園田 天光光 女性初の衆議院議員
「日中関係の将来を悲観していない」

東京の実業家の長女で、明治の歴史を好きな父親が、時代を切りひらき世の中の光になるような人物になってほしいという願いをこめて、「天光光」という個性的な名前をつけたという。波瀾に満ちた人生で、27歳で日本初の女性衆議院議員となり、30歳の時には有望な若手議員・園田直と「白亜の恋」に落ちた。59歳の時、全力で支えた外務大臣であった夫は、中国で『中日平和友好条約』を締結。今年は『中日平和友好条約』が締結されて35年の佳節である。94歳というご高齢の園田天光光氏は、日本ではその時代の生き証人だ。記者が訪問した時、和服姿で穏やかな表情をし、迎えて下さった。

 

 

両国の友好史を書き続ける

―― 中日の国交が正常化されてから40年になります。昨年9月の島の「国有化」は両国関係を急激に悪化させ、最悪の事態になっていますが、中日関係をどうみていますか。

園田 様々な意見がありますが、中国と日本の心は離れたことがないと私は思っています。これは生来の隣人としての道義です。互いの気持ちは通じるところがあるので、私は日中関係の将来を心配していません。どんな問題が起きても、両国の人々の信念は同じだと信じています。

国と国の交流は、実際には人と人の交流です。人と人の往来にはどんな時でも、問題がついてくるものです。

いま日中関係に大きな問題があると考えられています。でも、夫の園田直(1913‐1984)が外務大臣として、中国と『日中平和友好条約』を結んだ時は、もっと大きな問題や反対がありました。それは、いまと比べられないほどです。

私たちは隣国として、両国の先輩たちが築いてきた平和を受け継いできました。強い信念を持ち続け、何が起きてもこうした絆を断たなければ、互いに知恵を出し合って、共に両国の友好史を書き続けていくことができます。

大事なことは、『日中平和友好条約』を一貫して守るという覚悟です。第二次大戦後、両国の人々は様々な手段で慎重に模索しながら、ついに1978年に実を結んだのです。

 

心からの交流が大切

―― いまのところ、中日首脳会談が開かれる気配はありません。しかしながら、中日両国の平和は、アジアの平和に密接に関連しています。今後、中日関係をどう改善すべきだと思われますか。

園田 相手に心を開くことです。それはうわべだけでなく、真心で交流することです。このことが何より大事だと思います。

園田は政治家として、最大の願いの一つは中国と『日中平和条約』を締結することでした。第二次大戦の時に、旧陸軍の大尉を務め、特攻隊の作戦を統率するように命じられました。ですから、隣国の人々と殺しあい、貴重な若い命が紙切れのように散っていく空しさを、夫は体験したのです。そこで、日中関係の改善を政治生涯の使命にしようと決意しました。

日本と中国は隣国とはいえ、歴史、文化、風土、気候、国情などが違います。これはお隣の家どうしが、違う家族でも、仲良くしなければならないのと同じです。ですから、どうしたら隣人と仲良くしていけるかを考えなければなりません。

これは自分の価値観を相手に押しつけてできることではなく、互いの文化を尊重しなければなりません。それから、何が起きても友好を守るという決意も必要です。

 

「別れの水盃」を交わす

―― 今年は『中日平和友好条約』締結35周年です。ご主人の園田先生は外務大臣として、命の危険をおかして締結式に出席されたそうですね。当時のエピソードをお聞かせください。

園田 先ほども話しましたが、日中の友好往来の回復は、園田直の政治家としての最大の願いでした。1972年に両国の国交が回復して、1978年に締結される『日中平和友好条約』の基礎となりました。

時の首相、福田赳夫氏から外務大臣の園田直、また関係閣僚たちが、反対派の政治家たちに次々と電話をかけて、最後は説得したのです。

その頃、夫は家に帰っても一言も話そうとせず、体中の神経が張りつめていましたね。中国との交渉に出発する日の朝、まず水風呂に入り身を清め、記者に話をした後、私と「別れの水盃」を交わしました。その時、命がけで中国と条約を結ぼうとする夫の固い決意を感じました。

 

安倍氏は隣国の中国を重視

―― 「平和の実現には政治だけでなく文化交流も必要だ」と言われていますね。日本初の女性国会議員として、今の日本の政治をどう見ていますか。

園田 私は条約の締結式には出席していませんが、その後、中国に招かれて、鄧小平先生にお会いしました。「当時、園田先生と私は一枚の紙も持たないで、条約締結の部屋に入ったのです。それは外交交渉をするのではなく、同じ政治家として、いかに中日両国の人民をより幸福にするかを話し合うためでしたから。こうして、この条約は結ばれたのです」と私に話してくださいました。

政治家同士の話し合いは必要ですが、それだけでは不充分です。両国の国民の相互的な努力が必要で、できることを一つ一つ行い、それを続けていくことです。

長年の私の願いは、世界の子供たちが理解しあう交流の場として、「世界平和大使人形の館」を設立することです。それが今年の11月に、園田の故郷である熊本県天草市で実現します。

文化、経済、スポーツなどの交流によって、人と人との心が通いあいます。そうすれば、何か障がいが生じても、迂回して前進する方法を見つけることができ、交流のパワーが中断されることは絶対にないでしょう。これはとても重要なことです。

安倍首相は中国は非常に重要な隣国だと考えています。ですから、日中は両国のためだけでなく、アジアや世界のためにも、手を取り合って良好な関係を保たなければなりません。

 

高齢の秘訣は

相手の長所を考えること

―― 94歳というご高齢ですが、各界で活躍され、著作もたくさんございます。お元気の秘訣は何ですか。

園田 私の元気の秘訣は、マイナス面を考えずに「ポジティブなエネルギー」を維持することです。人とおつきあいする時も、相手の方の長所だけをみて、欠点は考えないようにしています。誰でも良いところはあるもので、こういうふうにおつき合いすれば、悪い人はいませんし、とてもいいつき合いができるのです。

 

取材後記:取材が終わってからも、園田先生の笑顔が記者の頭に焼き付いて離れなかった。94歳というご高齢にも関わらず、日本の各界で活躍され、10枚ほどの異なる名刺をもっている。記者に、「感謝」という言葉を揮毫してくださった。先生の目には相手の長所だけが写っているようで、お会いしていても自然体でとても気持ちがよかった。中国と日本の関係も、こういう境地に立てることを願っている。