートな問題に対する考え方を聞いた時、やはり、明石氏は日本社会では稀な「国際外交家」だと感じた。

 

日本は戦後の平和主義路線を堅持すべき

―― 1957年に、日本人として初めて国連職員に採用され、その後、国連事務次長として、国際舞台で紛争解決と和平に努めてこられました。近年、中国の台頭と米国の退潮というパワーシフトが進行するなかで、東アジアでは緊張が高まっています。今後、日本は世界の中でどのような「立ち位置」をとるべきでしょうか。

明石 明年は第二次世界大戦終結70周年です。日本が戦後とった路線は基本的に正しいと思います。すなわち、日本国憲法で謳われている平和主義路線を堅持してきたことです。しかし、多少の手直しは必要と考えます。

2007年に温家宝総理が来日し国会で講演を行ったときも、2008年に胡錦濤主席が来日し、『戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明』を発表した際も、日本の戦後の平和主義路線を肯定しました。

私自身も、第二次世界大戦終結以降、日本は完全に1945年以前の軍国主義、超国家主義、対外侵略等の路線に別れを告げたと認識しています。現在の日本が平和主義路線から外れて新たな発展路線を探ったり策定する必要はありませんが、日本の憲法はロマンティシズム的色彩も帯びています。例えば、第九条二項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」とあり、ここには、「アジアのスイス」になりたいという日本の戦後のロマンティシズムが反映されています。

確かに、スイスはヨーロッパの永世中立国で、如何なる国とも戦争をしていませんが、実際は一定の軍事力を保有しています。したがって、日本は平和主義路線を改める必要はありませんが、過度のロマンティシズムに陥ってもならず、一定の自衛力は持つべきと思います。

日中間には「不戦の誓い」があり、両国は問題を冷静に受け止め、もし中国が日本の言行に問題を感じたならば、日本は誠実、冷静、率直に中国と意見交換し、誤解を取り除く努力をしなくてはなりません。

 

日本は平和を願うだけでなく創造すべき

―― 安倍政権は「積極的平和主義」を外交スローガンに掲げています。これは具体的に何を指しているとお考えですか。

明石 私は一貫して、日本は平和を願っているだけではだめで、平和を創造し、平和的な外交関係を構築し、もっと世界平和に貢献すべきと主張してきました。これは、決して安倍総理が「積極的平和主義」を打ち出したから言っているのではなく、私自身のかねてからの主張です。私が各地の講演で強調しているのは、何もしゃべらないで何も行動しないで平和友好関係が築けると思うなということです。「棚からぼたもち」はないのです。より安定した強固な平和・友好関係を築くには双方の努力が必要です。

日本の経済力は世界第2位から第3位になり、今後第4位に落ちることがあるかもしれませんが、それを悲観する必要はありません。常に自国が何位かを気にするのは浅はかです。どの国にもその国の特色があり、それを活かせば異なった角度から世界平和に貢献できると思います。

力が強くなれば責任も大きくなります。中国が世界第3位から第2位になったことは喜ぶべきことですが、より大きな責任を負ったことになります。同時に中国を「脅威」と見る国もあります。ですから、中国は自身の言行をより内省し、他国にどう見られているかを考えて欲しいと思います。もちろん、過剰に気にするのはよくありませんが、一切意に介さないというのはだめです。日本も同様です。

 

中国の日本の常任理事国入り賛成を期待

―― 日本は常に国連安保理常任理事国入りのために努力しています。本年1月の安倍総理のアフリカ歴訪について、「国連安保理常任理事国入りを目指したアフリカ53カ国の票固め」との報道がありました。また、国連安保理常任理事国は「戦勝国クラブ」だから、日本とドイツは加入する資格がないとも言われます。理事長の考えをお聞かせください。

明石 国際情勢はめまぐるしく変化します。今は1945年当時とは異なります。発展途上国は増え、力も増しています。G7、G8、G20が組織され、世界のパワーバランスは絶えず変化しています。ですから、国連安保理もいつまでも1945年の国際情勢に留まってはいられません。

私は国連本部で働いている時、多くの事務総長を補佐してきましたが、第6代のブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長や第7代のコフィー・アナン事務総長も、日本やドイツのように国連の平和維持活動や発展途上国支援に大きく貢献し成果を収めている国は、常任理事国に加入すべきだと表明していました。

私も、日本は引き続き中国を説得すべきだと思っています。この問題について、中国が固定観念を捨てて、客観的に国際情勢を認識し柔軟性のある対応をすることを期待しています。

―― 現在、「新しい民間外交イニシアティブ実行委員会」の実行委員長を務めておられますが、民間外交の重要性について。特に、中日間の民間外交の課題は何だとお考えですか。

明石 現在、世界的に民間外交は非常に重要になってきています。民間外交は政府間の外交に取って代わるものではなく、補助的役割を果たすものと考えます。

北京でのAPECで、2年以上ぶりに安倍総理と習近平主席の首脳会談が実現しました。時間は短く、胸襟を開いた会談ではありませんでしたが、会わないよりは会った方が良い。しかし、ここでとどまるのではなく、具体的な成果を生み出してほしいと願っています。

実際、日本政府の意見と、多数の民間有識者の意見は対照的であり、その間にはズレがあります。中国も同じだと思います。中国は共産主義国家で、非民主的だという批判があります。しかし、私は、中国政府が独特の方法で民間の意見を受け入れることを知っています。例えば、習主席が安倍総理と会った時の表情には、民間の強硬派の意見が反映されています。そして、習主席が安倍総理に会うことを決めたのも、両国の関係を改善したいという民間の声があったからです。

政治家には政治家の責任とビジョンがあります。しかし、民間と協調し合い、自己の政策方針を修正する姿勢も大事です。現在、日中両国はこの方向で努力しており、この傾向はますます顕著になっています。これは大変喜ばしいことです。

 

民間交流の拡大は国民感情の改善に有益

―― 今年9月に日本の言論NPOが行った調査によると、9割の日本人が中国に対して良くない印象を持ち、9割近い中国人が日本に良くない印象を持っています。両国の国民感情はどうすれば改善できるとお考えですか。

明石 私はいつも、「輿論」と「世論」を区別して考えています。世論とは一般大衆の考えで、輿論は学者など有識者の考えです。いま、日中ともに7割以上の有識者が日中関係は思わしくないと感じていると同時に、両国の関係は非常に重要な二国間関係と認識しています。ですから、我々はメディアその他の影響を受け易い多勢の人たちの世論よりも、明晰な思考をもった7割の有識者の輿論に、より注視すべきです。

嬉しいことに、最近中国からの観光客が増えています。彼らは日本に買い物をしに来るだけでなく、自分の眼で日本を見て評価します。日本を訪問した中国人の多くが日本への認識を一変させたと聞いています。ですから、より多くの中国人が日本を訪問し、より多くの日本人が中国を訪問して、お互いをステレオタイプ化しないで先入観を払しょくしてほしいと思います。

日中両国の民間交流が拡大し、テレビ、雑誌、インターネットなどのメディアがもっと中立的な報道をすれば、両国の国民感情は改善すると信じます。お互いの国への理解が深まるほどに、国民感情も改善していくと思います。

 

中国の外交官の印象

―― 国連事務次長時代及び日本の外務省時代、多くの中国の国家指導者や外交官と接してこられたと思いますが、印象に残った人物やエピソードはありますか。

明石 国連で働いていた時も、その後、民間で活動していた時も、多くの中国の指導者、政治家、外交官、学者の方々と交流・協力ができたことはとても幸運でした。

かつて、UNTACで代表を務めさせていただきましたが、当時カンボジアには四大派閥があり、そのうちの三つの派閥は国連への協力に賛同してくれましたが、ポル・ポト派は非協力的でした。そのポル・ポト派が最も信頼していたのが中国政府でした。私は当時の中国外交部の銭其?部長や徐敦信副部長らと頻繁に会い、理解と協力を得ることができました。

かつて中国駐フィリピン大使、駐オーストラリア大使を務めた傅瑩氏は、当時の私の部下で、ポル・ポト派との交渉をサポートしてくれました。もし、中国政府と中国の方々の協力が無かったならば、国連のカンボジアでの18カ月にわたる平和維持活動を成し遂げることはできませんでした。

カンボジアでの国連平和維持活動を終えた後、国連事務総長特別代表として、旧ユーゴスラビアの平和維持活動の指揮を執りました。1999年、中国駐ユーゴスラビア大使館がNATOのアメリカB2爆撃機に空爆されて三名の死者が出ました。私は哀悼のために直ちに中国大使館を訪問し、記帳しましたが、空爆を受けたばかりで砲煙のにおいがたちこめていました。

カンボジアでの平和維持活動では何度も危機的状況に陥りましたが、国連にとって中国政府の協力を得られたことは本当に有難かったです。私個人としても、中国政府の理解はとても嬉しかったです。このように、身をもって経験しましたので、日本と中国の未来は友好的で実り豊かなものと信じています。

 

取材後記

インタビューを終え、いつものように氏に揮毫をお願いすると、「字が下手で苦手なんですけれど」と言いながらサインペンを取ると、「眼は遠くを、足は地に」と記した。そして記者を玄関まで見送ってくださり、「半年も前に取材のお約束をしておきながら、こんなに遅くなってしまい本当にすみませんでした」と謙虚に言われ、恐縮した。

写真/本誌記者 張桐