武田 鉄矢 俳優
中国の若者もかつて「坂本龍馬」に涙

中国の60年代、70年代生まれの間で、最もよく知られている日本の映画と言えば、『幸せの黄色いハンカチ』だろう。日本では「昭和の記憶」に、『101回目のプロポーズ』を欠くことはできない。この伝説のドラマで、ある役者が、平凡ながら精彩を放つ善良な日本の好青年の姿を好演した。彼こそ、日本の著名な歌手であり俳優の武田鉄矢氏である。彼は中年期になって、テレビドラマ『3年B組金八先生』に出演し、仕事は絶頂期を迎える。彼は「金八先生」と親しまれたが、こんな現象は日本の業界でも珍しい。人生を説く人として、彼の心中には、彼が愛してやまない坂本龍馬がいる。武田氏は坂本龍馬こそが彼の思う「日本人像」なのだと話す。中日の国交が回復する頃、日本を訪れた中国の一女性が坂本龍馬像に涙したという。10月30日、東京の武田鉄矢事務所を訪れ、中日文化交流等について話をうかがった。

 

20年後の「プロポーズ」

―― 90年代伝説の大ヒットドラマ『101回目のプロポーズ』が今年、中日合作映画としてリメイクされ、中国で大ヒットしました。原作の20年後の設定だそうですが、ご自身も出演されていますね。率直な感想はいかがですか。

武田 一言で言うと嬉しいです。日本人も中国人も同じ物語で泣いたり笑ったりできるアジア人なんですね。20年前、ドラマは台湾やインドシナ半島、ベトナムなどでも好評でした。ドラマの中にアジア的なものがあるのだと思います。西洋だと「美女と野獣」ですが、アジアだと格好悪い男と絶世の美女というのは、おとぎ話にもあるパターンで、それがアジア地域で支持されている理由だと思います。

この物語は異国の人の手によって作り直されるほど素敵な物語なんだという証明になればいいなと思っています。主人公のホアン・ボー(黄渤)君は、よく働く青年の風貌で、あの朴訥さは日本人にも十分にアピールできます。リン・チーリン(林志玲)さんの美貌はまさに神の領域です。『項羽と劉邦』に登場する虞美人ってこういう人だったんだろうというイメージでしたね。中国のプロデューサーのケイ(桂延文)君に「俺なんかが唐突に出て来て中国のお客様に戸惑いはなかった?」と聞くと、「そんなことはありません。観客の半分は20年前に『101回目のプロポーズ』を観た人たちで、あなたが出てきたことで安心して観ていましたよ」とおっしゃってくださいました。リンさんからは「男性一人で観に来た人は『よーし、恋人つくるぞ』という感じで、カップルは一層肩を寄せ合って出て行くんですよ」と興奮気味に聞かされ、ありがたい反応だと思いました。彼女自身、高校生の頃、ドラマの日本語版を見ていたらしく、「武田さんは昔、私のアイドルでした」と言われたのにはびっくりしました。

 

理想の「日本人像」とは

―― 明治維新の志士である坂本龍馬を愛してやまない武田さんは、龍馬を題材にしたマンガも書かれています。坂本龍馬が追求した日本人像とはどのようなものだったのでしょうか。

武田 高知の桂浜には坂本龍馬の銅像が建っています。70年代初め、日中の国交が回復する頃、中国から青年代表団が来日し、桂浜に行きたいと希望しました。彼らが銅像の前に立った時、一人の女性団員が龍馬像を見上げて泣いたんだそうです。作家の司馬遼太郎さんがこの話を自身のエッセイの中に書いています。

アジアの片隅の日本というちっぽけな島で「サムライ」と呼ばれた人たちが、アジアで初めて近代化に乗り出します。間違いなく坂本龍馬はその先頭にいるわけです。しかし、30代あたまで暗殺されてしまう。司馬遼太郎は、この女性はそれを哀れと思って泣いたのだろうと言っています。坂本龍馬に対し「あなたの青春は中国人が泣いてくれるくらい価値があったのですよ」と書いたわけです。この話が大好きなんです。

「極東」と呼ばれるようなアジアの隅っこに住んでいる日本人が、アジアの中心に住んでいる中華民族の青年を感動せしむるところが日本人の価値ではないかという気がするんです。坂本龍馬がすごいのは、どんな人からも学ぶところです。自身の未来への情報をくれる人なら敵も味方も一切問わない。坂本龍馬のこのスタイルが、追求すべき日本人像ではないかと思います。

また、中国から青年が日本に学びに来ると、境遇が気の毒だと泣く日本人も必ずいます。人を選ばず話を聞いて、気の毒だったら一緒に泣いてあげる、そして出来る限りのことをしてあげる。そこにしか日本の国の価値はないような気がするんです。そのことを胸の一番奥底に秘めることが大事で、またそれができるのも日本人なんです。このような、坂本龍馬に涙したという中国人が一人いればいいんです。彼女の姿が目に浮かびます。その一人が、日本人全体へと広がっていく原動力になります。

 

漢字は日中文化交流の源

―― 武田さんは中国でも非常に人気があります。多くの人が武田さんの歌や出演作品に触れています。これまで中国には何回くらい行かれ、どのような印象をお持ちですか。また、アジアにおける中日文化交流の重要性についてどのようにお考えでしょうか。

武田 文化交流の必要性を強く感じます。私の夢の一つは、漢字の語源を中国に訪ねて行きたいということです。古代漢字学で著名な漢文学者の白川静博士の説なんですが、漢字は貴重なものには貝偏が付きます。「貨幣」の貝です。ところが、あの貝は中国沿海では採れないそうです。あれは沖縄諸島の小安貝(こやすがい)らしいんです。殷の人たちは沖縄諸島までその貴重な貝を採りに来て持ち帰り、貨幣として使ったんですね。あるいは沖縄の人たちが殷の文化に混じり込んだのかもしれません。その頃は国境が無いんです。漢字を作ったであろう殷の文化は、広くアジア全体の文化を吸い上げて成立し、そこからスタートしたと言われています。

私は、中国人、韓国人、日本人と区別するよりも「アジア人」になりたいと思うんです。比喩的な表現かもしれませんが、沖縄周辺で貝を採る人として役に立てればそれで十分だと思っています。皆がそういう考えになれば、文化交流はうまくいくと思うんです。

これまで中国には4回行きました。初めて行ったのは30代の時で、北京郊外の周口店に北京原人の遺跡を訪ねました。二度目はテレビ番組の収録で、1カ月間シルクロードを歩きました。日本人はシルクロードが大好きなんですよ。タクラマカン砂漠の火焔山を見て、『西遊記』の物語を思い出して泣いたのを覚えています。三度目と四度目は上海で、今回は『101回目のプロポーズ』の映画のロケでした。行くたびに中国人の友人ができますし、素晴らしい人ばかりで、彼らの中国的教養に触れるのがとても楽しみなんです。

 

交流なくして理解なし

―― 昨年来、中日関係は歴史認識や小さな島の問題で芳しくありません。両国民は如何に交流を深め、相互理解を進めていくべきとお考えですか。

武田 両国の民間交流の最良の方法は、「中国の良い人」と「日本の良い人」が心を開いて語り合うことですね。解り合おうとしなくていいんです。語り合えばいいんです。『101回目のプロポーズ』のプロデューサーのケイ君が教えてくれたのですが、彼の故郷の洛陽で、日本からの漢学者を案内して遺跡めぐりをした時、その方の漢字に対する情熱に触れて、自国の文化である漢字に二度惚れしたそうです。その遺跡を私と一緒に見に行きたいと言われて、本当に嬉しかったですね。

領土問題とか民族問題は一旦横に置いておいて、まず語り合うことです。そうするといくつもの話題が出てきて、自然と理解が深まります。常に領土問題のことを考えて獣を観察するような眼で向き合っていたのでは、永遠に理解し合うことはできません。力を抜いて、まずリラックスする話から始めてみてはいかがでしょうか。そんな日中の関係を望んでいます。

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取材後記:武田鉄矢氏の早期の音楽作品を聴いたことのある人なら、皆知っているが、彼は小さい頃から平凡な普通の子どもで、学業も芳しくはなかった。彼は歌詞の中で、自分は母親にとって、ただの「バカ息子」だと歌っている。しかし、事を成した今でも武田氏の心中深くには母への愛があり、自身に対する強い信念がある。武田氏のような日本人がきっと中国人のために涙するのだろう。