梶谷 誠 電気通信大学長
日本と中国の技術は「まねること」から始まる

日本には「電気」と「通信」と「情報」の教育研究に特徴を持つ長い歴史を有する大学がある。理工系の専門性の高い技術系人材を育成するユニークな大学で、日本初のGPSカーナビゲーション・システムや、中国人が博覧会で初めて見た楽器を演奏するロボットなどは、この学校の卒業生の制作だ。学長の梶谷誠氏は、1980年代に成都で「日中機械電子学シンポジウム」を開催してから20年以上にわたって、日中の機械電子の交流を続けている。取材中に、中国が日本の技術を模倣しているという話に及んだとき、梶谷氏は「技術は『まねること』からスタートする。日本も当時はそうでした」と率直に語ってくれた。

 

 

企業、役所、大学が三位一体で博士を育成

―― 日本の博士課程は危機に直面していると指摘されていますが、どういう危機ですか。また、「産学官」が連携して博士を育成するべきだと主張されていますね。

梶谷 これまでは大学で一所懸命に勉強をして、博士号を取得すると母校で職に就くか、国立の研究機関に入ったりしました。しかし、日本の大学教員のポストは減少し、国立研究機関の募集定員も少なくなっています。博士号を取得しても仕事がみつからないのです。これが私の主張する「危機」で、新しい社会問題となっています。

その結果、仕事に就けないので、博士号を取得しようとする人材が少なくなってきています。しかし、国にとってみると、やはり博士号を取得できる人材が必要です。諸外国では、大学や研究機関に限らず、企業や官庁にも博士はたくさんいます。

一般的に、博士号を取得する人は、革新的で能力のある人です。企業が今までと同じことをするなら、博士は必要ないでしょう。しかし、今の日本の動向からみると、これまでのモデルを打ち破る時が来ています。実際、企業が博士を採用しないゆえに、日本経済が停滞したとも言えるのです。ですから、私は産業界や行政機関が、もっと博士を採用することを提唱します。

そのために、大学も方針を変更しなければなりません。これまで博士は研究者や学者になるように育てられてきましたが、これからはビジネス界に適応できる博士を育てなければなりません。しかし、これは大学だけでは不可能で、企業の支援が必要です。

そこで、今、小さな試みに取り組んでいます。この試みには別の目的もあります。それは日本の地方経済を活性化することです。地方へ行くと、商店はシャッターが閉まっており、コーヒーを飲みたいと思っても店がみつからない。地元の産業界と大学、自治体が「産学官」連携して行動すべきです。熱意に溢れた博士を育てて地方経済を活性化させるのです。こうした試みが成功すれば、今後は大学も企業も自治体も、積極的に協力してくれると考えています。

 

技術系の人材は人と機械の両面を考慮しながら

―― 第二次世界大戦以前、電気通信大学は無線電信講習所でした。戦後、日本の電信通信産業の発展に伴って、講習所は今日の大学となり、電気通信のあらゆる分野にわたって研究者や技術者を送り出してきました。現在、日本の半導体産業は衰退し、多くの電気メーカーは苦戦を強いられていますが、この現状をどうみていますか。

梶谷 今でも日本の電信技術は優れていて世界をリードしています。みなさんが使っているスマートフォンは、アメリカで開発されましたが、部品の多くは日本製です。

しかし日本は、技術を相対的な面からみることができないという弱点があります。現代人が何に興味をもっているか、何を欲しがっているか、技術を通してどういう価値観を創造したいかといった事がわからないのです。

例を挙げますと、日本の自動車の性能は優れていますが、車と人との関係はあまり考慮していません。車を運転するとき、人と車はコミュニケーションしています。人がコミュニケーションしやすい車を造ることができれば、車はもっと安全で便利になるでしょう。それでは、車を造る際、人と車のことだけを考えればいいのでしょうか。実際にはそうでなく、道路情況も考慮しなければなりません。道路が悪いと運転しにくくなります。

こうした総合的な配慮ができる技術者が、日本にはまだ少なすぎるのです。一般には、いかに機械や部品の性能を向上させるかを考えますが、機械を人の能力に合わせるのではなく、人間を機械に合わせようとします。私の大学では、学生にハード面の技術だけでなく、ソフトの知識も習得させますが、それは機械と人間の両面から考えられる技術者に育ってほしいからです。

今は良い製品を開発するには、特定分野の専門家だけではなく、多方面の専門家を必要とします。そこで、人と人とのコミュニケーションが重要になってきます。本学では新しく「総合情報学科」という学科を開設しました。交流の重要性を認識し、機械や人に興味を持って交流できる技術者を重点的に育てようとするものです。こういう観点から考えているのは本学だけです。

 

中国の留学生が国際化を促進

―― 電気通信大学には留学生も多く、そのうちの半分は中国の留学生だそうですね。国際的な専門家の人材を育てる際に、どういう面に重点を置いていますか。

梶谷 2012年5月時点で、本学の全学生数約5400人のうち、留学生は323人で、その半分の154人が中国からの留学生です。本学の目標は、留学生数を2倍にすることです。

目標達成にはいくつかの課題があります。例えば、東京の家賃が高いことです。そこで、留学生には宿舎を提供していますが、数がまだ少なく、調布市の協力で教職員宿舎地域を再開発して、400名から500名規模の留学生と日本人学生が同居する国際宿舎を、3年後に完成させる計画です。

グローバルな専門家の育成には、留学生の存在が大きな役割を果たしてくれます。本学の国際化を促してくれるとともに、日本の学生にコミュニケーションの重要性を認識させてくれるからです。先ほどお話ししたように、優れた専門家になるには、機械と人との関係が重要だということを分かっているかどうかです。

本年4月、本学はグローバル化教育推進事業をスタートさせ、多方面でグローバル人材の育成、強化をはかっています。次のような事例があります。本学と交流提携している中国の大学の学部生が、本学に一年間短期留学しました。その後中国の大学を卒業し、再び本学の大学院に入学し、博士課程にまで進みました。こうした留学生は少なくありません。これは非常に喜ばしいことです。この中国の留学生は本学の教員に採用しました。

中国の留学生は言葉の上達が非常に速い。入学したばかりの時は、日本語がそれほどうまくなくても、1、2年もすると、基本的には日本の学生と同程度になり、その進歩には驚くばかりです。

 

日本は生き残るために技術力で経済の発展を

―― 自民党政権は「技術立国」を目指すことを提言しました。旧海軍時代にも同じようなスローガンがありましたが、今日の「技術立国」とどう違うと思いますか。

梶谷 かつての「技術立国」は富国強兵が主で、外国の先進技術を通して日本の軍事力を強化させることでした。今の「技術立国」は経済の発展を指しています。日本は資源国ではないので、資源を輸出することはできません。技術力で生き延びていくしかありません。例えば、資源を輸入して、それに付加価値を付けて、他の国へ輸出するというような方法で、生存していくことになるでしょう。

 

中国の技術学習能力は非常に高い

―― 中国へ行かれた時の印象はどうでしたか。

梶谷 初めて中国へ行ったのは1985年11月で、日本貿易振興会(ジェトロ)の招待でした。大学で開発したロボットを持って「アジア太平洋国際見本市」に参加しました。とても寒くて、見本市の会場は北京空港の近くだったことを覚えています。日本は初めて中国で出展したのですが、中国の人たちがたくさん日本館を訪ねてきました。日本館の面積は3500㎡で、日立、三菱、東芝など28の日本企業が参加しました。テーマは、日本の原子力研究開発と高度な機械技術でした。

これ以前に、私は中国のある大学の先生とペンフレンドで、文通をしていました。国際見本市がきっかけで、私たちは会う事ができました。その後、1988年に「日中機械電子シンポジウム」を開催することになり、現在まで20年以上も続いています。

中国はこの20年余りで急激な発展を遂げましたね。私が1985年に初めて中国へ行った時は、北京には高いビルがなかったのですが、わずか25年の間に、立派なビルがいたるところに建ち、日本に匹敵するような発展を遂げました。

私は招かれて深?の華為公司を見学したことがあります。企業規模と技術で完全に日本を抜いています。中国は技術分野の学習能力が強く、日本の開発にすぐに追いついてきます。「中国は日本の技術をまねている」と国際社会で言われていますが、最初はどこも「まねること」からスタートするものだと思っています。日本も当時はそうでした。

それに比べて、日本の発展はスピードが遅い。今、世界の変化はあまりにも速く、日本は追いついていけていません。しかし、私は単に技術の進歩が速いことだけを望みません。それは、新製品を十分な試行や検証なしで使用すると、事故が起こるからです。現在、世界中が結果を急ぐあまり、何ごとにも利益至上主義になっています。こういう傾向にブレーキをかけなければなりません。技術はやはり人を大事にしたものであるべきなのです。