寺崎 修 武蔵野大学学長
外交だけでは発展しない日中関係

中国の清朝とほぼ同時代であった江戸時代、日本の多くの寺の中には子弟教育の場である寺子屋があった。明治維新前には日本全国に1万5000カ所の寺子屋があり、日本人の就学率と識字率を大きく上昇させた。ここからユニセフの識字教育運動は、「世界寺子屋運動」(World Terakoya Movement)と名付けられた。1868年の明治維新以降、日本は西洋の学年制を採用し、寺子屋は次第に歴史の舞台から姿を消していった。しかし、寺が学校を運営するという教育の伝統は今も生きている。武蔵野大学は仏教精神を根幹とした人格育成を行う大学である。6月25日、武蔵野大学有明キャンパスを訪ね、寺崎修学長に話を伺った。

 

 

関東大震災被災者のための

病院から大学へ

―― さきほど、キャンパス内で「聖語板」を拝見しました。書いてあるのは仏教の教義のようでした。武蔵野大学はどのような特色を持っていますか。

寺崎 本学は1924年の創立です。1923年9月に発生した関東大震災の被災負傷者を救済するため、日本赤十字社は築地本願寺内の敷地を借りて、臨時の病院を建設しました。負傷者救済が一段落した後、臨時の病棟を利用して、東京大学の高楠順次郎先生が中心となって、本学の前身である武蔵野女子学院が設立されました。その後、親鸞聖人以来の歴代住職を務めてきた大谷家が武蔵野の地に3万坪の敷地を学校に提供してくれました。

しかし1998年まで本学は文学部だけの単科女子大学でした。このままでは少子化時代を乗り越えられないと考えた経営陣は、15年間で7つの学部を創設、男女共学の総合大学としたのです。大学の発展に伴い、2012年には東京の有明にキャンパスを増設しました。武蔵野大学は伝承と変革の中で拡大しつづけている、歴史のある大学です。

 

独特の競争力を

持つ専攻の新設

―― 日本では、法科大学院修了の学生たちの就職難が報道されていますが、武蔵野大学では2014年に政治経済学部を法学部と経済学部の2学部にすることを決められました。なぜこの時期にそのような選択をされたのですか。

寺崎 理由は主に3つあります。まず、この10年来、日本の各大学では雨後のタケノコのように国際、コミュニケーションなどの学部が設立されましたが、経済学部や法学部などのオーソドックスな学部の創設はほとんどありませんでした。そこで、本学では日本の著名な先生方に来ていただき、本格的な法学、経済学、経営学の教育と研究を行います。

次に、毎年政治経済学部への受験者が多いので、学生たちの需要を満たし、学部を改善するためにも、この学部を二つに分ける必要がありました。

最後に、従来本学では既存の総合大学にない特徴ある学部を作って、独自の競争力を強化してきましたが、本格的な総合大学に脱皮するためにはどうしても法学部と経済学部の創設が必要でした。

 

日本には政客しかいない

―― 現在の日本の若者は政治に無関心のようですが、日本の政治史、政治思想史の学者として、この社会現象をどのようにご覧になりますか。

寺崎 どの国でもどの学校でも、政治学が必要な学問であることは間違いありません。若者は英国の政治家ジョン・ロックや思想家のデイヴィッド・ヒュームの古典を学ぶことで理論的基礎を作り、それぞれが独立して思考すべきだと思います。政治をする人は、イタリアの思想家マキャベリの理論体系を学ばなければなりません。しかし、現在の日本の政治家は、基礎や系統的な理論知識がなく、ただ好きなように意見を発表しています。厳密に言えば、彼らは政客であり、政治家とはいえません。

話を元に戻しますと、日本では明治維新のころの知識人が提唱した政治理念が130年たってもまだ実現されていないのです。福沢諭吉は、地方分権と英国式議院内閣制の採用を主張しました。1881年、大隈重信、伊藤博文、井上馨などみな福沢諭吉と同意見で、英国式の議院内閣制を採用すべきだと考えていました。しかし、最終的には突然ドイツ式になってしまい、第二次世界大戦後にやっと英国式の議院内閣制に変わりました。さらに福沢諭吉の主張していた、健全に政権交代する二大政党制は、今日の日本ではまだ実現されていません。

本学の卒業生は努力して、社会を前に引っ張っていくリーダー的人材にならなければなりません。ですから、本学に誕生する法学部と経済学部は「ビジネス社会の最前線で役立つ力」を養うことをめざします。例えば法学部では従来の六法重視の教育ではなく、実社会で最も必要な私法関係のカリキュラムを充実させています。

 

留学生はすべて優等生

―― 現在、日本の各大学では積極的に留学生を受けて入れています。武蔵野大学は中国人留学生受け入れや、中国の大学との交流分野でどのような成果を上げていますか。

寺崎 現在本学には約400名の留学生がいます。グローバル社会の到来を予測し、以前から日本語教育に力を入れてきました。また世界各国の日本語の先生方と頻繁に教育交流を行ってきました。

現在本学は中国海洋大学(元青島海洋大学)、天津外国語大学、広東外語外貿大学など7大学と交流協定を結んでいます。天津外国語大学は日本語教育に熱心で、修剛学長は中国日本語教育研究会の会長です。

このほか、中国の仏教学関連の先生方や学生とさまざまな交流を行っています。中国人民大学の博士課程の学生も、本学の中国仏教学研究の専門家である西本照真教授のもとで学びたいと希望したのですが、その時本学と中国人民大学との間ではまだ学術協定を締結していませんでした。すると中国人民大学はその学生の要望に応えるため、本学と学術協定を締結し、学生の交流を行いたいと申し出てきました。学生のためという発想ができる、という点について、私は中国人民大学に敬服しました。この精神は見習わなければなりません。

現在、日本の多くの大学は学生確保のために、大勢の留学生を受け入れています。しかし、本学は他大学とは違い、優秀な学生しか入学させません。そして、卒業時には母国語以外に二つの外国語をマスターしていることを求めています。これは卒業生の就職にも非常に有利です。現在、グローバル・コミュニケーション学部の学生の三分の一は留学生ですが、中国人留学生は、優秀な人たちばかりです。

 

中国の博物館巡りが夢

―― 現在、日中関係はまだ緊張した状態ですが、今後どのように改善すべきだとお考えですか。また、中国の印象はいかがですか。

寺崎 福沢諭吉は「独立して孤立せず」という言葉を残しました。日中関係を発展させるには、現在のように外交問題だけに論点が集中してしまうと、日中両国のお互いに対する不満が高まり、両国の国民間の怒りが増すばかりです。これは良くないと思います。日中両国はゆっくり時間をかけて、短絡的ではなく長期的な視点で日中関係を議論すべきだと思います。

私は家族を連れて3回中国を訪れました。それぞれ西安、洛陽、敦煌を回りました。中国の大都市も繁栄していて魅力がありますが、私は中国の歴史遺跡が大好きで、特に中国の各王朝の銅鏡に関心があります。私の夢は、中国中の博物館を巡ることです。