石川 好 作家
島しょ問題の解決は日中の知恵比べ

2008年、『漫画家たちの8.15』が中国で出版された。戦後、漫画家たちが中国大陸で過ごした幼年時代や、1945年8月15日の日本の様子を豊富なマンガ絵で描いたものだ。中国人民抗日戦争勝利64周年記念の2009年8月15日、侵略戦争という歴史に目を向け、中日の平和を願うマンガ展――「日本の100人の漫画家が描いた8.15漫画展」が南京大虐殺記念館で開幕した。2012年にも日中国交正常化40周年を記念し、中国人民抗日戦争記念館主催で同漫画展が特別展示として開催された。これら一連の活動は、長年中日友好事業に身を捧げてきたある人物の尽力によるものだ。その人こそ、前新日中友好21世紀委員会委員で、日本の著名な作家・評論家の石川好先生である。7月31日、氏はインタビューに答えて、「日中の相互認識の問題で一番大きな問題は歴史認識であり、正しい歴史認識は一つしかない。あの中日15年戦争に限っては日本が起こした侵略戦争だ」と語った。

 

“天命を知る”

50歳にして中国と出会う

―― 新日中友好21世紀委員会の委員等を歴任され、中国に多くの人脈をお持ちですが、中国に関わるようになったのはいつからですか。

石川 私は高校卒業後、18歳の時に移民としてアメリカに渡りました。5年間働いて帰国し、後に作家としてアメリカのことを書くようになりました。ところが、50歳になる直前、隣の中国のことを何も知らないという自覚のもと、中国を旅行しました。さすが大国だと感じました。その後、新日中友好21世紀委員会に加わり、後に人民日報社の社長になる王晨氏や孫東民など人民日報社の人たちと知り合い、歴代の社長さんとも知己を得ました。

 

あの戦争は間違いなく

侵略戦争

―― 現在、歴史認識の問題や島しょ問題で日中関係は芳しくありません。中日の相互認識の問題をどうお考えでしょうか。

石川 一番大きな問題は歴史認識です。あの中日15年戦争に限って言えば間違いなく侵略戦争だったということです。宣戦布告もなしに日本軍がどんどん中国に攻め入ってきた。大多数の日本人はこのことを認めていますが、そう思わない人もいます。そういう人たちの存在によって、中国側からすれば日本は認めていないということになる。不幸なことです。島しょ問題も日本は国際法上根拠があると言う。しかし、日本に領土編入したのは日清戦争中に清国が知らない間に編入した、そんなことは認められないと中国側は主張する。だから難しいのです。ここをお互いに理解して話を進めないといけない。小さな島の問題でGDP世界2位の中国と3位の日本が口もきけない関係というのは、世界的に見ても恥ずかしい話です。

 

島しょ問題の解決は

日中の知恵比べ

―― では、今後、日本は中国とどう付き合っていけばよいのでしょうか。

石川 島の問題にどう対処すればよいかという点においては、鄧小平が言ったように後世の知恵ということになりますが、今となっては「棚上げ」という言葉も使えませんから、双方が納得のいくような全く違った新しいことを考えなければなりません。双方の知恵比べです。

実例を挙げると香港返還です。返還が迫り、サッチャーは返したくなかった。鄧小平にしてみればどうしても返してもらいたいが、香港が中国に返ってきても巨大な資本はすべて逃げてしまう。ではどうするか。そこで、鄧小平は未だかつてない「一国二制度」を思いついたのです。50年間の間に、中国政府は深?に香港と同様のモデル地区をつくり、香港に集まった資本や情報を深?で吸収していくことを考えたわけです。中国はこれを成功させました。これが知恵だと思うのです。

鄧小平が言った「棚上げ論」とは、お互いの信頼関係の上に知恵を出し合いましょうという考えだったと思うのです。ところが、中国の漁船と海上保安庁の巡視船がぶつかる事件が発生し、日本は漁民を逮捕した。知恵を出し合うという基礎が築けないまま、島しょ問題は悪化の一途を辿ってしまいました。

 

日本の対中外交は50点

―― 昨今、中日交流のチャンネルが少なくなっています。日本の政治家は握手をして記念撮影するためだけに中国の要人と会っているなどの批判があります。日本の政治家の対中外交に点をつければ何点でしょう。

石川 50点ですね。靖国参拝や島しょ問題、ギョーザ事件などで、反日反中感情を引き起こしましたが、国交正常化以来、貿易など経済関係は築かれてきました。そういう意味で50点です。もっとうまくやれたはずだという意味でマイナス50点です。

 

継続的な青年交流が大切

―― 民間人として、これまで両国の橋渡し役を果たしてこられました。民間交流の重要性についてどのようにお考えですか。

石川 私は文化人として様々な交流をやってきました。日本の有名な漫画家を連れて、中国の有名大学をいくつも訪問しました。中国には将来漫画家になりたいと思っている学生がたくさんいます。彼らの大歓迎を受けました。

また、中国からも日本に多くの青年を招きました。しかし、13億の人口から見ればほんのわずかにしか過ぎません。今後も交流を続けていこうと思っています。青年の交流が最も大事です。もし今後、日中両国の青年が双方の国には行きたくないということになれば、歴史問題、領土問題を上回る大問題です。日中間にどんな問題が起きても絶えず青年交流を続けるしかないと思っています。

 

20数年の空白が

日中関係を疎遠に

―― 18歳でアメリカに渡り、その後幅広いテーマで作家・評論活動をされていますね。国際社会では、日本人は隣国中国よりもアメリカに親近感を持っていると見られています。それはなぜでしょうか。

石川 理由は二つ考えられます。一つは、第二次大戦後のアメリカによる日本の占領政策が功を奏したことです。飢えた日本人にチョコレートを配ったり、アメリアは民主主義の国だから言論は自由で、経済も豊かですよと教えていった。そして、アメリカ政府は様々な奨学金を出して、若い日本人学生をどんどんアメリカに招きました。実際のアメリカの生活を経験させたのです。こうして、敗戦後の日本はアメリカに一種の憧れを抱くようになっていったのです。

もう一つは、戦争が終結した時、日本人には“我々日本人はアメリカに戦争で負けた。一方で中国には酷いことをしてきた”という認識があった。戦後、中国は政治体制が変わり中華人民共和国になった。社会主義国家になった中国と日本の往来は、戦争終結から国交が正常化するまでの27年間断絶してしまったのです。

20年以上も日本人は中国の事情を一切知らずにきたのです。中国から引き上げてきた日本人も自身の体験を胸に秘めて、中国大陸で何をやったかということも教えない。こうして、中国と日本の距離はどんどん広がっていったのです。

他方、アメリカと日本は、人やビジネスの交流を深め、日本はアメリカ一辺倒になっていった。日中間の20数年という空白はあまりにも長すぎた。このことが日中関係の一番の悲劇だと思います。もし、当時、中国の生の情報が日本に入ってきていれば、今の状況とは変わっていたと思います。

 

両国国民の相互理解

こそが真の和解

―― 『日本の100人の漫画家が描いた8.15』に続いて、最近、『漫画家たちの「8.15」』を出版されましたが、その目的と意義についてお聞かせください。

石川 中国は歴史教育を重んじる国ですから、日中戦争(中国では抗日戦争)の傷痕を後世に残すために、南京、瀋陽など各地に抗日戦争記念館をつくっています。

中国を旅して気付いたことがありました。それは、ほとんどの中国人が日本の民衆があの戦争をどう感じていたかを知らないということです。ですから、両国が民衆レベルで理解し合ってはじめて、真に和解できるのだろうと思います。戦争で最も傷付き最も苦しむのは、常に民衆です。周恩来総理は「中日両国人民はともに日本軍国主義の犠牲者である」と言いました。ゆえに日本に戦争賠償を求めなかったのです。

私は日本の漫画家の作品を通して、彼らの戦争体験や、日本の民衆が戦争中に何を考え何をしていたのか伝えたいと思い、人民日報社に相談したのです。そうして、人民日報社から中国語版の本が出版されました。

その『日本の100人の漫画家が描いた8.15』を携えて、南京大虐殺記念館へ出向き、「戦時下における日本人民衆の姿も知って欲しいので、南京でこそ展示会を開催して欲しい」と館長に言いました。すると、館長も「その通りだ。是非やりましょう」と言ってくださったのです。漫画展には、1年間で240万人以上の見学者がありました。これは記録的数字です。

そこでは「戦争には勝者も敗者もなく、いるのは被害者だけなのですね」という感想が大半でした。9割は日本の民衆に理解を寄せる内容で、「中国は日本の侵略によって甚大な損失と不幸を被ったのだから、原子爆弾を落とされて当然だ」という内容のものを含めると、展覧会を批判するものも1割はありました。

 

日中で認識が違う靖国参拝

―― 靖国神社参拝についてはどうお考えですか。

石川 日本と中国の間に考え方のギャップがあります。中国側から見れば、中日双方の民衆に多大な被害を与えた指導者を祀ってある所へ参拝するのは、中国の民衆の心を傷つけることだという論理になります。しかし、日本人には良い人も悪い人も死んだら皆拝むという習慣があります。しかも時期が悪い。終戦記念日の8月15日はお盆の時期で、普段、宗教心のない人でもお墓参りをしたり、神社に参拝するのです。ですから、多くの日本人は日本の総理大臣が戦争で死んだ人を拝んで何が悪いのか、となるのです。

 

何が悪いのか

中国はなぜ反対するのか

―― 靖国神社だけでなく、長野県の善光寺にある忠霊殿にも240万の英霊が祀られています。日本の政治家はなぜ靖国神社にのみ行くのですか。

石川 戦時中、「死んだら靖国で会おう」という言葉が作られました。特攻隊に息子を送り出す両親に、「私はどこで死ぬかわかりませんが、私の霊は靖国に戻りますから、お父さんお母さん、私を靖国に訪ねて来てください」と言い残して青年たちは戦争に行ったのです。決して政治レベルではなく、民間レベルの親子の会話だったのです。だから、子どもに会いに靖国に参拝に行くのです。日本の民衆は決して反中国ではありません。息子に会うために靖国に行くことに対して、なぜ文句を言うのかという気持ちになるのです。

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インタビューを終えて、石川好氏に記念の揮毫をお願いすると、「そういうことはどうも苦手で」と断られた。自著にサインを、とお願いすると、気持ちよく書いてくださった。日本の文化人や政治家といっても人それぞれのようだ。氏は嬉しそうに、中国の政府要人や文化人と写ったアルバムを取り出し見せてくださった。中にはともに温泉に浸かっている写真もあり、氏は意味深長に語られた。「日本と中国もこういうフランクな交流をすべきでしょう!」。

 

 

  <PROFILE>

石川好(いしかわ・よしみ)

作家・評論家。1947年伊豆大島生まれ。65年に渡米し、カリフォルニア州の農園で4年間働く。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。89年、『ストロベリー・ロード』で第20回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2003年から2008年まで「新日中友好21世紀委員会」日本側委員。現在は酒田市美術館館長。近著に『漫画家たちの「8・15」』(潮出版社)がある。